その五。裁きの後に顕れしものは
「ほんしょうってなあに?」
オレの本当の姿。
「おさかなさんじゃないの?」
間違ってはいないけど本来のものでもない。怪我をしてるから実体もヒトの姿でもここまでが精一杯なんだ。
「じゃあ、はやくけがをなおさなくちゃ」
そうだね。治るようがんばるよ。
「まだ元の姿にはもどれないの?」
もどってほしいの?
「だってずっと同じ姿なんだもの。このままだと私のほうがお姉さんになっちゃうじゃない」
オレの種族は成長速度がゆっくりだから仕方ないんだ。
「じゃあ人の姿も変わっちゃうの?」
たぶん今より外見が年かさになると思う。
「じゃあおじさまになっちゃうのね」
その言いぐさはひどくないかな。よくて成人を過ぎるくらいだよ。擬態だからある程度の外見で成長も止まるんだ。
「冗談よ。早く元気になって本当の姿を見せてね」
わかった。約束する。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「吾(われ)は海に連なりし者。吾が名をもって命ず」
できることならこんな場面で戻りたくはなかった。けれど、ここまで侮辱されれば海に生きるものとしての誇りが許さない。
空がわれ雲と大地の間に一線の光と轟音がとどろく。
「厳霊(いかつち)を以て吾が目前を退けよ」
光と音を伴う大規模な放電現象。通称『リールの怒り』と称されるそれと共に地上に降り立ったのは一人の青年だった。
視界がずいぶん高く感じる。当然だ。今までが力を抑えていたんだ。
髪と瞳の色はそのままに。海を模した青の服は昔から身につけていたもの。
これがヒトとしての完全体の姿。
「かまわん! あの男を殺せ!」
男の合図と共に無数の矢が放たれる。それがどうした。そんなもの吾にとっては雑作もない。
「愚かな人間よ。吾が怒り、身をもって思い知れ」
矢が体に届く前に右手をあげる。海言葉(うみことば)で呪をつぶやくと雷が辺りにとどろいた。
雷の後におとずれたのは強い雨と激しい風。放たれた矢が雷によって次々となぎ払われていく。怒りの声は果たして逃げ惑う人間に届いたのか。
「獣めが! 本性をあらわしおったか」
人間は敵。
海に通ずる者、すべての排除すべきもの。
リールがよく使うのは手に携えている三つ叉の矛。あれは力と豊漁の象徴だけど、矛が司るのは何も海だけってわけじゃない。よく耳にするだろ? 雷とか津波とか。元々あの方の専売特許だけど真似事くらいならできた。それに人間の矛先を退けるくらい物真似程度で十分だ。
友人を傷つけられて、あまつさえオレの力を取り込もうとしている。海であれ陸の民であれそんなこと許されるはずがない。
早い話が、ぶちキレた。
雷の前に兵士達はなすすべもなく逃げ惑う。当然だ。彼女を傷つけたからこうなった。
吾(われ)に矛を向けたのだ。相応の報いを味わうといい。
「…………っ!」
途中、頬に鋭い痛みがはしる。視線を向ければ杖を片手にこちらに向かって何かを唱えていた。そういえば男は彼女の父親であり同時に魔法使いだと聞いていた。
「あくまでてめェらはオレ達に矛を向けるんだな」
流れる青い血を拭き取って不適に笑う。面白い。貴様らが手中に収めようとしたものがどれほどのものか身をもって味わうといい。
息を吸って、鯨波の声(ときのこえ)をあげる。ヒトの姿が霧散して代わりに顕れたのは。
「化け物だ!」
笛を扱っていた腕は魚の胸びれに。
砂浜を歩いていた脚は巨大な尾鰭(おひれ)に。
海辺から姿を顕したのは、黒くて膨大な躯(からだ)を持つ海の獣。
オレの本性は――
「鯨が襲ってくるぞ!」
オレの本性。それは巨大な鯨(くじら)。
咆哮をあげ目前に向かって放つ。本性にもどりさえすれば詠唱を唱える必要もない。オレ自身の体全てが海を司る武器となるのだから。
許さない。
ユルサナイ。
本性を傷つけられても後悔はなかった。むしろ倍の勢いで目前の人間達を屠ることで精一杯だった。
海岸が赤い血で覆われていく。それがどうした? 吾に傷をつけたのはてめェらだ。報復を覚悟したうえでのことだったんだろう? だったらこれくらいのオトシマエ受けれるだろ。
滅べ。滅せよ。
こんな愚かな種族など消えてしまえばいい。
目前には人間の親玉が、彼女の父親が倒れていた。こいつが悪いのだ。こんな人間など滅ぼしてしまえ。
ニンゲンハウミノテキ。
サア、スベテヲコワシテシマオウ
とどめをさそうと咆哮をあげたその時。
「リザ。もうやめて!」
テティスがオレの前に立ちはだかった。
「ここは私が引き受けるから。あなたは海へ還って」
味方の攻撃を受けて倒れていたはずなのに。両手を広げて懇願する。
ドウシテキミガコンナコトヲ
「見てられなかった」
ミテラレナカッタノハオレノホウダ。
「あなたが傷つくのを見たくないの。お願いだから元にもどって!」
オレハ――
「半人前がいきがってんじゃねえ」
人間と魚の抗争の最中。緊張を解いたのは久々に耳にする男の声だった。
「馬鹿野郎が」
藍色の髪に紫の瞳を携えた男。容姿だけなら人間のそれと変わらない。あまつさえオレの兄弟かと問われてもなんら不思議はない。
ただ違うのは手にした三つ叉の矛と周囲にいる全てをのみこんでしまう圧倒的な存在感。
彼こそ魚の父親であり、海の長と呼ばれる者。
「父上……」
リール。オレの父親だった。
「そっちの人間の娘のほうが、てめぇより余程理解がある。なりふり構わず壊してんじゃねぇよ」
見た者を射貫くかのような鋭い眼差しに淡々とした声はこんなにも力強くて。話をしているだけなのに誰もがその場を動くことができない。
逆らったらやられる。誰もが本能的に悟っていたんだろう。もちろんオレも攻撃の手をとめて父親の行動を見守るのが精一杯だった。
海の長が告げたものはまごうことなき正論。オレはただ人間が許せなかった。彼女を悲しませた実の父親が。彼女を傷つけた人間達が。怒りに我を忘れてなりふり構わず危害を加える。そんな忌むべき行為を他ならないオレ自身がやってしまった。
「あなたがリール様なのですね」
そんななか友人ただ一人が確信をこめて言葉を紡ぐ。
「これまでの人間の非礼はお詫びします。お願いです。これ以上人間を傷つけないで!」
「言うのは俺じゃねぇだろ」
あごをくいと向けて。その先には本性をさらし、ましてや理性を失い下等な怪物(モンスター)に成りはてようとしているオレ。
「お願いリザ。話を聞いて!」
オレのできなかったことを人間の彼女がなそうとしている。
「リザ。あなたはここにいる、すべての人間を傷つけようとした」
彼女の方がオレより一枚も二枚も上手だった。
「あなたには愚かしくて憎々しい相手かもしれないけど。でも私にとってお父様はたった一人の大切な肉親なの」
あんな人間、大切にする必要なんかない!
「あなたはお父様が傷つけられそうになったら平然としていられる?」
二の句が継げなかった。全てにおいて豪快で破天荒で。それでも、オレにとってはただ一人の父親だったから。
父親が傷つけられたら。きっと、それこそなりふり変わらず危害を加えていただろう。
「ただの人間がこれだけのことをやってんだ。てめェはこのままで終わるつもりか」
オレは――
「あれが完全体なのね。本当に大きなお魚さん」
傷に顔をしかめながらテティスが笑う。
「釣り合いがとれたと思ったのにまた追い越されちゃったわね。でも『おじさま』と呼ぶには若すぎるかも」
本性からヒトの姿になって友人を横たえる。周囲の人間からの攻撃はなかった。手を出せなかったんだ。父親がいたし一連のオレの行動を目撃していたから。
「リザ。聞いて」
早く治療をしないと本当に命取りになる。そんなことはわかっていた。わかっていても手を差し出さずにはいられない。
「好きになってとは言わない」
そんなオレの手をとって。彼女の息づかいがさらに弱々しいものに変わっていく。怪我をおしてオレの前にたちはだかったんだ、傷口が広がらないわけながい。
動けなかったはずなのに、どうして。
「ただ、人間を嫌いにならないで」
どうして。そんなことができるんだろう。
「私のことは憎んでくれてかまわない。だから」
「約束する」
絶え絶えの息で。ただオレや周りのことばかり心配して。
初めて会ったときからそうだった。傷ついたオレを助けてくれて二人でいろんな話をして。今だってわざわざ助けようとしなければ、こんなことにはならなかった。
オレに負けず劣らずの無鉄砲さと好奇心持ち。時に臆病で、恐がりなのに必死になってオレを助け出してくれた本当に心優しい女性(ひと)。
「ヒトを、君を嫌いになれるわけがないじゃないか!」
そう言うと彼女は嬉しそうに笑った。
「行ってみたかったなぁ。ティル・ナ・ノーグに」
それが、彼女の最後の声。
あの時のオレは、本当に子どもだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それからどうしたって?
街は離れたよ。それ以上の危害は加えなかったけど元にもどすこともしなかった。あとは人間達が自分でなんとかするだろう。
オレはといえば、実家(海底)でみっちりお説教された。あれだけの事態を引き起こしたんだから当然といえば当然のことだけど。一部からは『そのような人間などさっさと滅ぼせばよかったんです』なんて声もあがったけど半分以上が自業自得だったしね。周囲を騒がせた罰として忘却の呪いを受けることで一応の決着をみせた。
今の姿は完全体の一歩手前ってとこかな。だから完全体の時の七割くらいしか能力が使えない。姿が変わらないのは考えようによっては『老けなくてらっきー』程度で済む。でも『全てのものに干渉できない』っていうのはひどいよね。おかげでみんな忘れていくんだ。子どものおいたくらい笑って見逃してくれてもいいのに。ああ、君達のことは例外だよ。呪いが発動するのは普通の人間に対してなんだ。だから精霊のシリヤは通用しないし人間にしては桁外れの魔力を持った君(フォルトゥナート)もしかり。
テティスはどうしたかって? たぶん生きていたとは思う。なにせずいぶん昔のことだし戻ったところで誰もオレのことは覚えていないしね。あの頃の人間達はみんな墓の下で眠っているだろう。
それから先はごらんの通り。あっちへ来たりこっちへ行ったり。ちゃんと里帰りはしてるよ。父親にはあってないけどね。そろそろちゃんと顔を出すべきかなぁ。
「――以上、話は終わり。たいしたことなかっただろ?」
笛を片手に笑ってみせたけど周りはしんと静まりかえっていた。笑い話とはいかなかったけれど、そこまで深刻になることはないだろうに。
「こんなことを私達に話してよかったんですか?」
「だって君。口外しないだろ」
そう返すと相手は黙ってしまった。年を重ねた今ではちゃんとわかる。目の前の人間は今聞いた話を面白半分で他者に漏らすようなことはしない。したとしても『それで何?』で終わってしまうしオレ自体の存在が忘れられてしまうのなら意味がない。それでも裏切られたら、その時はその時で矛をかまえるのみだ。
形容しがたい沈黙が流れた後。
「聞いたことがあります」
沈黙をやぶったのはフォルトゥナートだった。
「遠い昔、リールの怒りをかって滅んだ王国があると」
「それは大げさ。壊したのは街ひとつだし父上は一切手出しをしなかった」
人間ってほんと大げさだよなぁ。子どもの頃のおいたを何百年にもわたって語り継がせなくてもいいだろ。いい加減あのことは忘れたいんだ。
笑い飛ばしてもらうつもりだったのに友人達は神妙な顔を崩さないままで。
「飲み物を取りに行ってきます」
そして、友人は部屋からいなくなった。
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