Part,85
「そこのお兄さん。ちょっとよっていかないかい?」
聞き覚えのある声に少年は手にしていた荷物ごと顔を向ける。
「久しぶり。元気にしてたかい?」
「あんたは――」
それは買い物をすませ、一足早く船に向かおうとしていた矢先のできごと。そこにいたのは藍色の髪に紫の瞳の男だった。
真っ赤な服に緑のフードつきマント。派手な外見にもかかわらず、周囲は誰もそれをとがめようとしない。いや、まるでそれらが見えてないかのような素ぶりだ。
「ここまでたどり着くことができたのですね。感心感心。いやぁ、若いってすばらしい」
「ふざけるな」
陽気な声をさえぎり、ショウは商人をにらみつける。
旅の先々で不思議な予言を残す謎の男。はじめはただの言いがかりかと思っていたが、期せずしてそのとおりの出来事を体験しているのだ。これだけ重なるともはや看過できない。
「どうして変なものを売りつける。どうしてアンタの予言通りにことが進んでいくんだ」
目を見据えたまま、ショウは一言一言かみしめるように言う。
「ですが、そのおかげで窮地(きゅうち)を脱することができた。違いますか?」
「……アンタは一体何者なんだ」
違う。言うべきことは他にある。
唇をしめらかすと少年は再度声を重ねる。
「アンタは俺達に何をさせようとしている?」
ショウの問いかけに、商人は穏やかな笑みを浮かべる。彼が口を開くのを少年は抱強く待った。
声を聞いたのはそれから数分後。
「それはぜひ私も知りたいところですね」
商人でも、ましてや少年でもない声にやおらふりむく。そこには少し前に別れたはずの神官がいた。
「今日は千客万来だな。お兄さんも何か買ってくかい?」
「あいにく持ち合わせがありませんので」
商人の声を、金髪の若い男は笑顔できっぱりと否定する。
「彼に用事があるようですが、どうも穏やかではなさそうですね」
笑顔で。だが瞳に何か別のものを宿らせてアルベルトは言葉を紡ぐ。
「いやですね。そんなことは一言も口にしてませんよ」
「でもこれから何かをするつもりだった。そうでしょう?」
神官の笑みに商人の言動が止まる。
すごい。
ショウは胸中で素直な賞賛の声を神官におくった。このままではきっと言葉の押し問答、もしくはのらりくらりと交わされていただろう。だが目の男は臆するどころか逆に駄目だしをしている。
「そもそも言葉遣いがなってません。もっと勉強してください」
「オレのは営業用だからいいの」
「それならなおさらです。言葉遣い、接遇は営業の基本ですよ」
少し、会話がずれているような気もするが。
神官が指摘したように、口調は今まで耳にしたそれよりも若干異なっているようにも思える。商人自身がが言うように本来はそういう性質の持ち主だったのか。
二人の口論を横目に、少年はふとある疑問にかられる。
そもそも、この男は連れの二人と海へ向かったはず。なぜ一人だけこんなところにいるのか。
「ああ。私は女性達に追い出されてしまいました。
私のような年寄りを同伴するよりも同性二人で楽しみたいそうです。ならばこちらも同性二人で楽しみましょうとここへ来たまでです」
なぜ口にもしていないの的確な答えが返ってくるのか。そもそも楽しむとは一体どういうことだ。
「それよりいいのかい?」
商人の声に思考は中断された。
「……何が」
うろんな視線を送ると商人は片目をつぶる。
「君が聞いたんだろう? 何をさせるつもりかって。
君はここにいる。だけど彼女は今どこにいるんでしょうね」
藍色の髪の男の言葉に息をのむ。確かにその通りだった。
彼にはじめに声をかけられたのは焦げ茶色の髪の少女。もし商人の言動に意図があるのなら少女の身が危ない。
「シーナをどうするつもりだ」
「知りませんよそんなこと。わたしはごく普通の商人ですから」
「……っ!」
男の戯言に構っている暇はない。
アルベルトが静止の声をかける間もなく。少年は足早にその場を去った。
まりい達は海岸にいた。
「ショウ、どうしたの?」
先に気づいたのは公女だった。
「何ともないのか?」
切羽詰った表情を目の前にさらされ女子二人は顔を見合わせる。
「なんともないってどういうこと?」
「ルシオーラが……」
息を整え言葉を紡ぐうちに、ショウは思う。
『知りませんよ、そんなこと』
それはそうだ。むしろ知っている方がおかしい。
『わたしはごく普通の商人ですから』
これは大いに間違っているだろう。
「ショウ、それは何?」
まりいの指差した場所へ視線をやると、荷の中には丸められた手紙と一枚の地図。
「手紙なんじゃない? ええと……」
まりいが手に取ろうとするよりも前に、ショウは強引に紙の束を手に取り目を通す。途端、みるみるうちに少年の顔が赤く染まる。
はめられた。
自覚するのに時間はそう長くはかからなかった。
「何が書いてあったの?」
まりいの問いかけにショウはなんでもないと返事を返すのみだった。
「なんでもないなら隠さなくてもいいのに」
ねぇ? と言わんばかりのシェリアにも、ショウはひたすらなんでもないと繰り返すのみ。
「何か嫌なことが書いてあったの?」
「……お前は見なくていい」
顔を近づける少女に対し少年は同じ分だけ遠ざかる。ただし、まりいが不思議そうな顔をするのに対し、ショウは顔をますます赤くさせていたが。
一方、ことの一部始終を見ていたシェリアはにやりと公女らしからぬ笑みを浮かべた。
「可愛いでしょ。昔を思い出さない?」
『昔?』
期せずして少年少女の声が重なる。
「そ。一番初めに出会った頃にシーナがいなくなって。アタシがシーナの着替えを手伝ったでしょ」
確かにそんなことがあった。だがそれが何だというのだ。
まりいはおろか、ショウにも彼女の意図するところがわからなかった。
「今の表情、あの時のあなたにそっくり」
次の言葉を聞くまでは。
「……どういう意味?」
三人の中で、まりいだけがきょとんとした顔をしていた。
三人の中で、ショウだけが顔を赤くしていた。
「そのままの意味よ。ショウも言いたいことがあるならちゃんと本人の前で言いなさいよ」
意地の悪い笑みを浮かべると公女は少年の肩を二、三度軽く叩く。
「後はごゆっくり」
それだけ言うと、シェリアはその場を去っていった。
「……ごゆっくりってどういう意味?」
残されたまりいは相変わらず小首をかしげたままだ。
「ゆっくり、何をやれっていうんだ」
残されたショウは、相変わらず顔が赤いままだ。
「何かするの?」
「するか!」
まりいの問いかけにショウは声を荒げる。それでも荒げられた方はきょとんとしたままだった。
「……シェリアと泳いできたのか?」
ふいに話をふられ、まりいは戸惑いながらもうなずく。
「海水浴なんて久しぶりだったから。楽しかった」
「……そうか」
「ショウも泳げばよかったのに。少しは気がまぎれるよ?」
「……俺はいい」
「どうして?」
「どうしてもだ」
まりいの問いかけに、ショウは憮然とした面差しで答えた。
おかしい。
この頃にはさすがのまりいも気づいていた。
どうして少年はこんなにも自分を見ようとしないのだろうか。
どうして少年はこんなにも海に近づくのをためらうのだろうか。
『いい加減、部屋にもどらないか?』
『体調が悪いの?』
『……悪い。ある意味』
やがて、まりいは一つの結論にたどり着く。
「ショウ、もしかして」
「……なんだよ」
もしかして。
「……泳げないの?」
少年の体が固まった――ように見えたのは少女の目の錯覚か。
長い、長い時間が流れる。
「……だから、船にはのりたくなかった」
やがて、少年の口から小さな声がもれた。
「え?」
「レイノアは山と森に囲まれてるんだ」
「?」
「水がなくたって、人間は生きていける」
「水がないと生きていけないよ?」
まりいのもっともな指摘にショウは声を失う。
「……泳げなくても、運び屋はやっていける」
「そう、なの?」
再び長い沈黙の後。
「海に近づかなければ」
少年は真っ赤な顔でつぶやいた。
「笑うなっ!」
少女のかたわらで、少年は声を荒げた。もっとも言動と表情がともなっていなかったため、笑い話でしかなかったが。
それでも一度ふき出した笑いは抑えられず、まりいが笑みをおさめるまで長い時間を要した。
「ショウってなんだか」
「……なんだよ」
「可愛いところあったんだね」
まりいの声に憮然とした表情をするも、ため息をつくとショウは明るい茶色の瞳を見つめた。
「元気出たのか?」
「うん。元気出た」
ここまでくると、まりいもショウの意図するところがわかってきた。きっと、彼は自分を元気付けるために送り出してくれたのだ。
以前もそうだった。彼はそういう人なのだから。そして、それは時間の流れた今でも変わってはいない。
だが、わからないこともある。
「どうして顔が赤かったの?」
まりいの声に、ショウは今までの中で一番渋面で、一番赤い表情を見せる。
「それは……」
「それは?」
「なんでもない」
まりいを、少女の服装を注視した後、少年はそっぽをむいた。
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ショウ・アステムへ
二人とも、試練を乗り越えたみたいだね。
若いって素晴らしいね。本当にうらやましいよ。真面目なのもいいけれど、そろそろ自分の気持ちに正直になったらどうだい?
だけど、時には息抜きも必要さ。たまには羽をのばしてみなよ。きっといいことがあるからさ。
そして決意が固まったなら、フロンティアの元へおいで。