Part,80
空の彼方で鳥が鳴いている。
潮風が気持ちいい。風にあおられながら、まりいは遠くに思いをはせていた。
二人には本当に勝手なことを言ってしまった。無事に故郷に帰れただろうか――
「……わっ!」
頬に当てられた感触に声をあげる。そこには飲み物を手にした少年がいた。
「何たそがれてるんだ」
「たそがれてなんかいない。ちょっと考え事してただけ」
呆れ顔の少年に笑いながら応える。もっとも考えていたのはそれだけではなかったが。
フルーツルーレを離れてさほど時間が流れたわけではない。それでも心細さを感じてしまうのは、まだ不安が残るからなのか。
「じゃあ何を考えてた?」
問いかけに答えられずまりいは口を閉ざす。ため息をつくと、ショウは手にしていた飲み物をまりいに手渡した。
「ゼファーのことか」
「……うん」
考えていたことそのものを指摘されれば隠す必要もなく。飲み物を片手にまりいは静かにうなずいた。
ゼファーとは一体何なのだろう。壁画には描かれていた巨大な鳥。実際はそれが何なのか誰も知らない。
英雄と謳われたベネリウス。彼は本当にゼファーなのか。彼は本当に、自分の――父親なのか。
カザルシアの末姫と呼ばれていたシルビア・アルテシア。彼女は本当に自分の母親なのか。
「私は本当にベネリウスとシルビアって人の娘なのかな……って」
「それを確かめるために今向かってるんだろ」
ショウの声に、まりいは曖昧(あいまい)な笑みをもらす。
「そう言えば私、ショウに聞いてないことがあった」
今までの暗い気持ちを振り払うかのように努めてめて明るい声をあげる。
「私、どうやって助かったの?」
脳裏に浮かぶのは船に乗る前の光景。
少年の父親がいるかもしれないという場所でステアと出会い、仲間や自分を傷つけられた。さらに危害を加えられようとして、気づけば見知らぬ場所にいたのだ。
その後、地球にもどり周りの声を聞いて空都(クート)にもどることを決意した。だがそれは、まりいからみてのこと。ショウからみた自分は一体どうなっていたのだろう。かつて緋色の髪の少年が言っていたように見えなくなっていたのだろうか。
「ねえ教えて――」
続きを問おうとして、まりいは声をつまらせる。なぜなら少年が険しい顔をしていたから。
険しい表情のまま、船のへりに体をあずける。
「本当に一瞬だった。もしかしたら――」
「死んだかと思った?」
まりいの声にショウはうなずく。
「あの高さから消えたんだ。何かあったと考えない方がおかしい」
「でも、私は生きてたんだよね」
「ああ。……山のふもとに倒れていた。まるで眠ってるみたいだった」
そこで区切ると、ショウはまりいを見つめる。
「どうしたの?」
まりいが首をかしげると少年はふっと相好を崩す。
「初めて会った時もそうだったよな。お前、道端に倒れてたんだ」
「……そうなの?」
「変わった格好をして眠っていた。もう少しで轢くところだった」
ショウからみれば懐かしく、まりいからみれば衝撃の事実に二人どちらともなく笑いだす。
「それで、答えは出たのか?」
ショウの問いかけに、まりいは首を横にふる。
「考えるだけ無駄だった。よけいわからなくなっちゃった。だから、今の間だけ考えないようにする」
それが一番いいのだろう。悩んでいたところで簡単に答えが出る問題ではないのだから。
そんなまりいの横顔を一瞥した後、少年は踵をかえす。
「飯。早くしないと席がなくなる」
「え?」
「考えないようにするって決めたんだろ?」
ショウの声に、まりいは笑みを浮かべた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いつの間に、あんなことになってたのかしら」
二人の後姿を遠目にしながら、シェリアはぽつりとつぶやいた。
「あれって、どう見ても恋人同士……よね」
言葉を唇にのせて一人合点する。
いくら公女だとはいえ、そう呼ばれるものがどのような意味をなすかは理解している。
見知った二人の友人がかもし出す雰囲気はまさにそれだった。まるで一緒にいることが当たり前といったような。物語に出てくるベネリウスとアルテシアはきっとあのような感じではなかったのか。人知れず顔を赤らめる公女である。
だが、同時に別の雰囲気も感じられた。
使命感と言えば当然なのかもしれない。彼らはフロンティアを探す目的で旅をしているのだから。仲はいいのだろう。しかし、二人の間に微妙な距離を感じるのだ。まるで見えない一線が引かれてあるかのような。
では、二人から感じられるものは何なのだろう。恋人同士のようで、使命感のようで、けれどもそれとは違った――
「あのお二方があなたの言っていた御友人ですか?」
わって入った声に、シェリアは思考を閉ざされる。
「その御友人。女の子がシーナで、隣にいた男の子がショウ・アステム」
兄代わりの人物に簡単な説明をすると彼は続けて問うた。
「ファミリーネームは?」
「え?」
「シーナ様です。ご存知ないのですか?」
空都(クート)の住人にも苗字は存在する。だがまりいの事情を知っている以上うかつには話せない。言葉を選びながらシェリアは述べた。
「ええと、シーナっていうのは偽名なの。本当は別の名前があるみたいなんだけど、そっちで呼ばれるのが嫌みたい」
「そうですか……」
本当にわかってるのかしら。
ちらと隣をのぞいても視界に映るのは穏やかな笑みばかり。表情の意図を探ろうとも、優秀な神官からは何も読みとれない。
「そーなの。だから余計な詮索はなしよ。シーナはシーナなんだから」
「わかっています。人のプライバシーを詮索するような無粋なこと、私がするとお思いですか?」
思ったからそう言ったのに。
笑顔を浮かべる神官に公女は胸中で深々とため息をついた。
「でも困ったわね。どうやって声をかけよう」
相変わらずの二人を遠目にしながら、シェリアはつぶやく。
「普通に呼びかければいいんじゃないですか?」
「それじゃただのお邪魔虫でしょ」
青年の提案に公女は首を横にふる。確かにその案も考えなかったわけではない。言葉通りでもあるが、彼女自身、友人達の成り行きを見守りたいという気持ちもあったのだ。
微笑ましいような、でも何かが違っているような二人。二人に一体何があったのだろう。ミルドラッドで感じた予感はこのことだったのか。
かと言ってこのままでも困る。なんとかしてあの中に入っていけないだろうか。
「もう少し接近しないんでしょうか」
だが彼女の思考は再び彼によって閉ざされることとなる。
「あれじゃあ、仲のいい友人同士だと思われても仕方がありません。
おや、少年の顔色が優れないようですね。何かあったんでしょうか。いけませんねえ。こういう場合、男性がもっとリードしてあげるべきなのに」
「……どうしてアタシに聞こえるように話してるのよ」
「いわゆる実況中継というものです。二人の関係が気になっていたんじゃないんですか?」
「あなたって人の考えていることが手に取るようにわかるのね。それも神官の能力?」
「お褒めに預かり光栄です」
ほめてない。
胸中で何度目かの息をつく。だが相変わらず彼の表情に変化は見られない。
「私を連れてきて正解だったでしょう?」
人好きのする笑みとは裏腹に、やることは強烈で、でも言っていることは正しい。
実際彼がいなければ船を使うという手段も思い浮かばなかったしこんなにも早く二人に追いつくことはできなかっただろう。
返事の代わりにシェリアは若者の背中をばしりと叩いた。
「どうやら昔にもまして元気になられたようですね」
「誰がそうさせたのよ。
……それで。もう作戦は決まったんでしょ?」
「ええ」
本当にとんだ食わせ物よね。
苦笑すると、シェリアは従者の若者に笑みを浮かべる。
「その作戦とやらを聞きましょうか」
公女の声に、若者は爽やかな笑みを浮かべた。