Part,19
「『離れていても願いは叶う』」
ペンダントを握り締めながら、まりいはリューザに言われた言葉をつぶやいた。
手のひらサイズの青い石。その中心には女神像が彫られてある。シェリアが持っていたものと全く変わらない。唯一違うのは鎖が銀色ではなく金ということぐらいだろうか。
離れているってどのくらいの距離になるんだろう。
願いって何? 私の願いは――
「ショウは叶えてほしい願い事ってある?」
ラズィアにむかう馬車の荷台の中、まりいはショウに問いかけた。
「別に」
手綱を握ったまま、まりいの方を見ることなくそっけない返事が返ってきた。
「本当にないの? これっぽっちも?」
「ない。強いて言えば――」
「言えば?」
まりいは思わず荷台の中から乗り出していた。だがその続きを聞くことはできなかった。
「……なんでもない。まずはフロンティアを見つけることが先だろ」
淡々とした声に苦笑するとまりいは再び荷台の中に身を潜めた。
男の子って願い事なんて考えないのかな。私だったら叶えてほしいことたくさんあるのに。
まりいが荷台に戻ったのを見てショウはほっと胸をなでおろした。
思わず口を開きそうになった。何を言おうとしてるんだか。今さら言ったところでどうしようもないのに。
実は、まりいとショウが願っていたものは形は違えど同じものだった。二人がシェリアを助けようと思ったのは根底にその願い、想いがあったからなのかもしれない。もっとも、そのことに気づくことは誰一人としていなかったが。
「さっきの包みってなんだったんだ?」
「うん、それが……」
肩越しにリューザからもらった包みを渡す。その中身を見てショウは絶句した。
「一体何を考えてるんだ」
「うん……」
ショウは思わずつぶやいた。まりいも苦笑せざるをえない。
確かにこれは使える。初めて見たときからそう思うことはあった。
だが同時に無理があるとも思った。だからできなかった。まさかあの神官ははじめからこれを考えてたのか?
「私、やってみる」
ショウの気持ちを見透かすかのようにまりいは言った。
「シェリアこのままじゃ可愛そうだもん。それに私が嫌だから」
まりいの言葉にショウは唖然とした。
今までだったら何をバカなことを言ってるんだと怒っただろう。でも目の前の瞳は真剣だった。
「……勝手にしろ」
それだけ言うと視線をずらした。反対することはできなかった。目の前の少女の決意が本物だとわかっていたから。
「うん。勝手にする」
ショウには見えなかったが、そう言ったまりいの顔は微笑んでいた。
「お前、変わったよな」
城内でつぶやいた台詞を再び口にする。今度はちゃんと聞こえたらしく、まりいは首をかしげた。
「まさか領主をひっぱたくとは思わなかった」
「あ……あれは!」
真っ赤になってうつむくまりいを見てショウは苦笑した。変な奴。さっきまでさんざん突拍子のないことをしでかしてたくせに。
「さっきの台詞、ちょっと胸にきた」
本当に驚いた。でも感動した。
『お金なんかいりません!
私はシェリアを、友達を助けにいくんです。公女様じゃなくて、私の友達を助けにいくんです』
シーナは異世界の人間だから常識はないんだろう。でも、いくらそんな人間だとはいえ俺だったらそんなことができるのか?
「……できないよな。きっと」
「え?」
「なんでもない」
再び首をかしげたまりいを見てショウは笑った。無自覚だったってことか。だったらなおさらすごいな。
まりいはどうして自分が笑われてるかわからなかった。だがいくら考えてもわからないものはわからない。考えることを放棄すると背中ごしに声をかけた。
「変わったとしたら、ショウ達のおかげかな」
「え?」
今度はショウが聞き返す番だった。
「私ね、子供の頃に両親に捨てられたの。だから……怖かった」
一人になることが。親しくなってもいつか離れていってしまうから。だから自然と距離をおくようになった。でもそれじゃダメだった。だからぶつかった。
「二人が私の話を聞いてくれたから。だから旅を続けられた。一人にならずにすんだ」
背中ごしに聞こえる独白をショウは黙って聞いていた。 それ以上話すこともなくなったのか、まりいもずっと黙っていた。
二人の間に静寂がおとずれる。
「隣座れば? 外見えないだろ」
「うん……」
促されるままショウの隣に座り、まりいは外を見た。
初めてここに座ったのはリネドラルドに向かう時。あの時は無理矢理ショウに座らされたんだっけ。そのあとシェリアに出会って。もうずっと前のことのような気がする。
見渡す限りの草木。二人の間を吹き抜ける涼しい風。今は状況が違う。本当なら景色を見ている場合じゃないのかもしれない。でも――
「私、この世界に来れてよかった」
二人に遇えてよかった。
「ありがとう。あの時最後まで聞いてくれて。だから、今度は私の番」
シェリアを、大切な友達を助けるんだ。
そんなまりいの横顔をショウはまぶしそうに見つめていた。
「ショウ、この世界の名前って何?」
まりいに言われ慌てて表情をひきしめる。
気のせいだろ。目の前の奴がほんの少しだけ――大きく見えたなんて。
視線を前に向け、まりいの質問にショウはこう答えた。
「この世界の名前は、空都(クート)」
「空都?」
「空の都って意味。誰がつけたかしらないけど俺は気に入ってる」
「そう……」
まりいは頭上を見上げた。その横顔をほんの少し見つめた後ショウも同じ行動をとる。そこには雲一つない青空があった。
二人が出会った異世界。その名は空都。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ラズィアは人があふれていた。
リネドラルドのような華やかさもミルドラッドのような落ち着きもない。だが人でにぎわっている。
ここにシェリアがいるんだ。街の中で、まりいは館を見上げた。
カザルシアには主要都市は二つ。領地内に城が建てられているのもその二つ、リネドラルドとミルドラッドだけだった。
「シーナ!」
振り返るとショウが駆けてくるのが見えた。
「どうだった?」
「話はつけた。人手が足りないからいつでもいいって言ってた」
「わかった」
準備はできた。後は行動を起こすだけだ。
「本当に大丈夫か?」
念を押すようにショウはまりいの明るい茶色の瞳を見つめた。
「シェリアを助けるためだもん。やってみる」
その瞳に迷いの色はなかった。 苦笑するとショウはまりいの元に近づき正面に立つ。自分を見つめる黒い瞳にまりいは軽い戸惑いを覚える。どうしたのかと問いかける間もなく、次の瞬間まりいはショウの腕の中にいた。
「彼の者に幸福を。彼の者に祝福を。彼の者に――願いを」
触れるか触れないかくらいの軽い抱擁(ほうよう)。それは空都(クート)ではごく一般的な別れの挨拶だった。これから旅立とうとする者に願いを込めて言うのだ。これからの行く末に幸多からんことを。無事に自分の元に帰ってこれることを願って。それは、彼なりの敬意の表れでもあった。
「後で行くから絶対無茶はするなよ」
耳元でささやかれた声に一度だけ顔を赤らめるも、まりいはゆっくりと笑みを返し体を離した。
「うん。ショウも気をつけて」
互いにうなずきあうと、それぞれの役目を果たすため二人は別れた。
「…………」
ふと、まりいは空を見上げた。
『この世界が嫌いなんですか?』
まだわからない。ようやく知り始めたばかりだ。
『今の生活が嫌なんですか?』
二人に会うことができたんだ。嫌――じゃない。
『変わりたいんですか?』
変われたんだろうか。それもわからない。
全てがまだ始まったばかり。何もかもこれからなんだ。
やってみよう。まずはそれからだ。
顔を元にもどすと、友人を助けるため、まりいは走り出した。