Part,20
『シェリア、こちらへいらっしゃい』
ああ、これは夢ね。
まどろみの中、シェリアはそう感じていた。
『お父様。見て! お花』
『シェリアが取ってきてくれたのか?』
『うんっ! わたくしお父様が大好きだもの!』
リューザに預けられる前に三人でお忍びでお花畑に行ったのよね。すっかり忘れてた。あの頃は二人とも笑っていて。
なのに――
『この子だって立派にここを治めることができます!』
『不可能ではないだろう。だが荷が重すぎやしないか?』
いつからなんだろう。二人が口論ばかりするようになったのは。
『シェリア、今からリューザの元へおいきなさい』
『どうして?』
『お勉強をするの。知識を身につけてお父様とお母様を助けるのです。それが公女としての勤め』
『わたくしの?』
『あなたはわかってくださるわよね? あなたはいい子だもの』
『わかりました』
本当はわかりたくなかった。でもアタシが頑張れば、二人ともいつか笑ってくれると信じてたから。
『ねぇ、アタシは人形?』
『どうしてそんなことを聞くんです?』
そう。あの神官はアタシにそう言い返したのよね。親も親なら子も子供。あの親子にはたくさんのことを教えてもらった。おかげですっかり変わってしまった。でも後悔はしてない。だからこそ、今の二人に会うことができたの。大切な友達に。
『……私は、この世界の人間じゃありません』
そう言われた時は本当に驚いた。だけど、同時に守りたいと思った。目の前の友達は本当に真剣だった。きっとこの子は嘘をついてない。だったら、アタシがしっかりしないと。
この子にはきっとアタシ達しかいないから。
友達に出会う。皆で旅をする。それは夢にまでみていたこと。彼と約束したこと。だけど、本当のアタシの願いは――
夢はそこで途切れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………?」
シェリアはゆっくりと目を開けた。
見知らぬ部屋。見知らぬ天井。視界をめぐらせ自分のおかれた状況を思い浮かべようとして、体を起こし――そこで動きを止める。
『話が違うではないか!』
なぜなら声が聞こえたから。内容はわからないが、なにやら言い争っているようだ。
『…………』
『くそっ!』
延々と続く声にシェリアは気をひきしめた。自分がどういう状況にあるのかまだわからないのだ。油断はできない。
「なんなのだあいつは!」
やがて荒々しい音とともに一人の人間がが姿を現す。歳の功なら二十代。痩せぎすの体にギョロッとした目の男だった。
「あんな奴など雇わなければよかった。だからならず者は信用ならん」
いらただしげに爪をかむ男をシェリアは唖然として見るしかなかった。
「だいたいあれさえ持ってくればよかったのだ。あれさえ――」
そこまで言ってシェリアと目があう。
「失礼。花嫁となる方をこのような場所に連れ出したこと、許していただきたい」
とってつけたように笑いかける男。だがシェリアはその男に好感を持つことはなかった。いや、できなかったのだ。まだ状況が全く把握できていなかったのだから。
「挨拶がまだでしたね。わたしはイプロ・ラズィア。もうすぐ貴女(あなた)の夫となる男です」
そう名乗った男は微笑むとシェリアの手の甲に口付けをした。
突然の行動に公女は顔を赤くした。彼女とて公女だ。そのような場面には何度か経験したことはある。だが今までの事態が事態であったために混乱してしまったのだ。
「婚約はお父様が決めたことです。わたくしは、あなたと結婚するつもりはありません」
口調を皇族のものに変え公爵の目を見据えて言うも、ラズィアの領主は特に意に介した様子もなく肩をすくめるだけだった。
「お父上が望まれたことを無に帰すつもりですか? きっと嘆かれますよ」
父親が嘆く。それを聞いてシェリアは身をすくませた。
ラズィアの公主に、目の前の男性の元に嫁ぐ。それがお父様の望んでいたこと? だったらアタシの意思は? アタシはやっぱり人形にすぎないの?
「シェリア。石はどうされましたか?」
「宝石?」
「アクアクリスタルのことですよ。肌身離さずお持ちになられていたんでしょう?」
その名前を聞いた途端、シェリアは首元に手をやった。首にかけられているのは銀色の鎖だけ。アクアクリスタルはない。なぜなら彼女自身が引きちぎってミルドラッドの城内に置いてきたのだから。
思い出した。アタシは黒装束の男の人に連れ去られたんだった。アタシを、アクアクリスタルを迎えに来たって。それを命じたのは目の前の公爵なんだろう。そう考えると筋が通る。
「……アクアクリスタルをどうなさるおつもり?」
公女は今までよりも敵意を込めた瞳で公爵を見つめた。
「どうもしませんよ。ただ大切なものをお預かりしようと思ったまでです。貴女にとってもわたしにとっても」
――嘘。シェリアはとっさにそう感じた。はじめから結婚だけが目的だったらこんなことはしないはずだ。
「さあ正直に言ってください。石は一体どこにあるんです?」
「寄らないで。無礼者!」
近づこうとした公爵を大声で怒鳴りつける。
「それ以上寄ったら大声だしますわ。ミルドラッドにいるはずの公女が助けを呼ぶんですもの。あなたきっと捕まりますわ」
これは一種のカケだった。立て続けに色々なことがおこりすぎて頭が混乱している。まずは考える時間がほしかった。
「……いいでしょう。今日は引き下がりましょう。時間はまだありますからね」
あっさりと返事は返ってきた。
「わたくしをどうするつもりです」
「しばらくここに滞在してもらいます。わたしの元にいても何の不思議もないでしょう? 貴女はわたしの妻となる人なのだから」
その言葉にシェリアは青ざめた。アタシはもうここから出られないの? お父様やお母様にも、友達にも会うことすらできないの?
「女中を用意させます。身の回りのことはその者に頼むといいでしょう」
そう言うも公女は青い顔のまま公爵をにらみつけるだけだった。無理もない。ことの元凶である男に優しい言葉をかけられても余計不信感が募るだけなのだから。
「おやすみなさい。わが妃」
苦笑して再び公女の手の甲に口付けをすると、ラズィアの公爵は部屋からいなくなった。
誰もいない部屋で、シェリアはベッドにたおれかかった。
「なんなの、もう」
久しぶりに城に帰れば予想もしなかった婚約話。そしてその相手であるはずの男性に捕らわれてしまった。これで何も言わずにいられるだろうか。
「なんなのよ、一体」
枕に顔をうずめシェリアは泣いた。
それから一週間。シェリアは部屋から一歩も外に出ることができなかった。
食事や湯浴みはいつもさせてもらっている。だがいつも監視つき。これでは休まる暇もない。毎日訪れる公爵に監視のことを尋ねても話をそらされ、逆に石はどこだと質問攻めの日々。これでは気も狂いたくなってくる。
「でも、ここで泣き寝入りしちゃダメなのよね」
シェリアは必死に自分に言い聞かせる。
「『公女たるものいついかなる時も臨機応変に対応できなければならない』。そうよね?」
かつて自分にそう教えてくれた友人の、兄の言葉をつぶやく。それだけで幾分か彼女の心は軽くなった。
そう、しっかりしなくちゃいけない。アタシは公女なんだから。
その時だった。
「公女様、湯浴みの準備が整いました」
扉ごしに女性の声がする。ほんの少しだけ扉を開き、シェリアは外の様子を観察した。
そこにいたのは二人の侍女。一人は姿勢が正しく、いかにも侍女然と言った方がよさそうな初老の女性。もう一人は少女だった。恥ずかしいのだろうか、頭を下げているため表情は読み取れない。
「何度も言っています。それくらい一人で十分です。これ以上わたくしにかまわないでくださる?」
シェリアとしては棘棘しく言ったつもりだった。だが年老いた侍女は気にする様子もなくもう一人の侍女に呼びかける。
「ほら。あなたも何か言いなさい」
もう一人の侍女は、一つうなずくと公女にこう言った。
「公女様、お疲れでしょう? 私達がお手伝いします」
それは、公女にとって聞くに久しい者の声だった。
「……わかりました。お願いしますわ」
浴場に着くまでシェリアはずっと無言だった。侍女二人も何も言わなかった。やがて浴場にたどり着くとシェリアは言った。
「あなたはもうお帰りなさい」
「ですが、この子一人では――」
「外のお話を聞かせてもらいたいのです。それくらいいいでしょう?」
その笑顔はとても寂しげだった。
領主が丁重におもてなししろといわれた姫。その姫がこう言うのだ。自分よりも近しい年頃の娘の方が話もできるのだろう。年老いた侍女はそう思った。
「わかりました。あとでお迎えにあがります」
もう一人の侍女に『くれぐれも粗相のないようにするのですよ』と言うと、年老いた侍女はその場を後にした。
浴場の片隅で公女と侍女は言葉を発することなく対峙していた。
「あなたもそんなところにいないでこちらへいらしてください」
公女の呼びかけに侍女が近づく。
「うつむいてないで、顔を見せてくださらない?」
さらなる呼びかけに、侍女はゆっくりと顔をあげる。
「……まさか、来てくれるとは思わなかったわ」
それはシェリアの正直な感想だった。
自分がいなくなれば城内が大騒ぎになることは予想できた。だが、ことがことだし城内に着いた時点で契約の期限は切れている。彼女を友達だと言ったのは自分だ。でもまさかこうして助けに来てくれるなんて。
侍女は、まぎれもないシェリアの友人――まりいだった。