花鳥風月
01.予期せぬ来訪
彼は悩んでいた。
「おかしいよな。なんでこうなったんだろう」
真剣に悩んでいた。
「何度も確かめたのに。それでもありえないってことはあるんだな」
腕をくみ、同意を得るように視線を向ける。その先には彼と同じ年頃の少女がいた。
「『人生って何がおこるかわからない』先人は偉大なこと言うよな」
「そうね。それだけは同感」
少女もまた、悩んでいた。
「頭痛くなってきた」
「どうした? 風邪でもひいたか?」
心配そうに顔を近づける彼を片手で制し、深々と息をつく。
「あたしが油断した。今度こそ大丈夫だと思ってたのに」
目的地は前々から聞いていた。初めの場所ではなかったしそれなりに行き来のあった場所なので大丈夫だと思っていた。
用心のために地図だって準備していた。それでも万が一のためにと携帯電話には非常時の連絡先だって登録しておいたのだ。これではよほどのことが起こらないかぎり間違えようがないではないか。
そう。よほどのことが起こらないかぎりは。
「なんでこんなことになったんだろう」
「なんでだろうな」
彼の相づちに少女のこめかみが引きつる。が、頭をふって心を落ち着かせることにする。
「そうね。あたしが馬鹿だった。こうなることは想定内の範囲だったのに」
想定内の範囲だったから。時代錯誤だと言われるかもしれないが方位磁石まで準備しておいたのだ。万が一のことを考えて懐中電灯まで用意してしまった。まさか本当に役にたつことになるとは思わなかったが。肩にかけているのは大きめのトートバック。中に入っているのは携帯用の食料、その他もろもろだ。
「そうそう。人間、誰しも間違いはあるよな」
彼の同意の声に少女は天をあおぐ。あたりは暗くなり空には星が瞬きはじめている。
「そうね。まさか蒼(あお)までいてこうなるなんて」
「そうだよな。あおまで一緒にいてだもんな。よっぽどひどかったんだな」
うなだれながら少女は懐中電灯のスイッチを入れる。取り出す際にちらとトートバックに視線をやる。もっともこちらの中身までは使うことにはならないでほしいものだが。
ひどいのは誰かの頭の中。その一言は胸中にとどめておく。今は口にする時間も惜しい。
「本当になんでだろうな」
ぜんぜん。
まったく。
これっぽっちも気がついていないのか。
二度目のため息とともにこめかみを押さえる。自覚がない分、もしかすると少女の方が彼よりもより深刻な悩みになるかもしれない。
少女の悩み。それは目の前の人物のことにほかならなかった。
懐中電灯の明かりをたよりに夜道を歩く彼と少女。周囲は暗く周りには誰もいない。したがって会話は二人だけのものとなる。
なるはずだが。
《いい加減に認めてはいかがです》
第三者とも言うべきものの声に二人は視線を向ける。
そこにはやはり誰もいない。
否。普通の人間が見ればそうなのだろう。だが二人にとってはそうではなかった。二人にはちゃんと第三者の姿がわかる――視(み)えているのだから。
《このままでは時間を浪費するだけ。ここはひとつ、思いのたけを互いにぶつけてみるべきでは》
声に二人立ち止まる。確かにあたりは暗い。このままでは指摘通り無意味な時間が流れるだけだろう。それは自分の望むところではない。視線をめぐらせると彼も神妙な面持ちでうなずきを返した。どうやら二人の思いは同じだったらしい。
立ち止まって大きく息を吸うと。二人は声のうながすまま思いのたけをぶつけることにした。
「迷った!」
「アンタ自覚ないの!?」
夜道に歳若い男女の声がこだまする。
「いい加減、道くらい覚えなさいよ! 草薙月臣(くさなぎつくおみ)!!」
月臣。それが彼の名前だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
茶色がかった黒髪に日本人なら誰でもが持つであろう黒の瞳。そこからのぞくのはいたずらっ子を凝縮させ、好奇心と探究心と、さらに好奇心を加えてこねくりまわしたような色。
それが草薙月臣と呼ばれる者のいでたちだった。
「なにもフルネームで言うことないだろ」
月臣は憮然(ぶぜん)とした面持ちで彼女にむかう。
「アンタにはこれくらい強調しないと効果がないの」
「だったら、おまえこそしっかりしろよ。藤井瑠風(ふじいるか)」
一方、瑠風と呼ばれた少女は二つに結いあげた髪をいらただしげにかきあげた。
「なんでアンタまでフルネームなのよ」
「さっきの仕返し」
どうだと言わんばかりに胸をはる様は少年と呼ぶよりもむしろ子どもと呼ぶのがふさわしいのかもしれない。彼の態度に小腹がたったのだろう。瑠風は不機嫌そうな顔つきで応じた。
「なんかむかつく。つっきーのくせに」
「その言い方のほうがよっぽどむかつく」
「うるさいチビ」
「誰がチビだ!」
瑠風の返答に月臣は怒りの表情を向ける。
「あたしとそんなに身長変わんない奴はチビで充分」
「それって暗に自分もチビって言ってるようなもんなんだぞ」
「体格と性別を考えなさい。私は女。アンタは男」
瑠風の返答に月臣は激高する。
口論が増大していきそうなその時、第三者の声が再びわって入った。
《子どもの口論はそこまでにしたらいかがかと》
『だれが子どもだ!!』
異口同音に出た台詞に声の主は肩をすくめる。実際は姿が見えないのだから確かめようがないのだが。
《そういうところが子どもだというのです》
だが二人には視えるのだから仕方がない。主を見つめる彼と少女。先に折れたのは少女の方だった。
「ごめん。蒼(あお)。こいつといると精神年齢が低くなっちゃって」
《心中お察し申し上げます》
一方、彼の方は別の意味で折れていた。
「あおはいいよな。落ち着いてるししっかりしてるし」
《そのようなことは》
「背だって高いし。納豆だって残さず食べれるし。まさに大人だよな」
《……それは、あなたの大いなる偏見ではないかと》
「そりゃあ誰かさんよりも数十倍も大人でしょうよ。どこかの誰かさんよりは」
「どこかの誰かさんって誰だよ」
「さあ? 自分の胸に聞いてみたら」
そういうところが互いに子どもだというのに。
口を開こうとして声の主は思いとどまる。開けばそれこそ二次災害が広がるだけだ。余計な火の粉はかからないようにするに限る。
「それで。今はどのへんにきてるんだ?」
ふいに真面目な顔をした少年に瑠風は慌てて地図を広げる。
「今がここ」
ふむふむとうなずく少年を横目に瑠風は指先を横にずらす。
「目的地はここ」
方位磁石はなくしてしまった。正確には針が方位を全く指し示さなかったため憤怒した月臣が投げ捨ててしまったのだ。
「なんだ。すぐそばじゃん」
その『すぐそば』をここまでややこしくしたのはどこの誰なのだ。
それは瑠風と蒼と呼ばれるものの共通の思いだったが口を開くことはなかった。開けば口論になることは間違いなく、それを起こすだけの気力も体力も少女達にはない。
「そもそもなんで着いてきたのよ」
代わりの言葉を口にする。そもそも今回は一人で行くつもりだったのだ。一人であれば迷うこともなく、今頃は確実に目的地についていただろう。それなのに。
「おばさんから聞いた。松の森に瑠風が出かけるって。目的地が一緒なら二人の方がいいだろ」
こいつのせいで何時間も道に迷う羽目になった。恨み言の一つや二つ、いやこれまでの経緯を考えれば十や二十言っても余裕でおつりがくるだろう。
「予期せぬ来訪ってこういうことを言うのかしら」
瑠風は三度目のため息をつく。特に今回は別件があるから余計に連れてきたくなかったのに。ちなみに松の森とは今回の目的地の名前だ。出発する直前、自宅に電話がかかってきた。嫌な予感がしたので受話器を取ることなく家を出た。
電車に乗って二駅。そこから山に向かって歩くこと三十分。ほどなく目的地につくはずだった。それが四時間前。
電車を降りてホームの階段を上がって。駅の出口に立っていたのは見慣れた少年。結果、目的地につくことはできず代わりに三時間も路頭に迷う羽目になってしまう。
ここまでくるとわかるだろう。月臣は方向音痴だった。
ただの方向音痴であれば、地図を注意深く見ていさえすれば遅かれ早かれ到着することは可能だ。だか彼の場合、常人のそれとはひと並みもふた並みもかけ離れている故にたどり着くには相当の気力と体力を要することになる。これが瑠風が一人で来ようと、正確には月臣と同行したくなかった理由の一つだった。
「今日が何の日か覚えてる?」
「あったりまえだろ。今日はおれの日!」
胸をはる彼に瑠風は苦笑する。間違ってはいない。間違ってはいないのだが。
《地球では子どもの日とも呼びます。お二人にはそちらの方が馴染みが深いのでは》
「フォローをありがとう蒼」
にが笑いを浮かべつつ瑠風はトートバックから包みを取り出す。本当はちゃんとしたところで渡したかったのだが仕方ない。
向き直ると少女ははじめて口角をあげた。
「十七歳おめでとう。月臣」
声とともに包みを広げる。中からあらわれたのは銀色の腕輪。この日のために用意していたものだ。
《これで晴れて剣(つるぎ)の仲間入りですね》
二つの声が重なる。祝福の声に月臣は満面の笑みを浮かべた。
「サンキュ」
「でも本当に大丈夫なの?」
少年の笑みに瑠風は不安げな表情を向ける。そもそもそれが彼と同行したくなかったもう一つの理由だ。
「『本番』はまだ先じゃない。だったら今日じゃなくても」
思案顔の瑠風の声を月臣は一笑に付する。
「聞くだけ愚問ってもんだろ」
それは今までの子どものような言動からは想像もつかないような強気な笑みだった。
「ここで逃げたら男がすたる。今まで何のためにやってきたかってんだ」
逃げてない。
そもそもアンタが勝手に着いてきたんでしょーが。
そんな突っ込みを与える暇もないくらいの不敵な笑みで。
「それに」
「それに?」
「燃料切れだ。今行かないと飯に間に合わない!」
真顔でうなずいた後、そのまま目的地へ向かって走り出す。その様は十七歳の少年と呼ぶよりもむしろ。
「夕飯を待つ子ども」
《わたしは元気な子犬だと思いますが》
遠ざかる後姿に瑠風と声は深い深いため息をついた。
Copyright(c) 2011 Kazana Kasumi All rights reserved.