花鳥風月

  02.背負うもの  

 少年と少女が向かう先にあったもの。それは小さな一軒家だった。
「やっと、ついた……」
 見慣れた建物に瑠風(るか)は感慨深げにつぶやく。
 赤い屋根の小さな小さな家。家と呼ぶよりも小屋もしくは人里離れた別荘と呼んだ方がいいのかもしれない。本来ならば少女の自宅より電車に乗って二駅。そこから山に向かって歩くこと三十分で着くことのできる場所だったが少年の活躍のおかげで四時間半も時間を浪費してしまうこととなった。
 もっともその少年は瑠風の目の前で真っ白な灰になっているが。
《どうしました!?》
 玄関先で倒れている月臣(つくおみ)に心配そうな声があがる。
「ただの燃料切れ」
 にべもなく言い放つと瑠風は家の玄関先にあるブザー押す。呼び出し音がなること数秒。玄関を開けたのは長身の男だった。
「やっときた」
 眼鏡をかけた黒髪の男。平凡な顔立ちに人の良さそうな表情を浮かべている。ただし今回のそれは苦笑に近いものだが。
「もう夜だぞ。家に連絡はしたの?」
「帰りは遅くなるって言ってきたから大丈夫です」
「ならいいけど。瑠風も年頃の女の子なんだから。何かあったら親御さん心配するぞ?」
 もちろん俺も。そう言って頭上に手を置いた男に少女は静かにうなずく。その様子を目の端に留めた後、男は家の中を指さす。
「まずは入りなよ。お腹すいてるだろ」
「大丈夫です」
「遠慮しなくていいって。腹が減っては戦はできぬって言うしな」
「だから大丈夫――」
 ぐきゅるるるううう。
 特大級の腹の音に少女は顔を赤らめ男は苦笑いを浮かべた。
「ほら。おなかすいてるんだろ――って、あれ?」
 そこでようやく男は視線を目の前の少女から下に移す。少女と青年の足の間にあったのは少年の後頭部だった。
「今日は一人じゃなかったんだ?」
「そのつもりだったんですけど、余計なおまけがついちゃって」
 おまけと呼ばれるものを足蹴にすると瑠風はトートバックから再び包みを取り出す。先ほどの腕輪とは違い、今度はもっと大きなものだ
「聞いて下さいよ。こいつのせいでどれだけ遠回りしたか」
 途中、ぐえっという声がしたが意に介することもなく、続けて不満を口にする。
「そうならないためのコイツだったんだけどな」
 そう言って男は包みを広げる。少女から受け取ったの一本の剣。銀色のそれを鞘(さや)から抜くと、男は静かに称号を唱える。
「蒼前(そうぜん)」
 現れたのは真白な髪と肌を持つ青年。外貌(がいぼう)は少年より年上、黒髪の男よりも年若いといったところか。
 青い瞳を伏せると青年は生真面目な声で謝罪した。
《申し訳ありません。我が主。わたしが着いていながらこのような事態を引き起こしてしまうとは》
「いや。そんなたいそうなことじゃないから。こいつの方向音痴は筋金入りだし」
《これもひとゆえにわたしの精進が足りなかった故のこと。これからはいっそう気を引き締めてまいります故(ゆえ)》
「単にコイツの方向音痴がずば抜けですごかっただけよ」
 青年と少女の声に苦笑すると黒髪の男は足下の少年に声をかけた。
「おーい。生きてるか」
「師匠。今日の飯は?」
 男と少年の声が重なること数秒。
「ひさびさに会って第一声がそれか」
 これが数ヶ月ぶりの師匠と弟子の会話だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 食卓に並ぶのは豚肉と高菜の炊き込みご飯にゆで野菜のサラダ。添えられたのはかき卵の汁物だった。
 まずは飯にしよう。話はそれからだ。
 師匠の提案により始まった遅めの夕食は、二人によってあっという間にたいらげられてしまう。
「やっぱ師匠の料理ってうめー!!」
《燃料は無事補給できそうですね》
 蒼前の声にうなずきつつ一心不乱に箸をすすめる少年。一方の少女も黙々とだが、普段よりも数段速いペースで汁物に口をつけている。どうやら腹の音は伊達ではなかったらしい。
「月臣じゃないけど、本当に昇さんの料理っておいしい」
「そう?」
 瑠風の賞賛に師匠は満足そうな笑みを浮かべる。
「だから前から言ってるだろ。師匠は絶対いいお嫁さんになれるって」
 が、弟子の賞賛に笑みをはりつけたまま表情が固まる。
「師匠が女だったらおれ、マジでプロポーズする」
 が、少年少女はそんなことはお構いなしに箸をすすめる。
「アンタにそっちの気があるとは思わなかった」
「だから女だったらの話。うちのねーちゃんも言ってたぞ? 師匠の女装姿は誰もが目をみはったって」
「初耳だけど。それ」
「そう? おれの家じゃよく聞く話だけど」
「……女装って普通の男の人はしないと思うけど」
 二人の会話の内容に男の箸が止まる。
「だから昔の話だってさ。そもそも師匠は普通の男の人じゃないから問題ない!」
「言われてみるとそうね」
 子どもの声は時に残酷だ。
「それによく考えてみろよ。器量もよくて頭もそこそこよくて。悪いのは運の悪さだけって、これぞまさに優良物件!」
「最後の一つが致命的じゃない」
「仕方ないだろ。それだけはどれだけ努力しようと向上のしようがないんだから」
 子どもの声は、時に本当に残酷に師匠の胸に突き刺さる。見かねた蒼前がおずおずと口を開いた。
《つっきー。それくらいにしてあげてください》
「なんだよ。まだまだ言い足りないぞ? 師匠の武勇伝」
《主が再起不能になります》
 なだめるような声にようやく子ども達の声が止まる。そこには年甲斐もなく床に『の』の字をかく男の姿があった。
「見事なまでにへこんでるわね」
「師匠、大丈夫? まさか突発的な持病が!?」
「……わかってないならいいんだ」
 なぜか笑顔を引きつらせ、師匠は椅子に座り直す。
「それで。例のものはできた?」
「もちろん!」
 箸を食卓にもどすと瑠風は少年の腕から強引に腕輪を引きちぎる。途中、彼の『いてっ』という声がしたが、あえて聞かなかったことにする。
「昇さんが作ったものに比べたらまだまだですけど」
 そう言って差し出したのは銀色の腕輪。正確には馬の模様が刻まれた銀製の腕飾りだ。腕輪をすみずみまで見た後、師匠は口の端を上げた。
「この前よりもよくなってる」
「本当ですか!?」
 満足げな声に瑠風はぱっと表情を輝かせる。
「紋様も前よりも細かく掘れてるし、前よりもぜんぜんいい。よく頑張ったな」
「師匠。おれは?」
「つくはまず、道を覚えような」
 それだけ言うと、師匠は真面目な顔をする。
「それで。ここに来たってことはお前も覚悟ができたんだ?」
「当然! なんたっておれは『剣(つるぎ)』なんだから!」
 家に着く前に、少女や蒼前にも伝えていた呼称を再び口にする。

 剣。それは人の創りし武器。
 剣。それは道を切り拓(ひら)くもの。
 『剣』とは、文字通り世界をまたにかけた謎の鍛冶屋。
 『剣』は『剣』であってそれ以外の何ものでもない。それだけの存在だから自分の信じるままに生きなさい。

「ゴセンゾサマもいろんなとこ旅してたって言ってたし。おれだってそれくらいやんなきゃ」
「そうだなー。お前はご先祖様の似なくていいところまでしっかり似てるしな」
 不思議そうな顔をした弟子になんでもないと手をふると、師匠は床に模様を描きはじめる。
 人が入れそうなほどの大きな円形に六芒星のシンプルな図柄。しばらくすると模様から淡い光が放たれる。
「我、地を司りしものが命ず。人は、なぜ時を紡ぐ。人はなぜ未来を望む」
 祈りの言葉を紡ぐのは黒髪の男。
「我は時の輪を砕くため、二人の行く末を見守るため、時の鎖を断ち切る!」
 光が強さを増していくのを確認すると、師匠は二人に陣の中に入るよう促す。
「瑠風。こいつのサポート頼む」
「そうなりますよね」
 瑠風の声に頼むと告げた後、師匠は傍らの青年に依頼した。
「蒼前。二人のサポート頼む」
《そうなりますよね》
 苦笑すると青い瞳の青年は瞬時に姿を変える。柄に蒼(あお)色の模様がはいった銀色の剣。元の姿にもどったそれを男は残りの一人に手渡す。
「時間は長くて二時間。それ以上は戻ってこれなくなるから注意するんだぞ」
「わかってるって。師匠も心配性だなあ」
 お前が一番心配だから言ってるんだ。
 思わず口走りそうになったが時間の無駄になりそうだったのでやめる。そうこうしているうちに、二人の周りの光は最大限の輝きを放つ。
『行ってきます』
 二人とひとつの声があがった後、光は急速に失われていく。後に残されるのは黒髪の男、ただ一人。
 本当にわかっているのだろうか。『剣』という名前が持つ意味を。『剣』という名跡(みょうせき)が持つ役割を。
「あいつもあれで色々あるからなあ」
 残された食器を片付けながら師匠は一人つぶやく。
 少女であれば、なんなく役割をこなしてくるだろう。だが少年の方はどうだろう。三つ子の魂百までとは言わないが、小学生がそのまま歳を重ねただけという感じがしてならない。
 それよりも。なによりもだ。
「つくのあれは人間の領域をはるかに超えてるからなー」
 方向音痴は世界を超える。なんてことにはなってほしくないところだが。
 一瞬、最悪の事態が頭をよぎるが頭をふって否定する。
「ま、なんとかなるか」
 師匠はとんとんと自分の肩をたたくと、大きくのびをした。

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