花鳥風月

  序章  

 月明かりの下で二人は出会った。

 彼女は泣いていた。
 地面にしゃがみこんで。声をあげることなく両手で顔をおおって。
「どうしたの?」
 彼はたずねた。
「どうして泣いてるの?」
「わからない」
 そう答えると、彼を見ることなくさめざめと泣きくずれる。彼といえば、どうしていいかわからずそのまま立ち尽くすしかなかった。
 泣く彼女と立ち尽くす彼。
 互いに何も語らぬまま、時が流れた。
「わからないのに泣いてるの?」
「だってわからないもん」
 そう言うと嗚咽をもらす。
 彼は困った。どうしていいかわからなかったのだ。
 泣いている女の子。その姿は見ているものの胸を締めつけるようで。
「これからよくないことが起こるって。だからわたしのちからがひつようだって」
 泣いているのはよくない。そう。よくないのだ絶対。
 困って。考えて。
 考えぬいた結果、彼が出した結論は。
「じゃあさ。ぼくがなってあげる」
 彼の提案に彼女は初めて顔を上げる。
 漆黒(しっこく)の髪の少女。涙にぬれた跡があるものの、髪と同じ色の瞳は宝石を散りばめたようにきれいで。
「なってあげる。ヒーローに」
「ひーろー?」
 小首をかしげる彼女に彼は声高らかに公言する。
「エイユウのこと。とにかくすごくつよくてカッコいいんだ。
 かくん第一番! 男はつねにエイユウであれ!」
 少女は泣くのをやめ不思議そうなまなざしを彼にむけた。
「かくん?」
「ゴセンゾサマの言いつけなの」
「ごせんぞさま?」
 さらに小首をかしげる彼女に彼はほこらしげに続ける。
「大むかしのえらい人。すごい力があって、わるものなんかばったばったとなぎたおしちゃうんだ。
 エイユウがいたらさ。よくないこととかいやなこととか吹きとんじゃうよ。そしたら泣かなくてもだいじょうぶだよ!」
 顔を真っ赤にして半ば興奮気味にしゃべるそのさまはとても。
「……へんなの」
「へんじゃない」
「だってへんだもん!」
 いつの間にか彼女の涙は止まっていた。
「へんじゃないったらないんだ!!」
「へんなものはへん!!」
 止まったどころか彼同様、顔を真っ赤にして声を荒げはじめる。
「ひーろーなんて見たことないもん! そんなひといないもん!!」
「だからぼくがなるっていってるでしょ!!」
「なれるわけないもん! わたしずっとひとりだもん!!」
「ひとりになんかさせない! ぜったいエイユウになる!」
「なれないよ!!」
「なれるよ!!」
 不毛な争いはなかなか終わりをみせない。
 ようやく幕を閉じたのは互いに疲れ果てたころ、彼のつぶやいたこの一声からだった。
「……おなかすいた。
 そういえばぼく、なんでここにいるんだろ」
「……わからないよ」
「どうしよう。ねーちゃんにおこられちゃう」
 それまでとはうってかわった表情の彼に、彼女はおずおずと声をかける。
「ひーろーになる人がおねえちゃんがこわいの?」
「それとこれとはべつ! ねーちゃんはエイユウよりこわい!!」
 意気込んで言うさまははじめの提案、もしかすればそれ以上に力の入ったもので。
「やっぱりなれないよ。エイユウなんて」
「エイユウにはなる! でもねえちゃんにはどげざしてあやまる!」
 それがおかしかったのか彼女は声を荒げるのをやめくすくすと笑いだした。なんだよと柳眉をつりあげていた彼もしだいに笑みがこぼれる。
 ひとしきり二人大きな声で笑いあった後、彼女は問いかけた。
「あなた。お名前は?」
「ぼくの名前は、あれ」
 彼がさした場所。そこにあるのは夜を照らす大きな月。


 月だけが知っていた。これがすべての始まりだということを。

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