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● 家族写真 ●

第三話

「連絡はしたから帰っていいぞ」
 椎名を保健室まで運んで先生を呼んで。一連の動作が終わるまで三十分を要した。
「椎名の母さんが来るまで待ってます。このままだとすっきりしないし」
「そうか。じゃあ来たら呼ぶからな」
 それだけ言うと先生は職員室に戻っていった。後に残されたのはオレと椎名と保健の先生の三人。
「椎名って体弱いんですか?」
 そう聞くと、『喘息よ』と返事が返ってきた。
「それって風邪が悪化したやつ?」
「それは肺炎。まあ呼吸器系の病気だから全く無関係とも言えないわね。一度発作が起こるとなかなかとまらない」
「それって治るんですか?」
 さっきの椎名とても苦しそうだった。普通の風邪なんかじゃあんな苦しそうな息はしない。もしかしなくても、あれが学校を休む原因なんだろう。
「だいたいは大人になる頃には治癒してるけどね。でもなかなか治らない人もいる」
「知らなかった」
 本当に知らなかった。時々学校を休んでることは知ってたけどそんなにひどいものとは思ってなかったし。
「大沢君は中学生なんだから知らないのも無理ないわ。
 本当は運動もあまりさせたくないんだけどね。教師としては本人の意思を尊重してあげないといけないから」
 その後『飲み物でも作ってくる』と言い残し、保健の先生はいなくなった。残されたのはオレと椎名の二人だけ。
 病気、か。
 最近は病気はおろか怪我らしい怪我もしたことなかったからそんなの考えたこともなかった。オレ達が学校でバカやってる間、椎名はさっきみたいな発作と戦ってたんだろうか。
 ふと顔を近づける。
 こんなに間近で見たのってはじめてた。いつもはびくびくしてるし、呼びかけてもさっきみたいに怖がってるし。
「……可愛い、よな」
 磨けば光る。坂井の観察眼はなかなか鋭い。……って、そんなこと考えてる場合じゃないだろ! けど……確かに可愛い。
 髪に触れようとしたその時だった。
「う……」
 小さなうめき声にとっさに手を遠ざける。ついでに座ってたイスごと体も遠ざける。いや、なんか変なことしようってわけじゃなかったんだけど。なんかつい。
 見守ること数分。寝返りをうち一言だけつぶやくと保健室は再び静かになった。
「ショウ……」
 規則正しい寝息をたてているのを確認して再びイスを椎名のそばに近づける。好きな奴の名前なんだろーか。それとも彼氏かも。って、どーでもいいよな。そんなこと。
 呼吸はだいぶ楽になってきた。よかった。もう大丈夫――
「まりい!」
 慌しい足音と共に大人達が姿を見せる。
「今は落ちついてるみたいです」
 イスから席をはずし大人達に状況説明をする。一人はさっき出て行った保健の先生。もう一人は髪の長い女の人。肩で息をしてるのがわかる。よっぽど慌てて来たんだろう。
「これからどうするんですか?」
「病院に行くわ。この子を診せないとね。つきそっててくれてありがとう。もう帰っていいわよ」
 続けて『本当は救急車を呼ぼうと思ったんですが様子を見てからと思いまして』『お気遣いありがとうございます』と大人同士の会話にはいる。言われなくてもわかる。この人がきっとそうだ。
「……オレも行っていいですか?」
「気持ちは嬉しいけどそこまでしなくてもいいわよ」
「オレがそうしたいんです。お願いします」
「でも――」
 保健の先生が何かを言おうとしたその時だった。
「わたしからもお願いします。彼には付き添う権利があります。家にはちゃんと送りとどけますので」
 そう言ってくれたのは後から来た女の人。先生もしぶしぶ了解してくれて、結局三人で病院に行くことになった。
「あなたが大沢昇くん?」
 車の中で、親父の再婚相手にオレは無言でうなずいた。


 病院について診察を受けて。診断名は先生が言ってたように『喘息』。発作はおさまったものの念のためにということで椎名は別室で点滴注射をうけている。
 することもないからオレと椎名のお母さんは売店で買ったジュースを飲みながら点滴が終わるのを待っていた。
 待ち時間がひどく長く感じられる。
 病院に入る時は緊張する。緊張? 違う。勇気がいるんだ。怖いから。入ったら最後出てこられなくなりそうで。
 あの時もそうだった。機械の音に無数の管。つながれている人は――
「大沢くん?」
 椎名のお母さんの声にはっとする。
「なんでもないです」
 頭をよぎった昏い考えを慌てて追い払う。違う。あの時とは違う。今は椎名の体のことが先決だ。
「入院になるんですか?」
「そうなるみたい。今までは通院だけですんでたんだけどね」
 そう言った椎名のお母さんの表情は悲しそうだった。
「大沢くん――」
「昇でいいです」
 そう言うと『じゃあ昇くん』と付け加えた後、再び会話をはじめる。
「昇くんはわたし達のこと、どこまで知ってる?」
「椎名のお母さんで、親父の再婚相手ですよね。本当は今日夕食のはずだったけど」
「お流れになっちゃったね」
「親父にはさっき電話したからいいです」
 結局四人で食事どころの話じゃなくなった。仮によくなってもこれじゃ何もできない。すると今度は唐突な質問をしてきた。
「昇くん。わたしとまりいって似てる?」
 この質問には正直悩んだ。外見はこう言っちゃ悪いけど似てない。そりゃ似てない親子だってよくある。この女の人は『お母さん』と呼ぶには若い気がする。そりゃ若い母親ってのもよくある。けど根本的な何かが違う気がする。
 よっぽど思いつめた顔をしていたのか、椎名のお母さんはオレを見てくすりと笑った後、隣に腰をおろしてこう言った。
「わたしとまりいは血がつながってないの」
「え……」
「四年前になるかな。わたしがまりいを引き取ったの」
 これは父さんの『俺、再婚することにしたわ』宣言の次に爆弾発言だった。連れ子がいるとは聞いてた。けどそんなこと、親父一言も言ってなかったし。もしかしなくても食事の時に言うつもりだったのか? ぎりぎりにもほどがあるって。
「こんな場所で話すことでもないんだろうけど。これは勝義さん、あなたのお父さんにも言ったことだから。
 昇くん。あなたはわたしをお母さんと呼べる?」
「……わかりません」
「昇くん。あなたはまりいを『お姉さん』と呼べる?」
「……わかりません」
 混乱してる頭を落ち着けるように大きく息を吐く。本当にわからなかった。いや、今の時点ではきっと――言えない。
「そう言ってくれるだけいいわ。あの子は質問に答えてくれなかったし『お母さん』なんて一度も呼んでくれたことがない」
 隣を見ると寂しげに笑う母親の姿があった。きっとこの人なりに椎名のことを心配して――大切にしてるんだろう。そう感じた。
 しばらくすると椎名のいる部屋から看護師が出てくる。『わたしのことは《つかさ》でいいわよ』と言うと、椎名のお母さん――つかささんは病室に入っていった。

 椎名は目を覚ましていた。点滴はもう終わったのかはずしてある。
「大沢君? つかささんも……」
 自分の置かれた状況がまだわかってないのか、ベッドから上体を起こしオレとつかささんを交互に見ている。
「ようやく起きたわね」
「ここは?」
「病院。あんた学校で倒れたのよ? 覚えてないの」
 本当に覚えてないらしい。首を横にふると毛布をぎゅっと握りしめる。
「用心のために先生が一週間くらい入院しなさいって。あんたはここで休んでなさい。荷物は後から取ってくるから」
「入院……」
 呆けたようにその途端、椎名がさっと顔を青ざめさせる。
「嫌! こんなところにいたくない!」
 今までの弱々しかった態度が嘘のように毛布をはぎドアを開けようとする。でも病み上がりでそんなに動けるはずもなく、つかささんが手をつかむとくずれるように足を止める。
「いい加減にしなさい。そのままじゃ学校にも行けないわよ」
「じゃあ学校行かない」
「まりい!」
「つかささんにはわからないよ!」
 椎名の叫び声に、つかささんが言葉を失う。
「……わからないよ。どうして私だけこんな目に遭わなきゃいけないの」
 それは今まで見たこともない一面だった。
「学校に行っても発作と入院の繰り返しなんだよ? 教えて。私はいつまでこんなことをしてればいいの?」
 義理の母親を見つめ、涙ながらに語りかけてくる。椎名はずっと耐えてきたんだろう。オレ達が学校にいる間、一人病気と戦ってたんだ。それはきっと孤独な戦い。
 けど次の言葉は許せなかった。
「私がいなくなったほうが、つかささんだって清々するでしょ? だったらはじめからそう言って。
 このままなら学校に行ったって、生きてたってしょうがない!」
「まり――」
「そんなに嫌なら学校くんな!」
 病室を静かにさせたのはつかささんの一言じゃなくオレの怒声だった。
「悲嘆にくれるのは勝手だけどな、そんな周りも自分も傷つけるようなこと言うな! 世の中にはな、生きたくても生きれない奴だってたくさんいるんだぞ」
 そう。そんな奴はたくさんいる。
 生きたいって必死にあがいて、それでも死を迎えるしかなくて。どれだけ願っても聞きいれてはもらえなくて。
「大沢君に私の気持ちなんてわかるわけない!」
「わかんねーよ! 話してくれなきゃわかるわけないだろ!」
 半ば興奮ぎみに叫ぶ椎名を止めたのも、オレの怒声だった。
「わかってほしいならちゃんと話せよ。そうじゃなきゃわかるわけない。
 周りから手を貸してはあげられるかもしれないけど、言ってくれなきゃ何もしてあげられない」
 椎名は叫ぶのをやめ、半分呆けたようにオレの方を見ていた。
 自分でも、なんでそんなことを言ったのかわからなかった。二人にかつての自分をみていたのか、それとも椎名の姿が痛々しかったからなのか。確かなのは、オレは今、椎名に怒ってるという事実だけ。
「言ってくれなきゃわかんないよ。自分が変わらなきゃ何も変わんないだろ!」
 ごめん親父。オレ、再婚には賛成できない。少なくとも今の状態じゃ一緒に暮らせない。
「……騒がしくしてすみませんでした。お大事に」
 それだけ言うと病院を後にした。
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