第四話
「それで落ち込んでりゃ世話ないよな」
「…………」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
坂井の言うように、オレはみごとに凹んでる。理由はこの前のあれだ。椎名が倒れてつかささんと一緒に病院に行って。『生きてたってしょうがない』の一言にキレて怒鳴って帰った。
家に帰った後事情を説明して。親父は一言『そうか』と言っただけ。それから再婚のことは一言も口にしない。いつもは必要以上に喋るくせに、こんな時だけ黙ってる。それが余計きつかった。
「誰かさんは一週間学校来ないな」
主のいない机を見ながら友人がつぶやく。
教室に椎名の姿はない。病院に連れて行った翌日、病気で入院することになったと担任から連絡があった。それがちょうど一週間前。病院には行ってない。つかささんもだけど、椎名と顔を合わせたくなかった。顔を合わせたらまた何か言いそうだったし。
「誰かさんは一週間ウジウジしてるな」
主のいる机――オレを見ながら友人がつぶやく。
女子とは話せないってわけじゃない。人見知りはしない方だしむしろ話せない奴の方が少ない。相手が椎名だから上手くいかないんだ。オレ見てしりごみするし、あげくのはてにはぶっ倒れるし。初めて本音で言われた一言は『大沢君に私の気持ちなんてわかるわけない!』だし。
「昇?」
「……なんでもない」
マジで凹んできた。別に相手のことをどうこう思ってたわけじゃない。けど面とむかってそんなこと言われりゃ誰だって傷つく。
「お前って本当に自滅型だな」
机に突っ伏したオレの頭をそう言ってポンポン叩く。
「日直の仕事押し付けた奴に言われたかない」
「せっかくのチャンスを無駄にして自滅してる奴に言われたくもないなぁ」
皮肉を皮肉で返されまた言い返せなくなる。その様子を面白そうに見た後、坂井は目を細めて言った。
「目の前でウジウジされてもうっとうしいだけだっつーの。そんなに気になるなら行ってくりゃいーじゃん」
そんなのわかってる。わかってるけどさ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
久々に、ここに来た。
ここにはあの人が眠ってる。本当は燃やされて形もなくなってるけど、そんな気がしてならない。ここは三人の思い出の場所だから。父さんとオレとあの人との最後の思い出の場所だから。
「母さん」
久しぶりに口にすると、それが故人のものだということを改めて実感させられる。
「……父さんが再婚するって。オレに家族ができるって」
返事は返ってこない。当たり前だ。ここには元から誰もいない。
母さんが眠ってる。オレが勝手にそう思い込んでるだけ。はじめっからそんなことわかってたはずなのに。
「オレ、どうしたらいい?」
それでも呼びかけてしまうのはなぜだろう。それでもここに来てしまうのはなぜだろう。
答えは簡単。認めたくないからだ。怖いからだ。
(あなたはどうしたい?)
ふいに、そんな声が聞こえたような気がした。
「オレは――」
目をつぶり、今までのことを考える。
このままだと確実に再婚は白紙になる。椎名達のことが嫌いと言うわけじゃないし、かと言って再婚を素直には喜べない。
だけど。
目を開けると、病院にむかって走り出した。
「昇くん?」
入り口にはつかささんがいた。
「どうしたの。学校は――」
「椎名いますか?」
つかささんが言い切る前に自分のセリフを言い切る。
「椎名と話をさせてください」
あれから色々考えてみた。
椎名の一言には腹がたったし、つかささんを『お母さん』と呼べるとは思えない。
「それから……もう一度、つかささんとも話をさせてください。今度は四人で」
けど、それは『今』のこと。『明日』はどうなってるかわからない。未来はどうなるかわからない。このまま終わるのだけは嫌だった。
「再婚には反対じゃなかったの?」
「反対はしてません。賛成もしてないけど」
これが本音だった。初めて聞かされた時だって手放しで喜んだわけじゃない。けど親父には幸せになってもらいたかった。親父は充分苦労してきた。オレの人生があるように、親父にも親父の生き方がある。もうオレに縛られる必要はないんだ。
「一つだけ聞いていいですか?」
だから、今一番聞きたかったことを言う。
「親父のこと、その……」
『好きですか?』とは聞きづらい。ましてや『愛していますか?』なんて――
「好きよ」
答えはあっさり返ってきた。
「わたしは勝義さんを愛してます。そう聞きたかったんでしょ?」
そう言っていたずらっぽく笑う。
「なんで――」
「あなたが本気で聞いているんだもの。本気で返すのが礼儀でしょ?」
今度はオレが言い終わる前に言い返される。そんなにオレは顔に出やすい体質なんだろーか。そんなことを考えていると、つかささんは続けてこう言った。
「わたしは『まどかさん』の代わりにはなれない。でも『つかさ』として、一人の女として勝義さんの側にいることはできる。
そして、あなたとまりいのことをもっと知りたい。そう思う自分もいるの。それがわたしの本音」
それはまるで告白のようだった。公衆の面前にもかかわらず堂々と言う姿は男のオレから見ても勇ましかった。
「だから、あなたも本音で接すればいい。自分を押し殺す必要はないのよ?」
少しだけ、親父がこの人と再婚したいと言った気持ちがわかったような気がした。
この人は強い。見た目云々じゃない。もっと奥の部分が強いんだ。そしてそれは、母さんに似ている。
「あなたはどうしたい?」
オレは。
「オレも……知りたいです。つかささんのことも、椎名のことも。だから――」
その時だった。
「大沢君……」
病室の扉を開けて、椎名が顔をのぞかせる。前よりも顔色はずいぶんよくなっていた。ちゃんと回復してたんだな。よかったと言おうとして一週間前のやりとりを思い出す。
オレは椎名のことを知りたい。いや、知らなきゃいけない。まずはそこから始めないといけない。
だから。
「椎名借ります。ちゃんと戻ってきます」
問答無用で椎名の腕をつかむ。背後から『遅くならないようにね』とつかささんの声が聞こえる。
「大沢君、私――」
「ごめん。今だけ黙ってついてきて」
それだけ言うと、またあの場所に向かった。
わかっていたはずだったけど、わかってなかった。
頭では理解してても感情はそううまくいかなかった。
「ここは?」
「我が家ゆかりの地」
あの日から何度か足を運んでいた。けど一日に二回も来たのは初めてだった。
「……本当は、オレだけのゆかりの地なんだけど」
「え?」
「なんでもない」
手を離すと視線を向日葵(ひまわり)に向ける。五月のはじめだから、まだどれも花を咲かせてない。
向日葵畑。ここが朝来た場所だった。子供の頃父さんと母さんの三人でここに来て、その後母さんが死んだ。だからここは三人の縁の地。家族最後の思い出の場所。
家から墓はそんなに離れてない。にもかかわらず、墓より遠いここに足がはこぶのはなぜだろう。オレだけがここに来てしまうのはなぜだろう。
答えは簡単。認めたくないからだ。怖いからだ。――ことが。
『あなたはどうしたい?』
父さんには幸せになってもらいたい。四年も苦労してきたんだ。いい加減再婚しても罰はあたらない。そう思う反面、それを喜べない自分がいた。
自分を押し殺してるかどうかはわからない。でもそう言ったつかささんのことを知りたい。そう思ったのも事実だった。そして椎名のことも。
「椎名」
だから、伝えたかったことを言う。
「『生きてたってしょうがない』なんて、悲しいこと言うなよ」
今まで、椎名の人生にどんなことがあったのかはわからない。あの時腹をたてたのは椎名が嫌いだったからじゃない。椎名に生きてもらいたかったからだ。
「『負けるか』って思ってりゃなんとかなるもんだって。そりゃ嫌なこととかたくさんあるかもしれないけど、前向いてれば大丈夫だって」
この場所を選んだのは、ここだと椎名とちゃんと向き合える気がしたから。まっすぐに、自分に正直に。ここにあるのは向日葵。太陽の花――オレの花だから。
「……くるかな」
向日葵畑の中、小さな声が聞こえる。
「本当に、そんな日がくる?」
「絶対くる」
オレがそうだったから。
「学校行って、皆で笑ったりはしゃいだりできる?」
「できるに決まってるって」
オレだってできたんだから。そう言うと、椎名は顔をゆがめた。
「椎名?」
オレまた余計なこと言ったか!? 慌てて言いつくろうとすると、服の裾をぎゅっとつかまれる。
「……がんばってみる。私、やってみる」
花がこぼれるような、とはこんな表情のことを言うのかもしれない。実際は泣き顔だったけど、その時の椎名は――本当に綺麗だった。
母さん。オレは大丈夫です。
「帰ろう。つかささん心配してる」
大丈夫。ちゃんと生きてます。
「この前はごめんなさい」
「オレこそごめん」
オレ、平気だから。大丈夫だから。
だから、そこで見守っていてください。父さんのことを。できれば……オレのことも。
「椎名」
数歩先で足を止め、この前言えなかったことを言う。
「話したいことがあるんだ。……聞いてくれる?」