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第十章「真実(ほんとうのこと)」

No,9 過去と未来と(中編)

 葬式の日。外は雨だった。
「このたびは……ご愁傷様です」
 すすり泣きと共に聞こえるのは、大人達の声。
「もともと病弱な人だったからねぇ」
「お子さんもまだ小さいのに。お父様も大変ね」
 みんな何を言ってるの?
「どちらにしてもああなる運命だったのかしら」
 運命? 運命ってなんだよ。母さんは、ああなるべきだったって言うの!?
 車によるひき逃げ。頭部を強く打ったことによるショックおよび出血死。言葉の意味を理解したのは、それからもう少ししてからのこと。おれ自身もケガがひどかったらしく、当日も頭に包帯を巻いての参加だった。
「父さん。母さんは?」
 問いかけると、父さんは、おれをぎゅっと抱きしめる。
 いつも元気で。笑ってばっかりで。豪快で。弱いところなんか、かけらもなくて。
「昇……っ!」
 その父さんが、声を殺して泣いていた。
 ねえ、なんで泣いているの? どうして、何も言わないの?
 わかりたくなかった。気づきたくなかった。
「昇くんも、お花を飾ってあげようね」
 そこにあったのは、見間違えるはずのない大切な人の顔だったから。
「それでは、出棺の準備に移らせていただきます」
 聞きなれない言葉に視線を向ける。
「シュッカン……?」
「母さんを天国に送るんだ。このままでは、安心して眠れないから」
 力なく笑った父さん。その先にあるのは、暗くて細長いトンネル。
 母さんの入れられた箱がトンネルの前に置かれる。言葉の意味するものは。
「やめて!」
 なんでそんなことがわかったのか。自分でも予測不能だった。とにかく本能で悟ったとしか言いようがない。
 燃やされて、灰になって。母さんだったものは、おれよりも、小さくて儚いものになってしまう。まるで、はじめからそこに存在してなかったかのように。
「父さん止めて! 母さんが!」
 訴えても、父さんは願いを聞き入れてくれなかった。ただじっと、黙しているだけ。まるで、全てのことに耐えようとするかのように。周りからも、たくさんのすすり泣きが聞こえた。けど、そんなことはどうでもよかった。
 天国なんて行かなくていいから。
 安心して眠らなくていいから。おれがたくさん、たくさん、たたき起こすから。
「お願い。母さんを――」

 母さんを燃やさないで!

 雨は、いつまでたってもやまなかった。
 大人達をふりはらって、斎場の外に出て。傘を持ってくればよかったけど、がむしゃらだったから手ぶらで。
 途中で転んだ。でも、手を差し伸べてくれる大人はいないから、自分で立ち上がるしかない。ずぶぬれで、泥まみれ。なぜか、おれにはそれがあってるような気がした。
 人の声は聞こえない。聞こえるのは、雨の音のみ。
 運命ってなんだろう。絶対に変えられないもの?
 神様ってなんだろう。願いをかなえてくれる人?
 どれだけ願っても、がんばっても。聞き入れてもらえることはなかった。だったら、おれは、初めからそんなもの信じない。
「あと二十分で終わるそうだ」
 声と共にかけられたのは黒い傘。
「外にいても仕方ないだろ。このままだと風邪ひくぞ」
 確かに体はぬれていたし寒かった。だけど、寒かったのは別のもの。
「……昇?」
「おれの……せいだ」
 漏れた言葉は、疑問形ではなく、断定形だった。
「おれが外に連れ出したから。だから――」
「違う」
「違わないよ!」
 傘を振り払ったから、再び体が雨にぬれた。
 雨が、二人を濡らしていく。小ぶりだったそれは、時間がたつにつれひどくなっていく。まるで、心のうちを代弁するかのように。
 だったら、この雨は誰かの涙なんだろう。おれのものかもしれないし、父さんのものかもしれない。もしかしたら、母さん自身のものかも。
 おれのものってことはないか。これ以上、涙なんて出ないよ。
「おれが母さんを連れ出したから! だから母さんが車に轢かれたんだ」
 それまでの自分の行いをかみしめるように、言葉を紡ぐ。
 『帰ってきて』って言わなかったら、母さんは退院することはなかった。時期をみて手術を受けて。三人でまた、暮らせるはずだったんだ。
 おれが一緒にいたいって願わなければ、死ぬことはなかった。
「おれが母さんを殺したんだ!」
 叫び声と頬をたたく音がしたのは、ほとんど同じだった。
 二人の間にあるのは、雨とよこなぐりにされた、傘のみ。
「いい加減にしろ」
 頬は痛かったし、熱かった。
「その歳で殺人者になるつもりか。そんなこと言っても、母さんが喜ぶはずないだろ。
 それにな、たとえそうだったとしても、死んだ人間はよみがえらない」
――シンダニンゲンハヨミガエラナイ――
「しっかりしろ! 母さんは死んだんだ!」
――カアサンハシンダンダ――
 うたれた頬よりも、心の方が何倍も痛かった。
「……っ!」
「昇!」
 今はただ、そこから離れたくて。
 気がつくと、全力で逃げていた。
 逃げたところで事実は何も変わらない。でも、逃げたかった。認めたくなかった。
「おれはここだ!」
 たどり着いたのは川辺の橋の上。たくさん走ったから、もどり道なんかわからない。ただ、高い場所に行きたかった。理由は簡単。高い場所でなら、声が届くと思ったから。
「つれてくなら、おれにしろ!」
 空に向かって声をはりあげる。
 けど、返事はなかった。聞こえるのは雨の音と、水かさのました川の流れる音だけ。
「……おねがい。母さんを連れて行かないで」
 どうして母さんが死ななきゃならないの? 母さんは、悪いことなんか一つもしてない。
「連れて行かないでよ……」
 力なくしゃがんで、目をつぶる。頬から伝うのは涙。聞こえるのは水の音。
 悪いのはおれだ。だから、全ての罰を、おれに。
 この世に神様ってひとがいるのなら。お願いします。助けてください。
 辛いんです。心が痛いんです。
 神様ってものがいないのなら、誰でもかまいません。たとえそれが、どんな存在だったとしても。
「どうしたの?」
 ふいに、声がした。
 女の人の声。姿はわからない。だけど、とても優しい声。
「おれ、一人なんだ」
 目を閉ざしたまま、声に話しかける。
「母さんが死んだんだ」
 みんなの前じゃ平気なふりしてるけど、本当はさみしいんだ。
「家に帰っても、誰も『お帰りなさい』って言ってくれない」
 今までだって家に帰れば一人だった。さみしかったけど、我慢してた。時間がたてば、二人が帰ってきてくれるってわかっていたから。でも、今度は違う。
 母さん、おれ一人だよ。一人じゃ何もできないよ。
 父さん、泣いてた。
 おれがいけないんだよね。おれがワガママ言ったから。だから、あんなことになったんだ。
 どれだけ嘆いても、失われたものはもどってこない。
「こっちに来る?」
 目を開けると、視界はさっきと全く変わらなかった。川の水と、自身がいる橋だけ。じゃあ、おれが今、話している人の姿はどこ?
「そこに行けば、さみしい思いをしなくてすむの?」
「そうだね」
 視線を少しだけ、上にあげてみる。足が見えた。裸足。
 顔を上げた。声の主は、確かにいた。
 母さんよりも若い、女の人。白のワンピースを着て、橋の上に腰をおろして。
 背中まである漆黒の髪。同じ色の瞳が、こっちを興味深そうに覗いていた。
「……女神様」
 もれたものに、慌てて口をおさえる。幽霊でもないし、足もある。声だって、しっかり聞こえる。こんなにはっきり見えるものが、そんなものであるはずがない。
「変なこと言うね。だけど、あながちはずれでもないな」
 だけど、それくらい、目の前の女の人は綺麗だった。
「さっきの続き。あんた、あたしのとこに来る?」
 漆黒の瞳を細めて。頬に手を添えられて。
「そこに行けば、母さんに逢えるの?」
「それは、あんた次第かな」
「だったら」
 迷うことはなかった。
「おねがい! そこへ連れて行って」
 おれはどうなってもかまわないから。
「じゃあ、来るんだ」
 差し出された手をためらうことなく握りしめる。
 次第にうすれていく感覚。
 どこかで呼びかける声も、だんだん遠ざかっていく。
 何もかもが、薄れてしまっていた。

 認めたくないなら、どうすればいい?
 簡単だ。忘れてしまえばいいんだ。
 全てをなくしてしまえばいい。嬉しいことも、悲しいことも全部。
 心をなくしてしまえば、人形になれば全ては終わる。何も考えなければ、これ以上、傷つかなくてすむ。

――ヒトリニシナイデ――
 もう言わないよ。そんなこと。
――ゴメンナサイ。オレガコワシタ――
 仮面をつけよう。しっかりしたものを。
――コンナモノステテシマオウ――
 こんなもの、もういらない。
 だから、こんなもの捨ててしまおう。

 目を覚ました時、目の前には三人の人の顔があった。
「あたしは海子」
「海……ねえちゃん?」
 黒髪のお姉ちゃんは、綺麗で、とっても温かかった。
「オレはリザ」
「リザ兄ちゃん」
 藍色の髪に紫水晶の瞳のお兄ちゃんは、面白いけどなんだか不思議な感じがした。
「アルベルト・ハザーです」
「…………」
「いい度胸ですね。あなた」
 こいつはすぐに忘れよう。
 本能的に、そう思った。
「あんたの名前は?」
 そう言って、海ねえちゃんが額を小突く。
「おれは――」
 口を空けて、小首をかしげる。
「――だれ?」
 途端に、みんなが変な顔をした。眉を寄せたり、笑ったり、呆れた顔をしたり。その様子がおかしかったから、おれも自然と笑みがこぼれた。
「わかんない。全部忘れちゃった」
 大丈夫。平気だよ。
 そんな顔しないで。だって――
「じゃあ、あんたの名前は空(クー)。それでいい?」
「うんっ!」

 だって。おれはもう、壊れているんだから。
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