EVER GREEN

BACK | NEXT | TOP

第十章「真実(ほんとうのこと)」

No,10 過去と未来と(後編)

 その言葉を聴いたのは、見知らぬ世界に来て少ししてからのことだった。
「天使?」
「そう」
 うなずくと、海ねえちゃんは目を細めて言った。
「あんた、あたしの天使にならない?」
 海ねえちゃんの目はきれいだ。黒よりも純粋な黒。でも透き通っていて、とてもきれい。
 立ちふる舞いだってそう。剣を持つ時だって毅然(きぜん)としてて、今までみたどんな女の人よりもすごい。
 おれ、知ってる。こういうのって『美しい』って言うんだよね。
「子どもがなに馬鹿なことを言ってるんです」
「天使って、どんなことができるの?」
 あいつの言葉は無視して、海ねえちゃんに問いかける。
「強くなれるかな。ただし、条件つき」
 天使の素質があるのは、『カミノムスメ』と同じ故郷の者。本当の力を使えるのは『カミノムスメ』ってひとを守る時だけ。もしくは、そのひとが命じた時だけ。
 そうなのって訊いたら、リザ兄ちゃんは笑ってうなずいた。もう一人は変な顔してた。
 海ねえちゃんは、地球の『カミノムスメ』。おれは、海ねえちゃんと同じ世界で生まれた人間。ねえちゃんと一緒にいられるんだ。断る理由はない。
「じゃあおれ、なる」
 一も二もなくうなずくと、ねえちゃんは嬉しそうに笑った。
「海ねえちゃんを、あいつから守ってやる! そして、海ねえちゃんを、おれのお嫁さんにする!」
 そう言ったら、ねえちゃんは目を丸くした。
 海ねえちゃんとあいつは、ずっとケンカしてた。ケンカしてたけど、ねえちゃんはずっとあいつのことを見ていた。だからあいつが、目の前にいる金髪の男のことが嫌いだった。
「子どもが何を言ってるんです。それに、あいつとは誰のことです」
「自分で考えたら?」
「自分の名前すらわからない子どもが、戯言(たわごと)を吐くんじゃありません」
「そんな何もわからない、いたいけな子どもに、くってかかるのはどこの誰だよ」
 そう。忘れていた。
「あなた、いい性格してますね」
 違う。
「それってほめ言葉?」
 忘れたふりをしていた。
「……本当に、いい性格してますね」
 どうして変な世界に飛ばされたとか、髪の色が変わったとか。あるはずのない翼のこととか、どうでもよかった。
 忘れたかった。
 忘れた、壊れたふりをしていれば、誰も聞いてこないから。他にどう思われてもいい。何も考えずに、ただ、笑ってたかった。
 なかったことにしたかったんだ。おれのせいで、大切なひとが失われたこととか。大切なひとが泣いたこととか。
 失われたものは、二度と、とりもどせないこととか。そんなこと、思い出したくなかったんだ。

 ――今みたいに。

「ねえちゃんにさわるな!」
 旅をして、しばらくして。
 急にあらわれた男達。『チカラヲテニ』とか『ムスメヲトリオサエロ』とか、変なこと言って。けど、海ねえちゃんが襲われている。それだけはわかった。
 やめろって飛びかかった。だけど、すぐに振り払われて蹴飛ばされた。
 いつの間にかついていた翼。だけど、こんなものは飾りでしかなかった。『天使』と呼ばれても、結局は羽のついた子どもでしかなかった。

 大切なものを守りたかった。
 自分のせいで、大切なものが傷つくのが怖かった。

「クー!?」
 とぎれとぎれの意識の中、海姉ちゃんが名前を呼ぶ。
 そして、力が発動した。
 未完全な、最悪の形で。
《何をしている?》
 意識の中に入り込んできたのは、見知らぬものの声。
《主を助けるのが汝(なんじ)の役目であろう》
 おれの役目?
《汝を天使につくり変えたのは神の娘。娘をつくったのはわれら。言うなれば、汝はわれの僕。それが汝の役割》
 おれの、役割?
《われの、神の人形。それが、空と呼ばれし者のさだめ》
 おれ、人形なの?
《そうだ》
 人形になれば、海姉ちゃんを守れるの?
《造作もない。われが力を貸せば、全てのものを消し去れる》
 消し去る――なくせるの?
《そうだ。物であれ、ものであれ。ただし、能力の代償として、汝のもの――感情と記憶を失うが》
 そっか。
 人形になれば、何も考えなくてすむんだよね。
 嫌なこと、考えなくていいんだよね。
 辛い思い、しなくていいんだよね。
 だったら。
《汝に問う。汝は、われに従う意思があるか》
 ――はい。
《ならば、名を呼べ。従うべき者とは?》
 神に寄り添いし者。あなたのこと。
《われの名は?》

 ――イールズオーヴァ。

 こうして、おれは我になった。
「娘に触れるな」
 後は簡単だった。
「我はクー。神の娘に仕えし者。愚かなるものよ。早々に立ち去るがよい」
 何も考えなければ、おれが――我が、勝手に動いてくれるから。
 海ねえちゃんの天使になれる。
 神に順ずるもの、イールズオーヴァの人形として動くことができる。
「我は地天使。神に創られたもの」
 幸せな夢をみつづけることができたら、どんなにいいだろう。嫌だったことを、なかったことにして。ただただ自分に都合のいい世界。
 だけど、そんな夢物語が続くわけがない。だったら、もう何も考えたくない。
 考えないって楽だ。嬉しいことも、悲しいことも消し去れるから。

 傷つくことが怖かった。
 自分のせいで、大切な人が傷つく姿を見るのが怖かった。

 いなくなられて、嫌われて。一人になることが怖かったんだ。

 もどったのは、抱きしめられている感触に気づいた時。
「ねえ……ちゃん?」
 水たまりの中にいたのは大切な人の姿。
 海ねえちゃんは優しく微笑んで。ゆっくりと地にひれ伏す。
 力なく落とされた腕。
「ねえちゃん!」
 足元に広がるものは赤。それはあの時とまったく同じもので。
 赤の正体は、襲ってきた奴らと、海姉ちゃん自身の血の色だった。
「おれ……」
 夢のあとに待ち受けていたのは、痛々しい現実。
 おれがやったの? おれがこわしたの!?
「なんとかいえよ!」
 ゆすっても体は動かない。
「いってよ……」
 すがりついても何も変わらない。それはあの時と同じ光景。母さんが死んだ時と、全く変わらないもの。
 おれは、また、大切な人を。
「空(クー)」
 呼ぶ声にふりむくと、そこにはあいつがいた。
「……ねえちゃんが」
「知っている」
 あいつはいつもと同じ、いやそれ以上に無表情だった。
 おれの隣を通りすぎると、そのままねえちゃんに近づいていく。
「お前がやった」
「ちがう!」
「違わない」
 それからは押し問答の繰り返し。けど、本当はわかっていた。おれが海ねえちゃんを、大切なひとを傷つけたこと。大嫌いなあいつが、海ねえちゃんを助けたこと。悔しいけど、あいつの力はすごかった。
 リザ兄ちゃんの協力もあって、海ねえちゃんはしばらくすると目を覚ました。けれど、犯してしまったものは、何も変わらない。
「あんたは元の場所に帰るんだ」
 何度も嫌だって言ったけど、本当はわかっていた。おれが必要ないってこと。海ねえちゃんの隣には、いつだってあいつがいた。はじめから、おれに居場所なんてなかったんだ。
 天使化した際の、力の暴走。それをおさめるために、海ねえちゃんは身を呈しておれをかばってくれた。
 後になって、リザ兄ちゃんが教えてくれた。それが、どれだけ大変なことだったかってくらい、おれにもわかる。守りたかったのに、結局は逆に傷つけてしまった。結局、ここでも人を傷つけることしかできなかったんだ。
 変な声の話をしたら、三人、思い思いの顔をした。海ねえちゃんは、なおさらここにいたらいけないって言った。
 天使の役目をとくってことは、言い換えれば記憶を封じるということ。
 嫌だったけど、心のどこかでそれを望んでいた。怖かったんだ。同じ過ちを犯してしまったことが。
 何も考えたくなかった。
 認めたくなかったんだ。
「なにがなんでも、絶対もどってくる」
 初めて名前を呼んで言った強がりも、一蹴された。リザ兄ちゃんは、許してやってくれって寂しそうに笑ってた。
 海ねえちゃんの最後の声は、覚えてない。

 もし、母さんを外に連れ出さなければ。
 もし、海ねえちゃんの天使にならなければ。

 考えても仕方のないことだってことはわかってる。
 神様が嫌い? 運命なんかもってのほか?
 笑わせるよな。そんな言葉なんか、はじめから、どうでもよかったのに。
 おれが一番嫌いなもの。それは、全てから逃げ出した自分自身。
 一番許せなかったのは、無力で卑屈で臆病で、何もできなかったオレ自身。
 地球にもどった時、おれは、もう一つの世界での全てを忘れていた。
 忘れるってことは、一時的なもの。完全に消えるというわけじゃない。その証拠に、一部の感情はわずかだけど残っていた。
 自分の弱さは気づかないふりをして、他のものばかり非難する。そのくせ、完全に消し去ることもできなかったから、負い目や哀しみは目に見えない恐怖として残った。
 見えない恐怖を打ち消すように、運命や神様を否定した。
 消し去るってことは、罪を許すこと。完全になんか忘れられない。自分を許せるわけ、ないじゃないか。だから、どんな時でも中途半端にしか生きれない。本当。最低だよな、オレ。
 周りを傷つけて、自分はのうのうと生きている。そんな奴に、幸せになれる権利なんかない。だから、自分が不幸になることを望んだ。
 もし、再びあの世界に行くことがあれば、それは、海ねえちゃんの力が弱まった時。言い換えれば、神に寄り添いし者の呼びかけがあった時。
 もし、オレの記憶がもどったとしたら、それは海ねえちゃんの身に危険が迫った時。
 オレが空都(クート)に来た理由。封じる力が弱まったから? 奇跡に近い確率の偶然? それとも何か、別のもの? 答えはわからない。

 ぬぐいきれない罪悪感と哀しみ。
 それなら、せめて笑っていよう。哀しみが覆いつくされるように。
 祈ろう。周りの哀しみが、全部自分に降りかかってくるように。
 バカだと思われてもいい。オレが不幸になることで周りが幸せになってくれるなら、充分すぎるくらいおつりがくる。

 それくらいしか、今のオレにできることはないから。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「これが、全て」
 額を離すと、男の子はアタシを見つめて言った。
「おれは、だれなの?」
 子どもの声で。
「我は誰だ」
 天使の声で。
「オレは、何?」
 男の子の声で。
 そんなこと、訊かれなくてもわかってる。だけど、答える前にやることがある。
 手に息を吹きかけると。
 アタシは、アルベルトに言われたことを忠実に。
「答えは、こうよ」
 ――実行した。
BACK | NEXT | TOP

このページにしおりを挟む

ヒトコト感想、誤字報告フォーム
送信後は「戻る」で元のページにもどります。リンク漏れの報告もぜひお願いします。
お名前 メールアドレス
ひとこと。
Copyright (c) 2003-2007 Kazana Kasumi All rights reserved.