Part,33
どうしてだろう。
いつもそうだ。人とまともに話すらできないし、気がつけばベッドの上にいる。
あの世界のことは無駄だったの?
私は全く変われていないの? どうしたら変われるの?
あなたは何を望んでいるんですか?
しっかりした自分になること。物怖じしない、人の目をきちんと見て話せる自分になること。
今のままでは駄目なんですか?
駄目だ。動けるようになってもすぐに倒れてしまう。
扉を開いてほしいんですか?
――はい。
ならば、扉を開きましょう。
何度も言いますが、これはあくまできっかけです。それから先は自分でみつけること。
残念ですが、何度も開くことはできないんです。
あなたに翼の民の祝福があらんことを――
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毛布を握り締め、まりいはぎゅっと目をつぶる。
また倒れてしまった。どうしていつもこうなのだろう。今度は大丈夫だと思っていたのに。
「どうして私は――」
「あら、目が覚めた?」
聞きなれない声に目を開ける。そこには髪の長い女性がいた。
年の頃ならまりいより少し上か。栗色の髪に黒い瞳。背中まである髪は結わずに肩にかかっている。
「念のために二、三日は用心していてね。せっかく体力が戻っても無理してはどうしようもないでしょ?」
窓を開け、側にあった椅子をまりいの横に置き軽く腰かける。
見ているだけで安心できるような優しい笑顔で言葉をかけられ、まりいは素直にうなずいた。
ここはどこなのだろう。夢から覚めて、学校に行って、倒れて。その後またあの声に呼ばれて。
窓から見える景色は保健室からのものではなかった。それはここが地球でないことを意味している。体を起こすと、まりいは女性に声を投げかけた。
「ここはどこなんですか?」
まりいの質問に、女性は静かに答える。
「レイノアよ。カザルシアの国境沿いにある小さな村なの」
前者は聞いたことがなかったが後者は耳にしたことのある名だ。
それは少し前までいた国の名だった。ショウとシェリアと出会って旅をして。
毛布の下を見れば、身につけていたのは制服――地球の服だった。間違いない。ここは――
「ここは空都(クート)なんですね」
「そうよ。シーナさん」
まりいの質問に、栗色の髪の女性はにこやかに答えた。
「あなたのことは弟から聞いていたの。驚いたわ。久しぶりに帰ってきたと思ったら女の子を連れてくるんだもの。あの子もすみにおけないわね」
にこやかに、だが楽しそうに話す女性にまりいは曖昧な笑みを返すことしかできない。
弟とは、あの子とは誰なのか。
答えを導き出すまでにさほど時間はかからなかった。これまでの一連の行動を思い出せば自然と答えは出てくるのだから。
これまでの行動。夢の中の『声』に呼ばれ少年と出会い、旅をした。その途中で公女の護衛を頼まれミルドラッドでの一騒動。無事に送り届けられたと思ったら、今度は少年が獣に襲われて戦って。いつの間にか気を失って――
「いい加減にしろよ。そいつ困ってるだろ?」
第三者の声にはっとする。声の主は確認するまでもない。この世界で一番慣れ親しんだ人間のものなのだから。
そこには先日まで一緒に旅をしていた少年の姿があった。
「姉貴。ちゃんと説明したのか?」
手にはトレイを持っている。『そういえばまだだったわ』と言うと、女性は椅子から立ち、まりいに向かって礼の形をとった。
「はじめまして。わたしはユリ・アステム。ショウの姉です」
女性の、ユリの言葉にまりいは目をしばたかせた。
栗色の髪と瞳は言われてみれば確かに少年に似ている。だが違うと言えば違ってもいる。ショウはややつりあがった目をしているのに対しユリの目は柔和だ。
「ショウ、何か用があってきたんでしょう?」
ユリが言うとショウはトレイの上に置いてあったものをまりいに差し出した。
「体は大丈夫なのか?」
首を縦にふったまりいに『そうか』とうなずくショウ。その様子を見てユリはくすりと笑った。
「気になるなら付き添っていればよかったのに。料理ならわたしにもできたわよ?」
「姉貴っ!」
珍しく声を荒げるショウを、まりいはきょとんとした顔で見ていた。
それは姉弟の他愛のないやり取り。だがそれをしている相手がショウなのだから。
(ショウもあんな顔するんだ)
彼とて十四の少年だ。笑いもすれば怒りもする。それは人として当然のことなのだが、まりいにはそれが考えつかなかったのだ。そんなまりいの表情に気づくと少年は咳払いをした。
「食べられるようなら食べとけ」
トレイの上にあったのはスープだった。まりいが手にとったのを確認すると、ショウはそそくさと部屋のドアを開ける。
「どこに行くの?」
「いつものところ」
姉にそれだけ言うとショウはドアを閉めた。
出来たてなのか皿の上からは湯気が出ている。あの少年が作ってくれたのだろうか。そう考えると自然と笑みがこぼれてくる。
スープを飲みながら、まりいはユリに尋ねた。
「ここはショウの故郷なんですか?」
「ええ。わたしとショウはこの村で生まれ育ったの」
故郷という言葉の響きに、まりいは軽い憧憬をおぼえた。
ここが二人の故郷なら、私の故郷はどこになるんだろう。自分が生まれ育った場所。そんなものわからないし、施設だと言うにはまだ辛い。
窓の外ではのどかな風景が広がっていた。走り回る子供や転んで泣いた子供をあやす母親達。
ふと、まりいはあることに気づく。
「……お父さんとお母さんは?」
家の中では姉弟の姿しか見かけなかった。大人の姿は見えない。仕事にでもでかけているのだろうか。
その質問に、ユリは初めて目を伏せた。それまでとはうって変わった淋しげな瞳。
なにかいけないことを聞いてしまったのか。まりいが言葉を紡ぐ前に、ショウの姉は目に再び穏やかな色をたたえて言う。
「二人供わたし達が子供の頃に死んでしまったの」
死んでしまったの。
その言葉にまりいは息をのんだ。
確かに少年の境遇を聞いたことはなかった。だがまさか亡くなっているとは思ってもみなかったのだ。
「正確には一人が行方知れずなのだけれど」
空になった皿を片付けながらユリは言う。
「わたしの父はリネドラルドでも名のしれた騎士だったそうです。でもある時期を境に騎士をやめてレイノアに身を寄せた」
穏やかな口調のはずなのに、淋しげに聞こえるのは何故か。
「理由はわかりません。その後母と出会い、わたしとショウが生まれた」
まりいは彼女の話を黙って聞くしかなかった。
「ある日、あるものを探しに村を離れ、それから父が帰ってくることはなかった。しばらくして母も病気で他界。だから二人とも亡くなってしまったと言っていいのかもね」
寂しそうに笑うユリを、まりいは黙って見ているしかなかった。
知らなかった。ショウにそんな生い立ちがあっただなんて。
まりいにとってショウはなんでもできるすごい人だった。たくさんのことを知っていて、自分の身も守れて一人で旅をして。
「『あるもの』ってなんですか?」
「あなたがよく知ってるものよ。いいえ、あなただけじゃない。この世界の住人なら誰でも知ってるものです」
この世界の、空都(クート)の住人なら誰でも知っているもの。まりいは一つしか思い浮かべることができなかった。
それは空都(クート)の住人なら誰もが知っているおとぎ話。それは宝石とも、人の名前とも言われ、願いをかけた者の望みをかなえるという。その名前は――
「……フロンティア?」
まりいの答えにユリは静かにうなずく。
「両親がいなくなった後、わたし達はずっと二人で暮らしてきました。村の人達は皆いい人だったから生きていくのにそれほど苦労はしなかったし」
「じゃあなんで――」
なんでショウは村を出て行ったんですか?
そう言おうとして、まりいは口をつぐんだ。そんなこと訊けるはずがない。そんなまりいの心情はわかっているかのように、ユリは言葉を重ねる。
「本当は、父と同じ道を進むことに反対していたの。
でもあの子は自分から同じ道を進むと言った。いくら姉でも自分の生き方を決める権利はないものね」
たった一人しかいない肉親を残し、村を出て行った弟。その心境はどんなものなのだろう。
たった一人しかいない肉親の帰りを待つ姉。その心境はどんなものなのだろう。
まりいは制服の裾をぎゅっと握った。
「親譲りの才能か、あの子自身の努力の結果なのか。城にあがり騎士としての訓練を受けたショウは特例として今の仕事についたの。時々こうして顔を見せに帰ってきてくれるけど、待つほうとしては少し寂しいわね」
「……お父さんは、まだ……」
「王が捜索してくださってるみたいだけど、未だに行方知れずです。生きているか、死んでいるかさえ。もしかしたら、あの子が今の仕事をすると言い出したのも父を捜すためかもしれないわね」