陽のあたる場所で
07:痛い奴ら
言葉を紡いで。光の先にあったのは泣きじゃくる子どもの姿。
自分に近いものを感じたのか戯れだったのか。気がつけば、あたしは半ば無理矢理そいつを引きずりこんでいた。
引きずり込んだ場所は異世界。
全てを捨てなさい。そうすれば自由になれる。
――ソウナノ?
何もかも忘れてしまえばいいの。あたしが一緒にいてあげるから。
――ウン。ワカッタ。
オレ、ワスレルネ。カナシカッタコト、ウレシカッタコト、ゼンブ。
スベテヲカエテシマオウ。ソウスレバ、ラクニナレルヨネ。
「その子が天使?」
「知るか」
再び異世界にたどり着いて。くっついてきたのはさっきの子どもだった。
歳の頃なら小学生くらい。別世界に強制的に連れてこられたからか。地に寝そべったまま全く動こうとしない。
「あなたが連れてきたんでしょう?」
「そうだけど」
「けど?」
改めて目の前の子どもを見る。
雨の中で出会った子どもを異世界に引き連れた。それは間違いない。けど、あたしが出会ったのは黒髪黒目の子どもで、目の前にいるような奴じゃない。
目前にいるそいつは空色の髪をしていた。
異世界にやってきたショック? だったらあたしだって当の昔にかわってるはずだ。
思案にくれている間に子どもが目を覚ました。
「……?」
髪と同じ空色の瞳。状況がわかってないんだろう。まだ視線が宙をさまよっている。
さまよってさまよって。ハザー、ルシオーラ、あたしへと視線を移して。
「さっきのおねえちゃんだ!」
子どもはぱっと顔を輝かせた。
「どうやらあなたが連れてきたことに間違いはなさそうですね」
色々と反論したいことはあるけど仕方ない。髪と瞳の色は変わってるけど声やそれ以外の背格好は変わりない。なによりあたしのことを知っている以上、こいつはあたしが呼び寄せた天使なのだろう。
腰を落として。子どもと視線を合わせると、さっきと同様きわめて優しい口調で話しかけた。
「あたしは海子」
「海……ねえちゃん?」
「カイじゃなかったんですか」
背後の声は黙殺する。もともと勝手につけられた名前だ。どうこう言われる筋合いはない。
「オレはリザ」
後に続けとばかりにルシオーラは軽い調子で子どもに手を差し出す。
「リザ兄ちゃん」
子どもは戸惑いつつもさしのべられた手をつかむ。たぶん紫水晶の瞳が珍しいんだろう。空色の瞳をしばたかせている。その奇妙なシーンを傍らで眺めていたのは金髪の男だった。
「ほら。しっかり挨拶する」
ルシオーラに促され。ハザーはしぶしぶ口を開いた。
「アルベルト・ハザーです」
短く告げると、藍色の髪の男と同様手を差し出す。
でも、ハザーの手はむなしく宙をさまようだけだった。なぜなら子どもがそっぽを向いたから。
「いい度胸ですね。あなた」
空になった手をさすりながら、ハザーが恨めしそうにつぶやく。本当にいい度胸だ。こいつにこんな態度をとるなんて。でも正直とても気分がいい。
「あんたの名前は?」
そう言って、子どもの額を軽く小突く。
「おれは」
名乗りをあげようと口を空けて。子どもは小首をかしげる。
「――だれ?」
だれ。ときたもんだ。
このすっとんきょうな子どもの声を。
「冗談だろ」
あたしは笑い飛ばし。
ルシオーラは眉を寄せ。
ハザーにいたってはあきれた顔をしていた。もっとも当の本人は穏やかに笑っていたけど。
「あんたの名前は」
もう一度訪うと子どもは無邪気な顔で微笑んだ。
「わかんない。全部忘れちゃった」
無垢な、透明な笑顔で、そいつは微笑んでいた。
全部忘れた。それが意図するところはただひとつ。
「記憶喪失、ですか」
ハザーの言ってることくらいあたしにもわかる。確か、身のまわりのことを忘れてしまうってやつだろ。そう言うとルシオーラは首肯した。
「健忘症とも言うけどね。よほどの強いショックがあったんだろうね」
強いショック。それなら心当たりはある。母親が死んだって。一人になったって言ってた。原因はたぶんそれだ。幸せな奴だな。そんなことがショックでこんなとこにこれるだなんて。
あたしとは大違いだ。まあ現実逃避ってところはあたしと大差ないか。
「名前つけてあげなよ」
紫水晶と青の瞳があたしを見つめる。
「あたしが?」
「名前がないと不便だからね」
「あなたが連れてきたんでしょう? だったら飼い主が責任をとるべきでしょう」
勝手に人を飼い主にするな。
けど名前がないと不便なのは事実だ。隣のハザーも否定しない以上、あたしがどうにかすべきなんだろう。
あたしは名前(海子)から勝手に名付けられた。この世界は空都(クート)と呼ばれているらしい。
だったら。
「じゃあ、あんたの名前は空(クー)。それでいい?」
「うんっ!」
あたしは気づかなかった。
こいつもあたしと同類だということに。
子どもは。クーは。この世界にきた時点で。ううん。ここに来る前からずっと。
壊れてしまっているということに。
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