佐藤さん家の日常

その1

 いつからなんだろう。長男はしっかりものだと定義づけられるようになったのは。
 そう言えば何かの本で読んだ。一番上はしっかりもので、二番目は自立心旺盛だって。ちなみに三人目は調和性に優れているらしい。理由は上の二人のケンカを仲裁しないといけないから。

 だったらこの場合どうなるんだろう。
 兄か弟かの違いが、たった数分の差で決まってしまったとしたら――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「なーつー」
 夏休みも残りわずか。俺は自分の部屋で一人、机にかじりついて勉強していた。
「なつってばー」
 訂正。かじりつかざるを得なかった。
「なっちゃーん」
 え? 後ろから聞こえる声は何だって? 空耳だ。幻聴だ。
「なーつきくーん」
 やけにくっきりはっきりと聞こえるけれど幻聴だ。
 そうだ。宿題がまだ残ってるんだ。読書感想文が途中なんだ。早く書き上げないと。
「…………」
 ようやく静かになる。よかった。やはり幻聴だった。
 と思ったのがまずかった。
 目の前に手をかざされたかと思うと眼鏡をはずされ、とたんに視界がぼやける。
「…………」
 訂正。あれは空耳でも幻聴でもなかった。それよりも、もっと質(たち)の悪いものだった。
「いい加減にしろバカ春(はる)!」
 後ろにいたのは幽霊でもドッペルゲンガーよりも質の悪い、自分と全く同じ顔をした人間だった。

 双子。
 一人の母親から同時に産まれた二人の子供のことを世間ではそう呼ぶらしい。双子の中でもまた種類がある。一つは一個の受精卵から発生した一卵性、もう一つは二個の卵子が同時に受胎してできた二卵性。同性で産まれる時もあるし、異性で産まれることもある。
 俺の場合、目の前にいる奴は俺と全くそっくり――遺伝子が同一であるため同性で諸形質が極めて酷似するらしい――で、つまりそれは、俺とこいつが双子であること、しかも一卵性であるということをものがたっていた。
「だって全然かまってくれないしさー。お兄ちゃん寂しい」
 眼鏡をいじりながら同じ顔がうつむく。
「おまえにかまう暇があったら宿題を片付けてる方が有意義な時間をすごせる」
 眼鏡を取り返してそう言うと、今度は『なつくんが冷たい』とうつむいた。
 こいつの名前は佐藤春樹(さとうはるき)。佐藤家の長男で戸籍上は俺の兄になる。いや、戸籍も何も正真正銘兄弟だし、血が繋がっていることに変わりはないけど。
 とある病院で二人同時に産声をあげた。それが俺と春。母親のお腹の中から先に出てきたのは春。その次に出てきたのは俺。その差三分。カップラーメンができるかできないかの間に全てが決まった。ちなみに名前の由来は誕生日になる。二つの季節の境目だったから両方をつけたらしい。なんとも安直な名づけ方をする親だ。
 それ以来、何かにつけて長男だのお兄ちゃんだのと口うるさい。だったら長男らしくしっかりしろと言うと、さっきみたいにすぐいじけるわひどい時には泣き出すわ。時々、実は戸籍届けに名前を書くのを間違えただけで、本当は俺の方が上なんじゃないかと真剣に考えてしまうことも少なくない。
「おまえ、宿題は終わったのか」
 眼鏡をかけなおして自分と同じ顔を見る。悔しいが似ている。さすが一卵性と言われるだけのことはある。同時にそれは一歩間違えれば俺もすぐこいつの仲間入りをすることができるということもさしていて。そう考えると軽い目まいをおぼえた。
「いーや、全然」
 そんなことは全然おかまいなし。春は意に介した様子もなく肩をすくめる。
「は? 残り一週間きってるぞ?」
「だってなつくんの宿題見せてもらえばいいじゃん」
「はじめからそれが目的でここに来たのか」
 だからあんな嫌がらせを? 怒鳴りたい気持ちを必死になって静める。落ち着け。俺は大人。こんなことで怒ってどうする。
「やだ。なっちゃんったら嬉しくて声も出ない? ダメよ。いくらお兄ちゃんが立派だからってそんなに感激しちゃ」
 なぜかおネェ言葉を使う春を見て、何かが音をたてて切れた。
「なつくーん?」
 ぺたぺたと頬に触れてくる春に、静かな怒りがこみあげる。
 時々、思う。なんで俺はこいつと兄弟やってるんだろう。
 時々、思う。なんで俺はこいつより早く生まれなかったんだろう。
 黙ること数分後。
「一体どこのどの口がそんなことを言う!」
 春の口をこれでもかというくらいに引っ張った。
「なふくーん、いひゃい、いひゃい」
 何か講義の声をあげているも完全に無視。これくらいしないと俺の気がすまない。
「この十七年間、おまえと双子、かつ下に生まれてきたことが俺の人生最大の屈辱なんだ!」
「それってほふのへいひゃないひゃん」
「『僕のせいじゃない』って? ああ、そうだよ。だからむかつくんだ!」
 どちらが先に生まれたかどうかは春のせいじゃないし俺のせいでもない。でもなんかむかつく。むしょうに殴りたくなる。
「とにかく宿題の邪魔だから出て行け。今すぐ出て行け」
「えー? 『魚心あれば水心』って言うし第一まだ宿題うつしてない――」
 ぶちぶち言う春を問答無用で部屋から追い出す。
「魚心があるならそっちもそれなりの誠意を見せろ」
「えー? ほら僕っていつも誠意見せてるじゃん」
 ドア越しに非難めいた声が聞こえる。
「おまえのやることはいつも嫌がらせだ」
 そもそも使い方が間違っている。事実を言ってのけると『やっぱりなつくん冷たい』との声。それから数分もしないうちに足音は遠ざかっていった。


「……よし」
 最後の宿題をやり終え大きくのびをする。
 読書感想文なんて誰が考えたんだ。一年も書いたんだからそれで充分だろ。そもそも本を読ませるのが目的ならもう間に合ってる。
 教育委員会が聞いたら目くじらをたてそうな台詞を頭の中で思い浮かべる。とにかく夏休みの宿題はこれで全部おわった。それだけでもよしとしよう。
「……喉渇いた」
 今日一日ろくに水分もとらないで勉強してたからな。そういえば今日はCD安売りの日だった。せっかくだから出かけてみよう――
「だから、そこどいてもらわないと困るんだけど」
 いつの間にかまた舞い戻ってきた春に一瞥をくれる。
「いいじゃん。宿題終わったんだろ?」
 さっきのことなどまるでなかったかのように腕をくんでドアに寄りかかっている。
「今度は買い物」
 朝と全く変わらない状況に苛立ちを覚えながら春の肩を強引にのける。
「……ほら」
 ついでに宿題のノートも手渡す。
 こいつのしつこさは尋常じゃない。きっとここでおれなかったら一日中つきまとわれるんだろう。だったら癪(しゃく)だけど早めにおれといた方が早い。
「丸写しはするなよ。後で俺の部屋に置いといて。じゃ」
 今度こそ部屋を出て行こうとすると再び声をかけられた。
「夏樹(なつき)」
「なんだよ」
 いや面全開でふり向くと、右手に何かを投げつけられた。
「これ聞きたいって前言ってたじゃん。あとこれで水分補給ね。イライラしてると体に悪いぜ?」
 そう言うと手をひらひらさせながら自分の部屋に帰っていった。
 ……なんなんだ。一体。
「どうしたの? 騒がしかったけど」
 いつ帰ってきたのか、お母さんが顔をのぞかせる。
「……なんでもない」
 春に投げつけられたもの、アイスとCDを交互に見ながら母親に言う。あいつ、わざわざこれ買ってきたのか? 俺のほしかったのよくわかったな。
「そう? もう少ししたら夕飯だからいらっしゃい」
「……わかった」
 部屋にもどり、とけかけたアイスをかじる。くじつきのそれ――30円のカキ氷バーだ、せこい――はみごとにはずれだった。

 そんな感じで我が家の一日は過ぎていく。
 言い忘れていたが、俺の名前は佐藤夏樹(さとうなつき)。佐藤家次男だ。
Copyright 2004 Kazana Kasumi All rights reserved.

このページにしおりを挟む

ヒトコト感想、誤字報告フォーム
送信後は「戻る」で元のページにもどります。リンク漏れの報告もぜひお願いします。
お名前 メールアドレス
ひとこと。