佐藤さん家の日常

学校編 その7

三月十五日

「佐藤君、あの……」
「春樹くん、はい」
 女の子の照れたようなはにかみ顔。
 この表情と渡された甘いお菓子こそが、この日の醍醐味ってもんでしょう。

「はははははは」
 二月十四日。その日は笑いが止まらなかった。
「気色悪いからその笑いやめろ」
「あれ? 笑ってたのよくわかったね」
「それだけ大声で笑ってれば誰だってわかるだろ」
「ひがまないひがまない♪」
 二月十四日は言わずと知れた、バレンタイン。もしくは従弟の誕生日の翌日だったけど、細かいことはどこかに投げ捨てておく。
「じゃじゃーん」
 どさどさどさ。
 紙袋から豪快な音をたてて、それらは机の上に転がった。
「うわっ! なんだよこの臭い」
「何ってチョコレートに決まってるでしょ」
 山の中から一つをつまみ、ラッピングを丁寧にはずしていく。ラッピングという洋服を脱いだそれは、茶色の光沢を放っていた。
「それを俺の目の前で食べるのか?」
「だからこうしておすそ分けしてやってるじゃないか」
 ひょいとつまむと、そのまま口の中へ。放り込まれた相手は目を白黒させてたけど、そのままもごもごと口を動かして飲み込んだ。
 僕も同じものを自分の口へ。この甘さがなんともたまらない。
「女の敵。男の敵」
 中身を空にした相手――鈴くんは、そう言って僕をねめつける。
「失礼な。僕はちゃんと食べてるよ?」
 一口ずつだけど。
「全部いただきたいところだけど、本当に全部食べたら虫歯になるし。だったら均等に皆さんの愛をいただくに限る!」
 毎年この時期になると、僕の身の周りは慌しくなる。ロッカー、下駄箱、机の中。中には手渡しでくれる子も少なくない。
 実際は弟のなつくんの分も含まれてるんだけど。
 僕の持ち物の中に突っ込んでおくか、問答無用で押し付けてくる。だったらお兄さんの僕が面倒見てあげるしかない。
 そう。
「僕の愛は山よりも深く、海よりも大きいのデス」
「春樹の理屈ってわけわかんねぇ」
 鈴くんはずるずるとイスに寄りかかった。でも手には次のチョコレートを持っている。
 彼も立派な男の子。チョコレートの誘惑には勝てなかったらしい。
「海老名さんとその後どう?」
「なっ、なんでそこで海老名が出るんだよ!」
 チョコを放り出し、赤くなるのは見ていて非常に面白い。
「親友の春樹くんとしては二人の進展が非常に気になるのデス」
『それで、ほんとのところはどうなのさ?』『照れちゃって。このこの』と肘でつつくと、鈴くんは顔を真っ赤にしてイスから立ち上がった。
「帰る!」
「おーい、鈴くーん」
 呼びかけても無反応。どうやらとことん無視を決め込むつもりみたいだ。
 ちょっとからかいすぎたかも。
 慌てて後を追おうとすると、途中で可愛い声に呼び止められる。
「高原先輩」
「大量のようだな」
 高原真南(たかはらまなん)先輩。一つ上の三年生で生徒会の書記をしている。
 声とは裏腹に、今時珍しい話し方をする。でもそれが妙にあってるから面白い。
「わかります?」
 そう言ってチョコレートの入った紙袋を上げてみせる。先輩は目を細めた後、視線を紙袋から僕の方に移した。
「今年も大量。もてる男は辛いっすね」
「そのわりには元気がないようだが?」
「どうしてそう思うんです?」
「表情にいつもの覇気がない」
 声同様、可愛い外見に似合わずこの台詞。この時ばかりは笑顔が固まってしまった。
「……わかります?」
 これでも演技力には自信あったのになぁ。
「先輩」
 廊下の窓側によりかかると、
「本命からもらえないって辛いっすね」
 そのままずるずると体を落とす。さっきの鈴くんと全く同じだ。
 足元には紙袋。そこからはチョコレートが顔をのぞかせている。
 チョコレートをもらえるのは確かに嬉しい。でも本命からもらえなければ意味がない。
 じゃあなんで嬉しそうに食べてたかと聞かれれば。……男もこれで結構複雑なのだ。
「素直に欲しいと言えばいいではないか」
「それができたら苦労しませんって」
 そもそも学校に来ないのだからアピールのしようがない。
「その相手は学校にいるのか? なんなら占ってみるが」
「心配ご無用。好きになった人は自分で口説きます」
「……余計な詮索は無用だと?」
 先輩のありがたい提案に微笑で返す。僕だってプライドはある。
「弟も大変そうだが兄も大変だな」
 苦笑すると先輩は僕と同じく廊下にもたれかかる。
 廊下に並ぶ二つの影。窓から見える景色はいつもと変わらない。でもなぜか物悲しい。そんな気になるのはこの日のせいかな。
「そう言えば、先輩は用があったんじゃないんですか?」
「そうだったがやめた。これでは渡すものも渡せない」
「え?」
「なんでもない。こちらの話だ」
 そっと息をつくと、先輩はこう切り返してきた。
「そもそも二月十四日に女性がチョコレートを贈るという風習は日本ぐらいなものだ。時には立場が逆でもよいのでは?」
「え?」
「もっとも本人次第だがな」
 ふわりと笑うと、先輩は去っていった。


 一ヵ月後。
「鈴くーん」
 振り向きざまに白い物体を口の中に放り込む。一ヶ月前と同様、鈴くんは目を白黒させたあと、ごっくんとそれを飲み込んだ。
「今っ、何入れた!」
「なんだと思う?」
 顔を蒼白にした鈴くんを横目にしながら、僕もそれを口の中に放る。真っ白で小さなそれは、自分で言うのもなんだけど美味しかった。
「聞いて驚け。なんと手作りだ!」
「うげー。気色悪い」
「失礼な。ちゃんとのんちゃんにレクチャーしてもらったんだぞ」
『のんちゃんて誰だよ』と突っ込みを入れる鈴くんをよそに、二つ目を食べる。作ったのはマシュマロ。バレンタインのお返しだ。
 曲がりなりにもいただいたものには誠意を持ってお返ししなくちゃならない。二日前にお菓子を作り、昨日一日かけて配りまわったわけだ。
 暇な奴だと言うことなかれ。誠意には誠意。本気には本気。これが僕のモットーだ。
「全員に返したぞ。後は本命のみ!」
「本命って、…………え!?」
 別の意味で目を白黒させた親友に手をふると、僕は教室を後にする。
 本当は当日渡したかったところだけど、肝心の彼女は来なかった。
 ならば一ヶ月後にと待ち伏せてみたものの、彼女はやっぱり来なかった。
「あれ、先輩?」
 そしてホワイトデーを一日だけ過ぎた今日。ようやく彼女は現れた。
「今日はちゃんと来てたんだね」
 相手は僕の姿を認めるとぶんぶんと手をふる。
「しっつれいだなー。ボクだってそう何日も休みませんよ」
 そう言って頬をふくらます姿は、体格も相まってより幼く見える。
 でも僕は知ってる。この子はそれだけじゃない。
「本当?」
「本当だって……先輩?」
 自慢じゃないけど、表情を作るのはうまい方だと思ってる。
 でもあくまである程度。僕だってなんでもできるわけじゃない。
「はい」
「うわー。マシュマロだ!」
 包みを開けると彼女は目を輝かせた。
「あのさ……」
「先輩が作ったの? すごい!」
「その……」
「ボクってパンしか上手に作れないからなぁ。ほんとすごいや」
 美味しそうにマシュマロを食べる彼女にはかける言葉もない。毒気をぬかれるとはまさにこのことだ。
「…………」
「先輩?」
 ため息を一つ。
「作りすぎたから。幸せのおすそわけってやつ?」
 恋は思案の外(ほか)。
 恋愛は何が起こるかわからない。気長にいくとしましょうか。
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