花鳥風月

  05.旅は道連れ  

 霧散した異形のそばにたたずむのは漆黒の髪の少女。額にはうっすらと汗がにじんでおり息も軽く乱れている。足下には少年が投げたものがひとつ。
 足下に落ちていたものを拾うと少女は視線を彼に向ける。
「怪我は?」
「ないよ」
 証拠とばかりに月臣(つくおみ)は腕をぶんぶん振り回す。確かに様子をみるあたり傷はなさそうである。
 少年の言動が事実であることを確認すると、少女は手中にあったものを彼に向けて放った。
《どうしてわたしを放るんです》
 受け取ると同時に少年の頭に響いたのは生真面目な、それでいて幾分怒気をはらんだ抗議の声。
「投げれるものがなかったんだから仕方ないじゃん」
《武器の使い方が間違っています。主からは教わらなかったのですか》
「その師匠から教わった。『剣は当たってこそ武器。壷は殴られてこそ凶器だ』って」
《……主の過去に一体何があったのでしょう》
「幾度とない危機を乗り越えた師匠だからこそ言えるありがたい教えだぞ? うちにも似たようなのあるし。
 家訓五番。いざとなったら身近にあるものなんでも使え」
 そこで少年ははたと我にかえる。
 このままでは先刻同様、剣に語りかける少年という残念な印象しか残せない。それは月臣にとって非常に不本意な状況だ。
 だが彼の危惧とは裏腹に、少女は全く別の顔をしていた。刃を鞘におさめ、訝しげというよりは思案げな視線を宙にさまよわせている。
「あんたのおかげだ。ありがとう」
 状況を打破すべく、月臣は慌てて感謝の言葉を述べる。途端に少女ははっとした表情となる。
 だがそれもほんの少しのこと。きびすをかえすと彼女は何事もなかったかのように歩き出し――動きを止める。
 何があったのかと駆け寄りつつ、月臣は思考をめぐらす。鬼との戦いの後、少女は地に片膝をついていた。それからの動きもあからさまに鈍くなっていた。これらから導かれるものは。
「あんた。怪我してるじゃないのか?」
 月臣の問いに少女は無言で立ち去ろうとする。
「痛いなら言えよ。怪我してんだろ」
 だが数歩歩いたところで少女の顔が苦痛にゆがめられた。
「やっぱ痛いんじゃん」
 近づいて少女を強引に座らせて。腕をつかむと少女の表情がより痛々しいものに変わる。苦笑すると少年は受け取ったばかりの剣を少女の目前にかざした。
「……変なことをするつもりならば斬る」
「しないって」
 警戒をあらわににらみつける少女に苦笑すると、月臣は刃を使って彼女の袖をやぶる。服の下に隠れていたのは痛々しい血の跡だった。
 破れた袖を使って傷口をしばり少女の服の上から手をかざすと、月臣は瞳を閉じ言葉を紡いだ。
「我は剣(つるぎ)。三つの力を束ねし者。我が声が聞こえるか。我が歌が聞こえるか」
《つっきー、それは》
 精霊の声を無視しつつ少年は言詞(げんし)を続ける。
「我は月に遣えしもの。彼の者に朧(おぼろ)の天祐(てんゆう)を」
 掌を通して腕に淡い光がともる。その様に一度体をこわばらせるも、少年の顔が真剣であることを悟ると、少女は瞳を閉じ体を彼に任せることにした。
 やがて光は消え、腕の傷はわずかな痕跡を残すのみとなる。
「おれの特殊能力の一つ。ちょっとだけ傷を治せる。どう?」
 少年に言われるまま、少女は自分の腕を触る。確かに血は止まっていた。前に、横に腕を軽く動かして。
「……痛みはない」
「よかった。ちゃんと成功した」
 あっけらかんとした物言いに少女は一時、目を見開く。
「冗談。最近は失敗してないから」
 が、続きの言葉に表情を元にもどす。もっとも瞳には険が含まれていたが。《失敗でもされたらたまったものじゃありませんよ》
「だからちゃんと成功したじゃん。助けてもらったお返しだ」
 だが少年がそう言った時には少女はもう、きびすを返していた。二度も取り残されてたまるかと月臣は慌てて彼女に駆け寄る。
「一緒に行く。一人より二人の方が歩いてて楽しいってさっきも言ったろ? 旅は道連れだ」
《また道に迷っては元の木阿弥ですからね》
 そして先刻と同様のやりとりが始まった。
《よかったのですか。あのようなことをされて》
「人助けは当然だろ。恩を仇で返すようなことはしたくない。
 家訓七番。人の恩は何年かかってもしっかり返せ。売られた恨みは一生かかってでも倍にして返せ」
《時々、あなたの一族に疑問と恐れを感じるのですが》
「さっきのすごかったよな。なんかかっこよかった」
 精霊の声を黙殺し、月臣は少女に話しかける。《だれかさんには見習ってもらいたいものですね》
「今のおれだと避けるくらいしかできないもんな」
《確かに今のつっきーは避けるしか能がありませんからね》
 漆黒の少女の隣を歩く、剣に語りかける少年(しかも突っ込みあり)という奇妙な構図はなおも健在で。
「あおっておれのこと嫌いだろ」
《主にあなたの面倒を頼まれました故(ゆえ)》
 一人と一振りの剣に黙する少女の姿も健在だった。
「それにしても。ここって一体どの世界なんだろうな」
 だが、少年の一言に少女の表情が変わる。
「どうした?」
「知らないのか?」
 少年と少女の声が重なる。もっとも脳天気な月臣の瞳と緊張をはらんだ少女のそれは比べようがないくらい違っていたが。
 見つめ合うこと数秒。
「人が来る」
 口を開いたのは少女の方だった。
「おれにはなんも見えないけど」
 首をかしげる少年に近づくと、少女は少しだけ口の端を上げる。
「傷をなおしてくれて、ありがとう」
 少年の肩を軽くたたくと今度こそ彼女は場を後にした。
 一方、残された少年はなにをするあてもなく。
《また迷いましたね》
 少女の指し示した方角をぼうっと眺めていた。
「あいつ」
《先程の方ですか》
 蒼前(そうぜん)の声に首肯すると、月臣は視線と同じくぼうっとした声でつぶやく。
「ちゃんと笑えるんだ」
 だったらはじめから笑えばいいのに。
 だが少年の思考は精霊の声によってかき消される。
《先程の方の言ったことは正しいようですね》
 しばらくしてやってきたのは幼なじみの少女。
「まったくあんたは」
 柳眉を上げ軽く息をきらしている。どうやら少年を捜すのに相当の時間を費やしたようだ。
「ほんとに来た」
《来ましたね》
 重なった二つの声に瑠風は眉根を寄せる。
「何のこと?」
《実は――》
「結局ここってどこだったんだ?」
 蒼前が理由を話すよりも早く。月臣は疑問の声を投げかける。だが瑠風は少年の質問には応じず代わりになかば強引に腕をとった。
「時間切れ。戻るわよ」
 話はもどってからということらしい。しぶしぶ幼なじみの少女についていこうとして、少年はふと視線をめぐらせる。
《どうしました?》
 いぶかしむ精霊の声に月臣は嘆息した。
「あいつの名前聞きそびれた」
「あいつって?」
 瑠風の問いに口を開きそうになるも、なでもないと曖昧な笑みをもって応えた。彼女に会って鬼と呼ばれる異形と戦って。すったもんだの末、ここにたどりつきましたと語るには時間が足りなさすぎる。
《縁があればまた会えますよ》
 蒼前の声に月臣はうなずきを返した。確かに彼女と会ったのも縁だろうし、旅は道連れと言ったのも自分だ。何よりあの風貌は忘れるにはいささか衝撃がある。
 黒曜石を煮詰めたような漆黒の瞳。あの鋭い宝石にはそう簡単にお目にかかることはないだろう。
「……ん?」
 否。実は過去にも見ていたのかもしれない。あれはいつのことだっただろう。
「ほらほら。さっさと帰る」
 幼なじみの声に、少年はまとまりかけていた思考を閉ざす。
 こうしてこうして二人と一振りの剣の試練はいったん幕を閉じた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 月明かりの下に、彼女はたたずんでいた。
「遅かったね」
 声をかけたのは漆黒の髪の男。背は少女よりも高く、外貌は少女や月臣よりも年かさといったところか。
 少女と同じ黒曜石を煮詰めたような黒の瞳が妖しくきらめく。
「寄り道をしていました」
「寄り道?」
 いぶかしむ声に少女は首肯する。
「言葉を話す剣です。路(みち)の途中で見つけました。
 持ち主はわたしと同じ年頃の男子です。鬼を討ち取る際に遭遇しました。そして」
 そこから先、少女からの返答はなかった。
「君らしくもない。どうしたんだい」
 言葉遣い同様に優しい声色。だが声をかけられた側の表情は先刻少年と出会ったときと同様に。否。それ以上にかたい。
 男は瞳に幼子をしかるような色を浮かべると、彼女に手を差し出す。
「行くよ。花月(かづき)」

 花月。それが彼女の名前だった。

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