花鳥風月

  04.刃と言葉と  

 まるで漆をぬったかのごとく、つややかな黒髪。服からのぞくのは髪の色とは対照的な陶磁器のように白い肌。歳の頃なら少年と同じか年上といったところか。長い髪を高い位置で一つに結わえた彼女は、少年の目前に悠然とたたずんでいた。
 誰もが目を奪われ、声をかけずにはいられない。そんな言葉がふさわしい容貌の少女。少年とてその例外ではなく。
「あんた。誰?」
 たたずむ少女に少年は無造作に声をかけた。
 少女に反応はない。長い睫毛(まつげ)を地に伏せたまま、一向に動こうとしない。さながら等身大の人形のようだ。
 聞こえていないのか。
 少女に少年は再び呼びかけた。
「あんた。名前は?」
「人にものを尋ねる時は自分から名を名乗るということを知らないのか」
 澄んだ声とともに少女は初めてまぶたを開けた。どうやら少年の声は耳に届いていたらしい。
 長いまつげに縁取られていたのは髪の色と同じ漆黒の瞳。切れ長のそれを無造作に。というよりは剣呑なまなざしを少年に向ける。
 容姿と言動の格差に戸惑いを覚えるも、確かに彼女の言葉にも一理ある。咳払いをすると、少年は自ら名乗りをあげた。
「おれは月臣。あんたは?」
「誰も名乗るとは言っていない」
 ばっさり。
 少年の声を一刀両断に切り捨てると彼女はきびすを返した。
「なんだよ。そっちが言ったんだろ」
《してやられましたね》
 苦笑する精霊の声を一瞥(いちべつ)すると、月臣は地団駄を踏んで悔しがった。
 おれは一体何をやっているのだろう。
 『本番』を前倒しして瑠風(るか)にくっついてやってくれば毎度のごとく道に迷う始末。幼なじみのように剣を作れるならまだしも自分にはその才能がない。だからこそ、師匠に無理を言ってやってきたのに。これではただの足手まといではないか。
 おれだって剣でありたい。英雄でありたいのだ。遠い昔、誰かに約束したように。
 なんてことを少年が考えるはずもなく。
 正確には少しだけ考えていたのだが。先ほどの一件で完全に消え失せていた。
《しかし、どうします。つっきー》
 蒼前(そうぜん)の声に少年はふと我にかえる。
「あんな女のことなんか知らないぞ。おれは一人でも瑠風を待つ」
 憮然とした面持ちの少年に蒼前は嘆息する。
《『動かないで』といったるぅの約束を破ったのはどこの誰ですか》
「約束したわけじゃないだろ。あいつが勝手に」
 月臣の反論みは目もくれず。精霊は淡々と事実を口にする。《主は長くて二時間と言っていました。そろそろ時間になるのでは》
 蒼前の指摘はもっともだった。幼なじみがそばにいない以上、ここから抜け出す手立てはない。
 彼女を追うことしか他に手がかりはないのだ。
「なあ。待ってくれよ!」
 頭をかきむしった後。少年は彼女の後を慌てておいかける羽目になった。
 とは言ったものの。彼ができることといえば無言の少女の隣をただ歩くしかなく。
「あんた。きれいな目してるよな」
《新手のナンパですか》
 漆黒の少女の隣を歩く、剣に語りかける少年(しかも突っ込みあり)という奇妙な構図ができていた。
「ここに来る途中で瑠風と離れちゃってさ。瑠風っていうのはおれの従兄弟。結構口うるさい。
 で。そいつを捜してる時にあんたに会った」
 月臣が身振り手振りで話しても少女は表情を変えない。動いているのは二本の足と腰元で揺れているもののみ。
「あんたも一人みたいだし。一人より二人の方が歩いてて楽しいだろ」
《本当にたちの悪いナンパですね》
 蒼前の声を黙殺し、月臣はなおも食い下がる。
「あんた。珍しい物持ってんだな」
 少女の腰元で揺れているもの。それは一振りの剣だった。
 金色の剣。鞘には紅の蜻蛉(とんぼ)の模様がほどこされ、刀身は少し反り返っている。片刃のそれは年若い少女が持つにはやや無骨な印象もうける。
「おれも師匠から借りてるけど。なかなか使いこなせないんだよな」
 手にした銀色の剣を一瞥すると、そっと少女の様子をうかがう。
 少女はやはり、反応を示さなかった。
「ここってさ。こんなに暗かったっけ? はじめはもうちょっと明るかった気がするけど」
《誰かがやみくもに歩き回っていましたから。世界の端にでも来たのではありませんか》
 剣の声が聞こえるのは月臣だけ。正確には瑠風や師匠など特定の人物に対し、精霊の思念が頭に直接入り込んでくるのだが、常人にはわかるはずもなく。『少女の周りをかぎまわる危ない人』という光景はずっと続いていた。
《完全に無視されてますね。それに、こんなにあからさまに声をかけていればさすがに怪しまれるのでは》
「あおの声はおれにしか聞こえないんだろ? だったら問題なしだ」
《そうですね。つっきーがただの残念な人に見えるだけですし》
「さりげにおまえ、人のことばかにしてるだろ」
 そんなやりとりにも、彼女はやはり反応を示さない――
「どうした?」
 わけではなかった。
 突然立ち止まった彼女に月臣は訝しげな視線を向ける。
「なあ。どうした――」
 少年が再び声をあげたそのとき。
「黙ってろ」
 鋭い声と視線によって制された。代わりにおとずれたのは背筋を冷たいもので撫でられたかのようなおぞましい感覚。
 この感覚は。
「死にたくなければそこから動くな」
 しばらくすると闇の中から感覚の主が姿を現した。
 少年少女をはるかに超える大きな体躯に目立つのは血のように赤い双眸(そうぼう)。体の左右から突き出ているのは牛のように巨大な爪。闇の中にそびえ立つ様はこの世の物とは思えない。
 換言すれば。それ、すなわち異形。
「また鬼か」
 異形のものに少女はいらただしげな視線を向ける。
「鬼って桃太郎とかに出てくる?」
 月臣のつぶやきに耳を傾けることもなく、少女は異形に近づいていく。
「ここは己(おのれ)のいる場所ではない。早急に立ち去れ」
 拒絶の言葉は、少女の容姿と相まって冷たい響きを放つ。だが鬼と呼ばれたそれは少女の声を嘲笑するかのように距離を縮めていく。
 眉を動かすことなく少女は次の声を発した。
「警告はした。従わぬならわたしから行くのみ」
 一言すると、少女は腰元にさしていた剣を鞘から刀を抜きはなつ。
 彼女は異形のものと戦おうとしているのだ。だったら自分にできることは。
「おれも手伝う!」
「足手まといはいらない」
 少年の提案を笑殺すると、少女はすたすたと鬼と呼ばれるものに近づいていく。
《確かに今のつっきーでは足手まといですね》
 精霊の苦笑に怒気を含んだ声をあげそうになるも、少年は目前の光景に視線を集中させる。今はそんな時ではないのだ。
 異形が咆哮とともに少女に飛びかかろうとしたその時、少女は敵の懐に飛び込んだ。
 左足に重心をかけ、抜き放った刃を左から右上に薙ぎはらう。途端、苦痛の咆哮とともに血しぶきがあがる。
「最後の警告だ。あるべき場所へ帰るならよし。そうでなければ」
 少女が言い終わるよりも早く。異形は彼女めがけて巨大な爪を振り下ろした。どうやら少女の提案を却下したらしい。
 瞬時に敵から距離をおく彼女。しかし、ほんの少し時間をおいた後。少女は地に片膝をついた。
 よく見れば左腕に赤いものが見え隠れしている。先刻の一撃が身をかすめたのだろうか。
「貴様にはわたしの声は届かなかったらしいな」
 威嚇するように少女は鬼をにらみつける。だが腕の傷と顔をしかめる様を見れば説得力があるはずもなく。
 再び少女に向かって攻撃の手が伸びようとしたその時。
 バシィッ!
 硬いものが鬼の背中に当たる。異形が振り返ると、視線の先にあったのは不敵な笑みを浮かべた少年。
「こっちだ!」
 笑みを浮かべたまま月臣は異形に向かって手招きをする。
 少女に初めて焦ったような、人間らしい表情が浮かんだが仕方がない。か弱い女性を守るのは男の役目と決まっているのだ。もっとも彼女がか弱いかどうかは大いに首をひねるところだが。
 少女の時と同様、鋭い爪が振り下ろされる。だが少年は爪が体に触れる寸前のところを紙一重でかわしていく。
《意外にやれるものですね。つっきー》
「今のおれだって、これくらいのことはできる!」
《ですが、避けるだけでは無駄に体力を疲弊させるだけでは》
 蒼前の指摘はもっともだった。注意を少女から自分に引きつけることに成功できたとはいえ、あくまで奇策。少年からの攻撃がないとわかると状況は一変。異形はじりじりと距離をつめていく。
「やっぱ、そううまくはいかないか」
 形勢逆転。息絶え絶えの月臣の前に異形が大きくのしかかる。
 やられる!
 少年が身構えたそのとき。
 ズン……。
 刃は異形の急所を貫いていた。
「我等(われら)が命ず。あるべき場所へ還れ!」
 少女の声が引き金となったかのように。刃に金色の光が収束する。
 つんざぐような悲鳴の後。鬼と呼ばれるものは跡形もなく霧散した。

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