「ねぇノボル、どーしてそんなに髪の毛気にしてるの?」
何気なくつぶやいた一言に、目の前の男の子は体を強張らせた。
「な、ナニヲオッシャイマスヤラ」
「カタコトになってる」
そう言うと、今度は額に一筋の汗をたらした。
「ソンナコトナイデスヨ。イヤダナー、シェリアサン」
やっぱりカタコトだし。それともこの年頃の男の子ってそんなに髪の毛気にするものなのかしら?
「そのくらいにしておいた方がよいのではないか? 傷ついているようだが」
「冗談よ。いくらなんでもこんなことで落ち込む人っていないでしょ? ご両親がそんな家系ならわかるけど」
眉をひそめるシェーラにアタシは笑って言った。
「第一、そんなこと気にしてる方が余計ハゲちゃうわよ。そんなことに頭悩ませるよりもっと別のことに頭使った方がいいじゃない。ただでさえ弱いんだから……え?」
くいくいと服の袖をひっぱるシェーラを見ると、彼は黙って隣を指差す。隣を見ると、男の子は膝を抱えて地面に『の』の字を書いていた。
こうなった時の彼の反応は目に見えている。黙ってすねて、ふてくされてそれで終わり。
「アタシ、そんなに悪いこと言ったかしら」
「少なくとも夕方の食事はつぶれたな」
宿の一室でアタシはシェーラとひそひそ話をしていた。
「だらしないですねえ。だから禿げるんですよ」
「まだハゲてねーーー!」
丁寧口調でとどめの一言をつぶやいたのはアルベルトで、お玉を片手に叫んでいるのはノボルという変わった名前の男の子。これでもアタシの護衛騎士様。全然それらしく見えないけど騎士様。本当に全く全然この上もなく見えないけど騎士様。
どーしてその騎士様がお玉にエプロン姿かというと、もうすぐ夕ご飯だから。どーして騎士様が夕ご飯を作るのかと言うと、ちゃんとした理由があるんだけど。
「……なんだよ」
エプロンとお玉をテーブルに置き、憮然とした表情でこっちを見てる。 そうとうご機嫌ナナメのようだ。
ため息を一つつくと、アタシは彼の黒い目をじっと見つめる。
「あなた本当に騎士様? 全然らしくないじゃない」
しゃがみこんで目の前に指を突きつけるとノボルはすねたようにそっぽを向いた。
「オレは元々地球の人間なんだ。騎士なんかできないって一番初めに言ったろ? アンタもそれでいいって言ったじゃん」
「そうだけど……」
ノボルは元々、空都(クート)の――アタシの世界の人間じゃない。お城の庭で気絶していたのをアルベルトがアタシの部屋まで連れてきた。『眠れる森の美女』ならぬ『眠れる庭の男の子』ねこれは。
黒髪に黒い目。本人曰く生まれ故郷ではみんなそうだって言ってたけど、このあたりでは珍しい。でもそれだけ。アタシの国には黒髪黒目の人に関する逸話があるんだけど、それとは似ても似つかない。
第一、背はアタシよりは高いけどそれだけだし、容姿だってその……これ以上はやめた方がいいかな? またいじけられても困るし。とにかく騎士らしくない。はじめから何も期待はしてなかったけど、ここまでくるとなんだか……ね。
「それに、らしくないって言うならアンタだってそーだろ。公女様」
嫌味たらしく言った男の子の表情はまさに不機嫌そのもの。
「お嬢の方がよっぽどそれらしーじゃん。いっそのこと境遇逆だった方がよかったんじゃ――」
そこまで言って、男の子の表情が固まる。理由は簡単。アタシが眉をつりあげてたから。
シェーラは最近知りあった子で、アタシよりも数倍きれいでアタシよりも数倍女らしい。
緑みがかった金髪に翡翠(ひすい)色の瞳の美人。褐色の肌がよりいっそうそれを引き立てている。金髪と茶色の瞳――この辺りでは珍しくない容姿のアタシとは大違い。
それくらい言われなくてもわかってる。でも、だからってそんなにふてくされることないじゃない!
「シェリア?」
シェーラが眉をひそめてる。でもそれにはかまってられない。
その隣で男の子が『まずった!』って顔をしてるけどそっちは完全に無視。
「夕食はアタシが作る。騎士様はそこでゆっくりしててくださいませ!」
ノボルのエプロンを強引に取り上げると台所にむかった。
アタシの名前はシェリア。ミルドラッドっていう都市の公女で正式名はシェリア・ラシーデ・ミルドラッド。早い話がお姫様。
本来、公女が外出することはほとんどない。殿方と会うのももってのほか。だからどこにいくにも護衛が必要。今回はそれがいつもの一人と彼になっただけ。だけど――
「ふぅ」
芋を半分むき終わり包丁をまな板の上に置く。アタシだってこれくらいできるんだから。
ノボルが料理をしているのは彼が『騎士』という名目の雑用係だから。本来、騎士は誰でもなれるというわけじゃない。ちゃんと訓練を受けて試験を受けて、合格して晴れて仲間入り。でもそれじゃあ旅に間に合わない。それで、神官のアルベルトの弟子も兼ねるということで特別に公主――お父様に認めてもらった。だから騎士の本分である主君の護衛ができない=役立たず=雑用係ってわけ。
でも料理の腕はすごいのよね。あと掃除と洗濯も。お世辞抜きで、ノボルはいいお嫁さんになれると思う。――って言ったら、本人にものすごく嫌な顔されたけど。
このままじゃアタシの立つ瀬なし。まあ、ひどい言葉(ノボルにとって)を言って機嫌を損ねちゃったみたいだからその罪滅ぼしでもあるんだけど。でもノボルだって充分ひどいこと言ったんだから、これでおあいこだ。
そんなわけで宿の台所を借りて料理をしてはみるものの、これがなかなか難しい。
「このくらい、手際よくできないとダメよね。だって――」
『公女たる者いついかなる時も臨機応変に対応できなければならない』
アタシと誰かの声が重なる。
「いつから聞いてたの?」
突然背後から聞こえた声にふりむく。そこには騎士様の師匠こと、アルベルトがいた。
「まだむき終ってないみたいですね」
そう言うと包丁を片手に残りの芋をむきはじめる。悔しいけどアタシより上手。もしかしたらノボルより上手かも。そーよね。料理を教わったのって彼からなんだし。夜中に厨房にもぐりこんでみっちり特訓したのよね。
「ねぇアルベルト。ノボルって本当にあなたが言ってた子なの?」
ずっと前から感じてた疑問を後姿に問いかける。
目元だって涼しげじゃないし全然カッコよくないし。むしろ頼りないって印象がぴったりだと思うけど。
「私が嘘を言ったことがありましたか?」
「たくさんあるじゃない」
呆れ顔でそう言うと、『若気の至りですよ』と今度は玉ネギを手に取った。鼻歌を歌いながら玉ネギをきざむその姿はまさに一流。料理人でも充分通用しそうだ。
アタシとアルベルトは主君の娘と教育係の息子と言う間柄。どこかの国の言葉を借りると乳兄弟になる。そしてアタシ達二人には、ノボルには言えない秘密があった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アタシとアルベルトが出会ったのは、アタシが11歳の時。
「ねぇリューザ、わたくしはきれい?」
「ええ。可愛いですね」
「公女らしい?」
「ええ。とても」
生まれてすぐ神殿に預けられて。遠くの学校に行かされそうだったところを神官長のリューザがひきとってくれて。だから、城の中よりも神殿の方が本当のアタシの家みたいだった。
今思うととても大変なことだったのよね。でも当時のアタシは彼を困らせてばかりで。無理難題を言っては彼の頭を悩ませていた。
もしかしたら彼の頭が薄いのはアタシのせいなのかも……と最近では思うようになったけど。今度帰ったときはちゃんと親孝行してあげなくちゃ。
もしかしたら、ノボルが髪を気にしてるのも気苦労が多いからかも……と思わないでもないけど、こっちは自業自得のような気がするから気にしないことにしておく。
「公女らしくしてれば、お父さまたち、よろこんでくださるかしら?」
「それは――」
そんな時だったの。彼に会ったのは。
「まだまだですね」
「え?」
急にわって入った声に顔を向ける。
「まだまだです。少なくとも私から見れば」
そこにいたのはリューザと同じ金色の髪に碧眼の男の人。涼しげな目元に笑みを浮かべた姿は神殿には珍しい。
「帰っていたのか」
「ただいま戻りました。心配かけて申し訳ありません」
誰なのかしら? こんな人、今まで一度も会ったことがない。
「歳をおうごとに外に出る期間が長くなっていくな。お前は。いい歳なのだから連絡くらいよこしなさい。
……お帰り。アルベルト」
「返事がないのは元気である証拠と言うじゃないですか。大丈夫ですよ。私はまだ若いですから。
……ただいま。父上」
リューザと全く同じ口調で、リューザと全く、ううん、少し違う笑みで会話をする男の人をアタシはぼうっとしながら見ていた。
しばらくすると、男の人はアタシの方に近づいて手をとった。
「シェリア様ですね。はじめまして。私はアルベルト・ハザーと申します。以後お見知りおきを」
手の甲に軽く口付けをすると、彼は、アルベルトはにこやかに微笑んだ。
アタシとリューザは八つ違い。アタシが神殿に預けられたのは生まれてすぐだったから、顔を合わせる機会がないというのはおかしい。
でもアタシとアルベルトはこれが初対面。どうして黙ってたのかしら。当時はそう思ったけど、よくよく考えてみるとアルベルトが神殿にいることってほとんどなかったのよね。いっつも留学と称して旅ばっかりしてたし。リューザの二つ悩みの種とはよく言ったものだ。
「リューザに子供がいたなんてぞんじませんでしたわ」
19歳のアルベルトは今と変わらない笑顔でアタシの話を聞いていた。ちなみにもう一つの悩みの種はアタシだったりする。だからリューザって頭が薄いのかしら。これからはあまり迷惑かけないようにしなくちゃ。
「ねぇアルベルト、わたくしの友だちになってくださらない?」
「友達、ですか?」
「だってアルベルトはリューザの子供なんでしょう? リューザはわたくしにとって育ての親ですもの。きっとなかよくなれるはずですわ」
単純に話し相手がほしかったの。だってその頃のアタシにはリューザしかいなかったから。同じ年頃の友達ってほとんどいなかったし。
「確かに父上は貴女(あなた)の教育係ですが……。
わかりました。私もシェリア様の忠実な臣下になりましょう」
「ちがいます! それじゃだめなんです!」
勢いよく言ったアタシをアルベルトは不思議そうに見ていた。
「部下じゃありませんわ! 友だちよ! わたくしは……」
だっていつも守られていてばかりだったもの。そんなのなんか嫌なの。リューザは優しいけれど友達とは違う。
「わたくしは――」
「いけませんねえ」
「え?」
言い募ろうとしたアタシに、アルベルトはそう言って人差し指を突きつけた。
「『わたくし』じゃなくて『アタシ』です」
そんなこと今まで一度も言われたことがなかったから、アタシは目を丸くするだけだった。
「……『アタシ』?」
何がいけないのかもわからなくてつぶやくと、アルベルトは笑ってうなずいた。
「そうです。『公女たるものいついかなる時も臨機応変に対応できなければならない』これが外交の基本ですから」
「ガイコウ?」
「色々な国と仲良くなるコツですよ。これからの公女は礼儀作法はもちろんですが、一般市民の教養も身につけなければなりません」
「じゃあわたくしが『一般市民のきょうよう』を勉強したら友だちになってくださいますか?」
「喜んで」
今思うと、お互いに無茶なことを言ってたと思う。でもアタシは真剣だったし彼も真剣だった――と、思う。
「ねぇアルベルト。旅のお話を聞かせて。わたくし……アタシ、たくさん知りたいの!」