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● 砂の記憶 ●

「よかったな」
 その一言を残し友人は眠りについた。だが、目先のことに捕らわれていたわたくしは友の変わりようなど気づくはずもなかった。


「ここに姉上がいる」
 耳にした自分の声に深い感慨を覚える。
 宮殿を抜け出したのは今から半年以上前。行くあてなどなかった。とにかく姉上を捜そう。捜して真実を伝えて。それから。
「何をすればよいのだ」
「焦る必要はございません。ただ、あなたの想いを口にすればいいのです」
 かたわらにたたずむ従者にうなずきを返す。
 エルミージャ・ハイル。幼少の頃から付き従ってくれた者。カトシア特有の褐色の肌に銀色の髪。青の瞳はこの空のように穏やかな光をたずさえている。
「この村にいるのは確かなのです。わたしは向こうを捜しますからシェーラ様はここでお待ちください」
 この眼差しに何度助けられたのだろう。遠ざかる後姿を見て思う。彼女に教わったのは剣術と礼儀作法。けれど本当に教わったのはもっと別のものだった。
 胸を締めつける淡い想い。この感情の名は。
「あなたが皇女様?」
 明るい声に視線を向ける。そこには金色の髪の少女がいた。
「違うの? シェーラザードって人があたしを捜してるって聞いたんだけど」
 自分と同じくらいの歳の高貴な女性。皇女という身分をいつわり村娘として暮らしている。自分とよく似た、本来ならば本当の王位継承者であるはずの姉上。彼女は今、どんな気持ちで日々をおくっているのだろう。
 どこか繋がりがあればいい。そんな淡い期待を胸に今まで生きていたのだ。だが現実は拍子抜けするほどあっけないものだった。
「あなたは皇女がこのような場所に来ると思うのか?」
 どうしてあなたがこのような場所にいるのだ。
「そうね。王族がこんなさびれた村に来るはずないもの」
 違う。口にしたいのはそんな台詞ではないのに。だが、出てくるのは意志に反するものばかりで。
「髪、短いのだな」
「あ。あなたまでそんなこという?」
 途端に眉をつり上げる様は、とてもじゃないが王族のそれではない。本物の皇女と偽りの皇女。二人に共通するのは髪と瞳のみだった。
 詳細に言えば金色の髪は日に焼けて色素がぬけかかっているし、肌の色だって日に焼けて赤みを帯びている。むしろ、わたくしの方がそれに相応しい成り立ちをしているのではないか。
 過去に『亡くなった皇女に似ている』それだけの理由で日常から切り離された自分。だが、これでは似ても似つかぬ――とは言えないが、人が見れば十中八九他人だと称されるだろう。
「じゃあ皇女様によく似たあなた。お名前は?」
 唯一わたくしと同じであった翡翠の瞳がせわしなく動く。
「シェ――」
 思わず名を口ずさみそうになり慌てて自制する。目の前の少女、たとえわずかであれ血をわけた者に偽りを騙りたくはなかった。そもそも何のためにここまで来たというのだ。
 唇をしめらせそこから紡がれたものは。
「葱牙」
「ソウガ?」
 首をかしげた女性に首肯する。
 シェーラザード・C・ユゲル・ジェネラス。沙漠の国カトシアの第一王位継承者の名前。だがそんなものは強制的に植えつけられた肩書きにすぎない。
「浅葱(あさぎ)色の牙だそうだ。名付け親は何のつもりかわからぬが」
 葱牙。これが本当の名前。今はどこにいるかわからない産みの母親が名づけたもの。
「貴女(あなた)の名は?」
「朝羽(アサハ)」
 告げられた名は、本来語るべきものとは似ても似つかぬものだった。
「朝の羽、なんだって。それこそなんのつもりなんだか」
「真似をするな」
「あ。わかった?」
 どちらともなく笑みを浮かべる。
「だが、いい名だ」
 朝を舞う羽。それは沙漠の未来を照らすのにもっとも相応しい。
 鳥はこんなところにいたのだな。
「おだててもなんにも出ないよ?」
「本心だ」
 今わかった。彼女はれっきとした女王の子だ。沙漠の朝を照らす者。それはこの国になくてはならない者。牙がいくらあがいても羽にはかわされてしまう。
 やはり自分は偽りなのだ。わかってはいても、それから逃れたいと思っていても多少の動揺は隠せない。
「朝羽」
 唯一同じ翡翠の瞳を近づけて問う。
「貴女は今、倖せですか?」
 それはずっと前から聞きたかったもの。村娘として育った本物と王位継承者であることを強制させられた偽りの皇女。多少の危険があったかもしれないとはいえ、本来ならば優雅な暮らしが約束されていたのだ。彼女は嘆かなかったのだろうか。自分の境遇を。辛い日々を――
「もちろん倖せよ」
 答えはあっさりと返ってきた。
「そりゃあ暮らしが楽とは言えないけど。こうして堂々と陽の光を浴びれるんだもの。少なくとも不幸じゃないよ。あなたは?」
 逆に問われて声に詰まる。
「あなたは今、倖せじゃないの?」
 責められているわけではない。けれども声は、瞳は。全てを見透かすかのようで。
 聞きなれた声を耳にしたのはそれからすぐ後だった。
「シェーラ様いかが――」
 エルの声が近づいて、止まる。彼女にも目の前の女性の素性がわかったのだろう。目を見開いた後、慌てて笑みの形をつくる。もっとも視線を向けられた相手はさして気にも留めていないようだったが。
「あなたの連れ? 姉弟――には見えないわね」
 当然だ。姉弟ではないのだから。
 ならば、何と説明すればいい? 幼馴染? 付き従ってくれた者?
「わたく……」
『一つ言っとくけど、普通の男は『わたくし』なんて言わないからな』
 あいつの声が浮かぶ。
 ならばどうしろというのだ。
「わたく?」
「……おれが、もっとも信頼する女性です」
 咳払いをして口調を友人のものに似せる。
「今までおれは、自分の不遇ばかり嘆いていました。そばに、こんなにも大切な人がいたのに。それに気づくことができなかった」
 違う。気づいていても告げることができなかったのだ。
 その点においてだけはあいつを評価してやってもいい。
「友と呼べる者ができました」
 唐突に始まった昔語りを二人は黙って聞いていた。
「そいつは情けなく文武の才能も自分よりはるかに劣り、取り得といえば男には似つかわしくない家事全般ですが、それでも窮地にあるわたくしを救ってくれた」
 あいつは玉砕はしたものの見事自分の想いを貫くことができた。あいつにできてわたくしにできないはずがない。いや、あってたまるものか。
「おれは特殊な環境にいて、人を人だと思わぬ時期があった。いや、そんなつもりはなかったのだが周りからはそう見えたらしい。
 そいつに否定されはじめは不快に思ったし反発もした。だがその者達のおかげでこうしてエルに逢え、あなたにも逢うことができた。だから」
『よかったな』
 ああ。本当にその通りだ。
 親しい者とこうしてめぐりあうことができた。しかも捜し求めていた者は倖せだという。
「おれも、倖せです」
 わたくしにとって、これ以上の幸福はない。
 そうだ。わたくしはこれを伝えたかったのだ。自分がここに在るということ。シェーラザードという偽りの皇女ではなく葱牙という一人の人間であること。それを目の前の女性に、姉上に知ってもらいたかったのだ。
「それだけを言いたかったんです。お元気で」
 頭を下げて踵をかえす。
 わたくしの素性(シェーラザード)を知る者がいたら、この様をどう思うのだろう。
 かまうものか。わたくしはわたくしなのだ。国のことは女王やまわりがやってくれるだろう。後はどうであれ自分の知ったところではない。
 自分の知りうる大切な者達さえ無事ならばそれでいい。
「葱牙」
 ふと呼び止められ振りかえる。
「あなたに遇えてよかった」
 姉上は笑っていた。
 日に焼けた笑顔で。王家には似つかわしくない、けれども沙漠の朝を照らすような満面の笑みで。
「おれも、あなたに逢えてよかった」

 さようなら。
 どうか、倖せに。

「告げなくてよかったのですか」
「告げたつもりだが」
 エルミージャの声に苦笑して応える。
 葱牙(ソウガ)という人間がここにいる。親しい者たちに囲まれて倖せだ。これ以上の真実がどこにあるというのだろう。
「……行ってしまわれるのですね」
 疑問ではなく断定形の声は心なしか淋しそうだった。
「エルはどうするのだ」
「ここに留まります。他の者に捕まることもないでしょうから。
 行ってください。あなたはもう自由です――」
 言いかけた言葉を指で塞ぐ。視界には従者の驚いた顔が。目線が近くなったのはいつからだろう。子どものころは見上げることしかできなかったのに。
 偽りの皇女を演じていたころはただただ幼なかった。だが今は、自分が成長したことを、男であることを嬉しく思う。
 自然に互いの顔が近づく。
「本当は、ずっと前からこうしたかった」
 初めての口付けは、とてもじゃないができたものではなかった。唇をただ押しつけただけのつたないもの。これではあいつのことを馬鹿にできない。
「また、ここに来てもいいか?」
 抱きしめて耳元でつぶやく。
「必ず戻ってくる。だから」
 言い終える前に体を離される。接吻は早急すぎたのか。なかば失意においやられたその時、彼女は言った。
「行ってらっしゃい。葱牙」
 主君に対するものとは違う、対等の、熱のこもった眼差しで。
 うなずきを返すと、わたくしは村を後にした。

 行こう。
 自分として在るために。
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