EVER GREEN

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第九章「沙城にて(後編)」

No,7 覚醒

 封印は解かれた。

 数年ぶりに自分の瞳で見たものは、戸惑いの顔にいろどられた人間達。色が変わっただけでこの反応とは。相変わらず面白いものだ。
 四肢を動かすと右腕に違和感を覚える。腕にはおびただしいまでの出血があった。
「……無理をするものだ」
 あれほど忠告をしたというのに。
 瞳を閉じ右手を負傷した左腕にあてる。わずかな光の後、表面上の出血は止まった。他の外傷は後々どうにかするしかあるまい。
 視線を落とすと、そこには銀色の髪の男がいた。
 先刻まで、この者と対峙していた相手か。この者が願ったのも無理はない。このままでは確実に命を落とす。
 先程と同様、手を男の背にかざす。しばらくすると銀髪の男は短いうめき声をあげた。
「傷を一瞬で……!」
 人の声がわずらわしい。死者をよみがえらせたわけではないのだ。そう騒ぐほどのことでもあるまい。

 そう。死者をよみがえらせたのではない。――できないのだ。我には。

 急がねば。残された時間は少ない。
 急がねば。我には成すべきことがあるのだから。
「待って!」
 声をあげたのは陽の髪の女。気丈なものだ。この姿に戸惑いを覚えないとは。
 否。そうではない。瞳は他の人間と同様、恐怖と戸惑いに彩られている。仕方あるまい。人とはささいなことに怯え、恐怖する生き物だから。
 それでも声をかけるとは。それほどまでに、この者が気がかりか。
「昇なの……?」
 銀色の髪の男を抱き上げ、女の方に歩みを進める。目前まで近づくと女は我をにらみつけた。
 にらみつけた? 違う。そうせざるをえなかったのだ。人に寄りかかり見上げる様は、少し手を加えれば崩れ落ちそうな人形のようだ。
 酔狂なことだ。この者の望み通り、眠っていればよかったものを。
「昇なんでしょ?」
「汝(なんじ)の世界には、このような姿をした人間がいるのか」
 瞳の色が変わった。恐怖と戸惑いから、絶望の色へ。
「空の色に翼を持つ人間がいるのかと聞いている」
 続けた言葉に女は体を震わせる。
「我は天使。神の娘に遣えし者」
 途端、女は床に崩れ落ちた。所詮は人間。その程度のものなのだ。
 髪を一房つかみ自身のものであることを確認する。黒かったそれは空の色へ。瞳も無論同じものだ。
 これは契約の色。過去と決別するための色。
 主と共にいると誓ったあの日から、未来永劫変わることはないのだろう。
「昇は、どこにいるの?」
 質問には答えず、女の膝元に男を降ろす。銀髪の男は相変わらずうめき声をあげるのみ。
「後は汝しだいだ」
 男の前に、緑がかった金髪の男が剣を構えた。
 殺すつもりか。この状況では無理もない。だが、義理は果たさせてもらう。
「この者は彼を助けたがっていたようだがな」
 短く告げると、皇女ははっとした眼差しで我を見つめた。
 苦しげな、悲しげな表情。なぜそんな顔をする。我は事実を告げたまでのこと。そもそも、予兆なら何度もあったのだ。気づかなかったのは汝らの落ち度だ。
 これで契約の一つは済んだ。残りは。
 一行に踵を返し、翼をはためかせる。中央に降り立つと広間にはどよめきがおこった。
 なぜそこまで動揺する。それほどまでに、我が異質か。それとも本能で感じるのか。我が異質なものであるということに。
「間違いない。彼の者こそ教えに語られし天使」
 否。そうでもないらしい。
 周囲とは違う、異質な眼差しを向けるのは銀色の髪の男。
「我を呼び覚ましたのはお前か」
「そうだ」
 翡翠(ひすい)の瞳に宿るのは憧憬(どうけい)と渇望(かつぼう)。女の時とは違うが、これもまた人の為せるものなのだろう。
 この瞳が意図するものを我は知っている。理由は造作もない。今まで何度となく目にしたものだから。
「天を司りし者よ。どうか私の願いを叶えてくれ」
 本当に、人とは愚かなものだ。
「願いとは何だ」
「この国を私のものに」
 男の望みは予想と寸分狂うことなく、ひどく滑稽(こっけい)なものだった。
「どうした。なぜ言うことを聞かぬ」
 そして、それに対する答えも知っていた。
「貴様は誰にものを言っている」
「な――」
「我に命令できるのは神の娘のみ」
 いにしえからの習わしを口にすると、男は呆けた表情をした。まさか反論されるとは思ってもなかったのだろう。召喚しただけで我が自分のものになるとでも思ったのか。
「おお。それならその娘を捜そう。だから」
「人間。貴様は思い違いをしている」
 男が言い終わるよりも早く。言葉をかぶせる。
「どのような情報を得たかは知らぬが、確かに我は天使だ。だがこの世界にくみするものではない。
 我が主はただ一人。この世界のことは同じ世界の者に願うことだ」

 その能力は未知数。もしそいつの力を扱えることができれば、そいつはとてつもない力を得る

「話が違うではないか!」
 抗議の声をあげたのも、王族の男だった。
「宿主を極限まで追いこめば覚醒するのではなかったのか!」
 視線の先にあるのは地に伏す男。愚かなことだ。貴様がこの者を死のまぎわに追い詰めたのだろう。
 愚かなことだ。そもそも人間に我が使役できるとでも思っていたのか。
「天使を捕らえよ」
 声と共に、大勢の兵士が距離をつめる。身の程を知らぬ者め。
「蒼前(ソウゼン)」
 名を呼ぶと、床に放られていた剣は、瞬時に白馬へ姿を変える。たてがみに触れると、馬は高いいななきの後、地を蹴った。
 この者の、宿主の選択は正しい。地属性の道具を用意していたことには敬意をあらわすべきだろう。もっとも完全に使役するにはいたらなかったようだが。
 現れたのは結晶化した石のつぶて。避難しようにも、足場を崩されていては身動きはとれまい。
 恐怖の声をあげる兵士達。自業自得だ。我に刃を向けるからそういうことになる。
 周囲が血だまりとなるのに時間はそうかからなかった。
 血の海、か。
 宿主はそう呼んでいた。なるほど。悪くはない表現だ。赤黒い液体の中に人が倒れる様はそう呼ぶにふさわしい。
「やめて!」
 女の制止の声が響く。
 うるさい。邪魔をするな。これが、この者の願いなのだ。
「おねがい。もう――」
「黙れ」
 底冷えのする視線を向けると、陽の髪の女は口を閉ざした。
「時間がないのだ。我を阻むのなら容赦はしない」
 唇が青ざめている。愚かなものだ。はじめから口を開かねばよいのに。
 視線を兵士達の主に移すと、王族の男は短い悲鳴をあげた。再び翼をはためかせると、残ったわずかな兵士が矢を放つ。
 腕をふるいそれらをはねかえすと、兵士は攻撃の手を止めた。
「頼み方が悪かったのならあやまる。ならばせめて、この国に滅びを」
 やつぎばやに望みを告げる男の前に降り立つと、口を開く。
「かつて、貴様と同じ願いをこうた者がいた」
 五年前に。
 行動を共にしたし、願いが果たされることはなかったが。
「筋は悪くなかった。こうして我を呼び寄せたのだからな」
 もっとも、自らを破滅に追い込む結果となりはしたが。
「我は地天使。この世界には在らざるべき者」
 誠名を告げたところで、男には理解できただろうか。
 これが我の正体。地の娘に逢うために遣わされた者。大沢昇と呼ばれた者のもう一つの姿。
 否。もはやそうとは言い切れないのだろう。この者は、もう――
 なぜ人は、それほどまでに力を欲するのか。なぜ人は。
「我は貴様の人形ではない」
 恐怖にいろどられた顔に掌をあてる。人の生を止めることほどたやすいものはない。手に力をこめればよいだけのこと。
 息をのむ人間達。わずらわしい。滅びを望んだのは貴様達だ。
 掌に蒼の光が灯る。
 意識を集中しようとしたその時、
「おやめなさい。クー」
 声は、金色の髪の男のものだった。
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