第九章「沙城にて(後編)」
No,6 戦いの後に
千載一遇(せんざいいちぐう)っていうのはこういう時を指すんだろう。
千年に一回しかありえないような奇跡。それが重なってオレは勝利をものにした。後は簡単。剣を持つ腕に力をこめれば。
こめれば。
――できるわけないだろ。
「やめよう」
「また奇麗事?」
剣を床に放りつぶやくと、暗殺者は皮肉気に笑った。
「ぼくが奇麗事が嫌いだって事、君が一番よく知ってるだろ」
「わかってる」
「だったら!」
「オレはお前に死んでほしくないんだ!」
セイルの怒号に負けじと言い返す。
できないよ。できるわけないって。
「嫌なんだよ。これ以上、目の前で人が死ぬのは」
あんなことは一回で充分だ。自分のせいで人が死ぬなんて、あってはならない。知り合いならなおさらだ。
「一生に一度しかないチャンスだよ? ぼくが反撃するとか思わないの」
「思う。けどできないものはできない」
「人殺しが怖いから?」
うなずくと暗殺者は声をあげて笑った。
「臆病者」
冷たい、憎悪すら感じられる視線にも動じることはなかった。
「そーだよ。オレは臆病だ」
認めるのは簡単だった。今までやってきたことをふりかえればいいだけのことだから。
死人を見て吐きそうになったのは。血を見て錯乱したのは。
そのくせ、人殺しはよくないとか事情も知らずに言うだけ言って。
「オレはカッコ悪いし臆病者だ。否定しねーよ。けどな、それでも生きててほしいんだ」
人を殺すことが正しいのだとしたら、そんなものはいらない。
「肩書き一つで命が助かるってんなら、オレは喜んで臆病者になってやる」
それですむのなら、人になんて言われようがかまわない。
何が正しくて何が悪いかなんてわからない。ただ、人が死ぬのだけは嫌だった。
「君、馬鹿だろ」
「しかたねーだろ! これがオレだ!!」
ここまでくるとヤケクソで。相手の声にかみつくように言い放つ。
ダサくて情けなくてみっともなくて。戦いもろくにできず家事くらいしか取りえがなくて。けど、ここで人を傷つければオレはオレでなくなる。それだけは嫌だった。
傷つけるのが怖かった。たとえそれが、別の理由からくるものだとしても。
そんなオレを、セイルはじっと見つめていた。まるで不思議なものを見るかのように。
二人の間を長い沈黙がよぎる。
しばらくすると、暗殺者は短く息をついた。
「君を突き動かすものは何?」
ひどく優しい表情で。けれども憎悪や殺意、哀しみや親しみといったものとは違う。例えるならそれは、聖職者のような顔つきだった。
「それは――」
傷つけるのが怖かった?
違う。傷つけるのが怖かったんじゃない。傷つくことが怖かったんだ。
誰が?
――オレが。
傷つけたことを認めたくなかったから。
誰を傷つけた?
決まってる。大好きな人。オレを封じた人。
封じた人の名は?
それは――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
おれ、思い出すから。
なにがなんでも絶対もどってくる。
おれはそう決めたんだ。
もし泣かしてみろ。どこにいても駆けつけて、一発ぶん殴ってやる。
だから――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「昇?」
今になって思い出すなんて。
「タイミング悪すぎ」
この時、オレは全てを理解した。
理解した? 違う。思い出したんだ。
「訂正するよ。君は馬鹿じゃない。大馬鹿だ」
「そうかもな」
認めるのは簡単だった。もっとも、こいつが意図したものとは違うんだろうけど。
バカだよな。今になって大切なことを思い出すなんて。
オレが空都(クート)に来たということはタイムリミットを告げるサイン。
オレが思い出したということは、あの人の身が危ういということ。
全てがわかっても、伝えるべき人はここにはいない。一人は地球。一人は異世界。もう一人は。本当だ。オレに、オレ達に残された時間は少ない。
「無くしたものって取り戻せるのかな」
問いかけは誰にしたものだったんだろう。セイルに? 自分に? それとも。
律儀に答えてくれたのは暗殺者だった。
「さぁね。ただこれだけは言える。ゼガリアを殺したのは君達だ。
……そう思わないと、やってられない」
それは今まで見てきた中で、一番寂しそうな顔だった。
わかる。それ、すっげーわかる。誰かのせいにしないとやってられないんだ。認めたら、自分が崩れてしまうから。
そっか。だから忘れてたのか。思い出したらどうなるかわかっていたから。
壊したくなかったんだよな。崩したくなかったんだよな。バカだな、オレ。そんなことも忘れてたのか。
けど、それでも。
「オレ達のところにこないか」
言葉は自然にこぼれた。
「暗殺者をやめろとか言わないけど。いや、まあ、やめるにこしたことはないんだろーけど。この状態じゃ何もできないだろ。療養期間ってやつ?
シェーラとかすっげー嫌がるかもしれないけど、そこはほら勢いで」
こぼれたのはいいけど、何を言ってるのか自分でもわからなかった。
「修学旅行とか行ってみたいんだろ? 今度みんなでスキー行こう」
この感情が何なのかはわからない。それでも、なんとかしたかった。
「めちゃくちゃだとか言うなよ。この状況だって充分めちゃくちゃなんだから」
自分のためにだとか相手のためにだとか。聞かれたら両方なんだろう。もしかすると別のものからかもしれない。
「ほら、オレの力でどーにかするってことで」
ただ、このままだけは嫌だった。
「さっきまで『どんな力だ!』とか言ってなかった?」
「言うな」
絶対に嫌だった。
「昇――」
そして。
「だから君は甘いんだ」
染めるのは赤。
本当。現実はあまりにもあっけなくて。
本当。現実はあまりにも残酷で。
「だから言ったろ? 君は甘い。甘すぎる」
何が起こったのかわからなかった。理解できたのはセイルの優しい笑顔と。
「一つ教えてあげるよ。どんな時も油断は禁物だ」
背中にささった無数の矢。
「でないとこうなる」
「んなこと言ってる場合か!」
この光景は三度目だった。一度目はシェーラのとばっちりで殺されそうになって。二度目はシェリアを逃がそうとして。
そして今、暗殺者は目の前で命を費やそうとしている。
錯乱なんかできなかった。できる余裕もなかった。
「余興の時間は終わりだ。早く天使をこちらへ」
オレをかばって矢に討たれた。そう理解できたのはしばらくたってのことだった。
「そうもいかないみたい。ぼく、この大馬鹿のこと本気で気に入ったから。
お人よしにつける薬はないってね」
続く矢を、セイルは短剣を使ってふりはらう。背に血をにじませたままで。
なんでだよ。なんで。
「死にぞこないが。かまわん。もろとも討て!」
どんな人間でも最後には限界が生じる。あれほど俊敏だった暗殺者の動きはしだいに鈍くなり、最後には力なく床に果てた。
血が苦手?
当然だよな。原因を作ったのはオレなんだから。
なんで。みんなどうして。
セイル。オレはお人好しなんかじゃないよ。人がよかったらこんなことしようとなんて思わないだろ?
善人だったら、こんな――
「あああああっ!」
人に、斬りかかるようなことはしないだろうから。
自分でもわからなかった。気がついたら体が勝手に動いていた。今のオレにあるもの。それはなんてことはない。純粋な。
「…………っ!」
動きはほんの数秒で止められた。
胸を染めるものは――
「いやああああああっ!」
胸を貫いたのは、一本の矢。
これは誰の声?
体が熱いのはなぜ?
この血は誰のもの?
「やめて! もうやめて!」
――ああ、そうか。
これはオレのものか。
「このままじゃ……っ」
あいつ起きたんだ。バカだな。もう少し眠ってればよかったのに。
見られたくないから、あんな小細工したのに。あーあ、本気でカッコ悪い。
ごめん。約束守れなかった。ケーキ、これでも楽しみにしてたのにな。
……旅、本当に終わっちゃったな。
どうか、元気で。
なんでだよ。
なんでオレは何もできないんだ?
やっとわかりあえたと思ったのに。やっと思い出せたのに。
また失うのか?
二度目じゃなくて三度目までも同じ思いをしなくちゃいけないのか?
――三度目? 二度目じゃなく?
そっか。そーいうことか。だからオレは封じられたのか。
思い出してもこんなんじゃ意味ないじゃん。オレ、本気で無力なんだな。
苦しい。
辛い。
助けて。
《汝、何を望む?》
こいつを、セイルを助けてくれ!
《それだけか?》
憎い。あいつが。全てが。
「息はあるか。死んでは使いものにならないからな」
壊したい。何もかも。
「くれぐれも丁重に扱え。何が起こるかわからぬぞ」
《望みの意味をわかっているのか》
わかってる。
《本当にいいのだな?》
かまわない。
《――了解した》
そして。