第九章「沙城にて(後編)」
No,5 昇の戦い(後編)
「仮面をかぶるんです」
「なんだよそれ」
「常に平然としているんです。どんなに痛くても苦しくても、決して表情を崩さない。いわゆるポーカーフェイスですね。
そうすれば相手は多少なりともひるみます。そこに付け入るんです」
もっとも、よほどの忍耐力がなければできませんが。
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「もう終わり?」
痛い。
受け身は何度かやったことがあるけど、マジで痛い。そりゃそーか。前にやったのは特訓だもんな。実戦とはわけが違う。
「君って意外にタフだったんだね」
「お褒めにあずかり光栄です」
そんなことはおくびも出さず。アルベルトの口調を真似てみる。ついでに優雅な笑みでも浮かべたいところだけど、苦し紛れのそれはいびつなものにしかならなかった。
「痛くないの」
「全然!」
痛いに決まってるだろ。
「じゃあ余裕なんだ」
「もちろん」
あったら、こんなにボロボロになるわけねーだろ。
表情を保ちながら剣を構えなおすと暗殺者はつぶやく。
「やせ我慢もほどほどにしなよ。見ているこっちが痛々しいから」
オレだってできることならそうしたい。けど、できない。
取り出されたのはやはり短剣。接近戦用なんだろうか。今までと違い、やや長めのそれは銀色の光沢を放っている。
距離をつめ、自分にふりかかる剣を長剣で受け止める。
『無理に当てたり受け止めようとするよりも、タイミングと相手のスキを利用するんです』
確かにその通りだ。けど実戦じゃなりふりかまってられないって。
手首を通して伝わる剣の重み。なんとか手放さずにはすんだものの、気をぬいたらすぐにやられてしまうだろう。気力で場をしのぐにも限界がある。どうすればいい? どうすれば。
「これじゃあ弱いものいじめしてるみたいだ」
手をとめてセイルが寂しげに言う。確かにその通りだ。暗殺者にとってはずぶの素人なんか赤子の手をひねるようなもんなんだろう。
それでも人間、やらなきゃいけない時ってのがあるわけで。
「ほんのちょっとで弱いかどうかわかるって? だったら大した暗殺者様だ」
剣を握りなおすと声高らかにのたまった。
「挑発でもしてるつもり?」
セイルの声には耳をかさず、剣の名を呼ぶ。
「蒼前(ソウゼン)」
現れたのは白い馬。スカイアの時と同様、地の精霊は一つうなずくと瞬時に姿を消した。
「さっきも使ってたよね。レパートリー増えたんだ」
軽口を無視すると剣を床に指す。
途端に鳴り響く地鳴りの音。石のつぶてが相手に襲いかかったのは同時のことだった。
「……!?」
石ってもんじゃない。これ当たったら絶対ケガじゃすまないって。
(スカイアみたいにさ、石をぶつけるってことできる? 間接攻撃ってやつ)
《あのような小娘と一緒にしないでいただきたい。わたしは由緒正しき地の精霊だ》
(じゃあ無理か)
《決め付けないでもらいたい。わたしにも精霊としての誇りがある故(ゆえ)》
(……どっちなんだよ)
蒼前は思った以上の働きをみせてくれた。
ささった剣は床の一部を砂と化し、それをさらに結晶化させた。砂場と化したのはセイルの足元。足場をとられたところに堅いつぶてがおそいかかる。これにはさすがの暗殺者も予測できなかったらしい。セイルの頬からは一筋の血が流れていた。
自らの頬に手を当て、オレを見据えること数秒。
「わかった。本気でいかせてもらう。それが君に対する最大限の敬意だと思って欲しい」
血をぬぐうと暗殺者は笑みを消した。憎悪や哀しみなんてものは一つもない無表情。あいつは本気だ。本気でオレを殺そうとしている。当然だ。そうしむけたのは他ならぬオレ自身。
互いに距離をとり、武器を取る。
セイルは短剣、オレはスカイア(風の短剣)と蒼前(地の剣)。
短剣が目の前に迫る直前、蒼前をふるう。現れたのは石の盾。身の丈ほどあるそれは、短剣をみごとにはね返した。
《わたしにかかればこのくらい造作もないこと》
蒼前は本当に予想以上の働きをしてくれた。
初めて使った時は敵の足止め、今回は攻撃に防御ときた。地属性って実はすごい能力だったんだな。地球人に生まれてよかった。
それとも。
見せつけるように笑みを浮かべると剣を扱うのに専念する。
それからしばらくは間接戦が続いた。飛び交う短剣と風の刃。観客は誰も声を発しない。オレ達も互いの姿しか目に入らない。こんな戦いをオレがやってるってのも驚きだ。
数だけ言えば二つの属性の剣、ましてや能力強化をしているオレの方が有利だ。けど、実際は違う。
「……っ!」
腕を、足を。
無数のナイフがかすめていく。いや、かすめるなんて生易しいもんじゃない。これはえぐるって言うんだ。そりゃそーだ。付け焼刃が本物の剣に勝てるはずがない。
いくら性能が互角になったとは言え、オレ自身は剣を充分に使いこなせていない。おそいかかる短剣を時には避け時には防ぐ。この二つで精一杯だったから。慣れない武器を使ってヘマをするより慣れ親しんだものを使ったほうがいいに決まってる。セイルにもそれがわかっていたんだろう。攻撃の手は途絶えるどころか逆に早まっていた。
それでも続けた。勝つために。のりきるために。
アルベルトのために? 違う。
じゃあセイルのために? それも違う。
――オレ自身のために。
《我に代われ》
頭に響くのはいつかの声。
《時を労する猶予はない。我になれば、ことは早くすむ》
「るせぇっ!」
声を打ち消すように。
「君、誰と――」
「これはオレの戦いなんだ!」
自分に言い聞かせるように声をあげ、距離をつめる。
時間がないのはわかってる。だったら早くやるしかない。
「接近戦は意味がないってわからないの」
それ、愚問ってやつだろ。
「かくし玉があったとしたら?」
「苦しい嘘はつくだけ無駄だよ」
「無駄かどうか、今からわかる」
迷ってる暇はなかった。
勢いに任せて。そのまますべるように剣を突きつける。
「スカイア!」
そして辺りは緑に染まる。
「窮鼠(きゅうそ)猫をかむってところ?」
勝負はついた。
「よく知ってたな」
「地球にいた時勉強したんだ。言葉って奥が深いよね」
こんな時にも暗殺者は笑顔だった。
「『スカイア』って言ってたからてっきり術でも使うのかと思った。見事に裏をかかれたね。さすがあの神官の弟子ってことか」
剣を首筋に突きつけられた今でも。
オレはスカイアを使わなかった。いや、使えなかった。
「はじめっからんなこと考えてないって」
オレはオレだ。師匠とは、アルベルトとは違う。
「じゃあどうして?」
不思議そうに眉をひそめる暗殺者に力なく笑う。
「時間切れだった。オレ地球人だから精霊って短時間しか使えないんだと。
けどあの状況だろ? ひくにひけなかったから、言うだけ言って突進した」
光が出たのは単なるカモフラージュ。精霊の力を使いまくってたのも似たようなもんだ。
「じゃあ、ただのハッタリだったってわけか」
「ある意味そうかもな」
腕からは血が流れていた。
「これが、唯一あいつから学んだことだから」
誰のものかは想像するまでもない。腕から生じる痛みも聞くまでもない。『満身創痍(まんしんそうい)』って言葉の意味も聞くまでもなく。
腕から流れているのは正真正銘、オレ自身のものだった。
二つの精霊を使って間接戦を繰り広げ、隙を突いて相手に一撃をおくる。オレにできるのはこれくらいだった。
接近戦は一番最初に手ひどくやられている。だからこそ距離をとったし間接戦にもちこんだ、それしかできなかった。考える時間が欲しかった。
暗殺者相手に無傷で勝とうなんてむしが良すぎる。小手先程度の術で応戦したってどうにもならないし、最悪死ぬことだって覚悟しないとならない。
セイルだって暗殺者だ。苦し紛れに接近戦をしかけることくらいわかってただろう。わからなかったとしたら、覚悟の大きさだけ。
かくし玉なんてあるわけない。あるとしたら、それは覚悟だけ。傷つくことを恐れない、受けとめる覚悟だけ。
ハッタリをかまして最後は体当たり。それがいいか悪いかはオレにもわからない。ただ、覚悟があったから、オレは腕から血を流している。覚悟があったから、セイルの首筋にはオレの剣がある。それは変えようのない事実だった。
「オレが師匠から教わったのは、あきらめないことだけだ」
正確には少し違うのかもしれない。実際、師匠と称してアルベルトからは色々なことを教えてもらった。押し付けられたとも言うけど。
家事に雑用、剣の稽古(けいこ)。時にはえげつないことをのたまわれ、エセ笑顔に時には本気で殺意をおぼえたこともある。
考えてみれば、あいつはいつも笑顔だった。
いつでもどんな時でも。アルベルトはずっと笑顔で。
「笑ってるってさ、実はすごいことだったんだな」
笑顔で。
足が痛い。わき腹も。声を出すたびに体中が悲鳴をあげているようだ。もしかしたら出血多量で倒れるかも。
笑うこと――絶えることを学んだからこそ、オレはこうして勝つことができた。
満身創痍のオレに対して相手は無傷に等しい。首筋に剣を当てることができたのは奇跡だ。首をつらぬかずにすんだのは力のなさと意思のなせるもの。それでも両手に力をこめればどうなるかってくらい予想はできる。
後から知った傷跡の数々。あいつは一体どんな気持ちで傷を、痛みを乗り越えてきたんだろう。
「殺りなよ」
そしてこいつは、どんな気持ちで死を迎え入れようとしているんだろう。
静かにうなずくと、オレは剣を振り上げた。