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第九章「沙城にて(後編)」

No,12 エピローグ(後編)〜シェリアの決意

「おやめなさい。空(クー)」
 声は、アタシ達の後ろの方から聞こえた。
「ここはあなたのいる場所ではありませんよ」
 落ち着いていて、でも涼しげな声。よどみなく話す様は健在で、そばにいる人にとってこれほど心強いものはない。そんな話し方をする男の人をアタシは一人しか知らない。
 アルベルトはもどってきた。両脇を支えられて、今にも倒れそうな足取りで。
「空天使か」
「久しぶりですね。空」
 体に巻かれた包帯が痛々しくて。でも口調と瞳の色から、彼が健在だということはよくわかった。
「貴様にそう呼ばれるすじあいはない」
 彼がいてくれて本当によかった。アタシ達だけじゃどうにもならなかったから。天使になってしまった昇にも、アルベルトは動じることなく続けた。
「ここは俺に免じてとどめてくれませんか?」
 動じることなく? ううん、少し違う。
 爽やかな好青年。初対面の人のほぼ八割が、彼のことをそう認識する。残りの二割はうさんくささと警戒と違和感。昇の場合は後者だったみたい。人のよさそうな顔つきのわりには言動が危なかったからうさんくさかったって。
 八割の人が前者だと思うのは、顔立ちもそうだけど、その瞳から。涼しげな碧眼。一見優しそうに見える――ほんとに優しいんだけど――それに見つめられれば、ほとんどの人が好意を示すんじゃないかなって思う。だけど、時々寂しそうな顔をして。
 怪我を負ってるから苦しそうだけど、アルベルトの表情はいつもの変わらない。けれども瞳だけは、いつもとほんの少し違っていた。
 瞳に宿るもの。それは哀しみと切なさと決意。そう。この前の昇と全く同じものだった。
 昇は否定していたけど、やっぱり二人はよく似てると思う。誰にだって寂しさや悲しさはあると思う。もちろん、アタシにだって。だけど、二人に潜んでいるものはずっとずっと、深くて重い。なんとなくだけど、アタシはそう感じた。
「黙れ。娘を助けられなかった者が何を言う」
 空の瞳と碧の瞳が対峙する。ガラスのように冷たい視線にも、アルベルトはびくともしない。
「その娘がこの場にいたとしても?」
 そう言って視線を隣に、自身を支えてくれていたものに移す。アルベルトを支えていたのは二人。一人はショウ。もう一人はシーナだった。
 二人が何らかの方法でここにきたことはわかった。でもすぐには信じられなくて。戸惑いの眼差しを向けるとシーナは静かにうなずいた。
 一歩。また一歩。
「天使よ。私はここにいます。そして、あなたの主も生きています」
 厳かな声で告げる様は毅然(きぜん)としていて。アタシの知ってる友達じゃないみたいだった。
「なぜ断言できる」
「私がいるから。私がここにいるってことは、あの人も大丈夫ってことでしょ?」
 空の瞳に映るのはアタシと同じ明るい茶色の瞳。だけど、今のアタシにはシーナのような毅然さはない。
 このやり取りを見たら、誰がわかるんだろう。性別も容姿も、もしかしたら人種さえもまるで違う二人。この二人が――姉弟だなんて。
「なぜ貴女(あなた)は役目を果たさない。貴女とあの方さえいれば、ことは済むはずだ」
「私が私でいるため。だから、あなたも眠っていたんでしょう?」
「違う。我は」
「違わないよ。だから、あなたは私達に近づいた」
 未知の言葉の数々。アタシ達は、アタシは成り行きを見守ることしかできなかった。口を挟んではいけないような気がしたから。
 おいてきぼりってこういうことを言うのかしら。周囲をよそに会話は着々と進んでいく。
「時間がないのだ」
「わかってる。でも、今は昇くんを休ませてあげて」
 シーナが言うと、昇は口をつぐむ。
 アタシ達には決して見せなかった顔。シーナと昇の付き合いが長いことは知ってる。姉弟だということも。
 二人の絆は強い。わかっているはずなのに、その事実が少しだけ胸にささった。
「ここはお引きなさい。ここで時間を費やしてしまうのは貴方にとっても本懐ではないでしょう?」
「……次はないものと思え」
 それが合図。アルベルトとシーナの説得の後、昇の体はくずれ、元の姿にもどった。アルベルトの体が崩れたのも同じくらいだったけど。
 誰も動くことができなかった。あまりのことに、頭と体がついていかなかったんだと思う。誰が想像できるの? 一般人にしかすぎない男の子が突然姿を変えて、あまつさえ大勢の兵士をたおすだなんて。
 動くことができたのは、シーナとショウだけ。ショウはアルベルトを抱え上げ、シーナはモロハに駆け寄った。一言、二言会話をするとモロハは少し青ざめた顔でうなずいた。
 遠くだったから話の内容まではわからなかったけど、みんなが倒れたセイルのそばに集まって、モロハが何かをしようとしているってことだけはわかった。
「事情は後ほど話します。少しだけ、今は休ませてください」
 疲れきった表情の彼にかける言葉はなくて。
 地球に帰るつもりだと気づいたのは、モロハの術が発動した後。アタシはやっぱり何もできず、昇が昇として目覚めるまでそばにいることくらいしかできなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 あの後、シェーラは無事お姉さんに会うことができた。だけど、もどってきた時には昇の人格は失われていた。
『我は行く』その一言を残し、昇は――昇だったものはいなくなってしまった。どこに行ったのかは誰にもわからない。唯一手もとに残ったのは真っ白な羽根だけ。
 頭を下げた後、アルベルトは何も言わなかった。
 言いにくいことだから? 確かにそうなんだろう。誰だって辛いことや悲しいことは話したくないもの。そして、真実(ほんとうのこと)はきっと優しくない。
 頭を下げたまま、そんなことを考える。それでもアタシは聞かなきゃいけない。少なくとも知る権利はあるはずだ。
 長い長い時間が流れた後、ぱたんという音がした。
 頭を上げると本を閉じてこっちを見つめる男の人がいて。
「……アルベルト?」
「おとぎ話をしましょう」

 そして、真実は語られる。
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