第九章「沙城にて(後編)」
No,10 そして
シェーラの姉さんは、国はずれの村に住んでいた。
「世話になった」
頭を下げるシェーラには、以前の刺々しい雰囲気は感じられない。人間、変われば変わるもんだ。
シェーラの姉さん――本物のシェーラザード皇女は生きていた。
エルミージャさんと共に訪れた場所は本当に小さな村で、こう言ってはなんだけど、その……偉い人が住んでるようには見えなかった。人もまばらにいるものの、中心部のような華やかさは全くなく、代わりにあるのは静けさだけ。のどかと言えば聞こえはいいけど、悪く言えばさびれてるとしか言いようがない。少なくともオレの目にはそう見えた。
どうして居場所がわかったかと言うと、エルミージャさんが知っていたから。軟禁中に女王から聞いていたらしい。どうして女王が話してくれたのかはわからない。大人の事情ってやつなんだろうか。
「着いてかなくていいの?」
シェリアの声に、シェーラは首を横にふった。
「わたくし一人でいい。ことを荒立てたくはない」
「でも……」
なおも言い募ろうとしていたところに、エルミージャさんがわって入る。
「わたしが着いていきます。お二人はこちらで休まれていてください」
『幸い、ここは安全な場所ですから』隣にはそうだと言わんばかりに首肯するシェーラの姿があった。確かにその方がいいかもしれない。捜し求めていた人との感動のご対面。観客は少ないに限るだろう。
だったら友人としてしてやれることは一つ。
「一つ言っとくけど、普通の男は『わたくし』なんて言わないからな」
「アルベルトはどうなのだ」
訝しげな問いに肩をすくめて苦笑する。
「あいつは規格外。それから、もう一つ言っとくけど」
「今度はなんだ」
今度はあきれ顔。そんな顔すんなよ。あと少しなんだからさ。
右手を差し出して笑み一つ。
「よかったな」
オレの中で最大級の謝辞を告げた。
初めて会ったのは空都(クート)に来て間もない頃。ゴロツキに追われているのを見て助けたんだった。それから成り行きで着いてくることになって。
皇女の替え玉だと知った時は心底驚いたと同時に納得した。普通の男があんななりで命を狙われるなんてありえないから。とばっちりで命を狙われるなんていう、とんでもないオマケがついてきたけど、こいつとの旅は悪くなかった。
『死ぬな! 死ぬのならわたくしを二人の元へ連れて行ってからにしろ!』
セイルに襲われた時に向けられたセリフ。はじめは単純にシェリアとアルベルトのことだと思った。けど今考えると、あれってエルミージャさんとシェーラの姉さんのことだったんだな。
呆けた顔を見せた後、シェーラはオレの右手をしっかりと握った。
「ほら。行ってこいよ」
二人を追い求めてしがらみを解き放って。旅を終わらせた友人にかけられるものは、そんな言葉しかない。
「しばらくしたら戻ってくる。だから、ここで待っていてくれ」
「言われなくてもそうするって」
何しろ限界だからな。
「いなくなっていたら承知しないからな」
「はいはい」
オレ自身はどうなるかわかんないけどな。
念を押すシェーラに軽く片手をふる。そもそもここまで着いてきた時点で、そんなことはないってことくらいわからないんだろーか。
短く嘆息した後、シェーラはエルミージャさんを連れて遠ざかる。
「ノボル」
まだ言い足りないのかと視線を向けると、
「ありがとう」
それは今まで旅してきた中で一番、素直で胸に響く声だった。
なんだか疲れた。
少しだけ眠りたい。
「体は大丈夫なの?」
腰をおろしたオレに、シェリアが心配そうに声をかける。
「んー、ちょっと疲れたかも」
「ほんとに大丈――」
公女様の声は、それ以上続かなかった。
女子の体ってやわらかいよな。あったかいし安心する。
少し違うか。女子じゃなくてシェリアだから安心できるのか。
「シェリア」
顔を近づけ、ささやき一つ。
「腹へった」
真実を告げるとそのまま地に果てる。
本拠地にのりこんで捕まって。エルミージャさんのところで休んでから動きっぱなしだったからな。肉体的にも精神的にも疲れたし、腹も減る。大沢昇。これでもれっきとした男だ。
「待ってて。何か買ってくる!」
赤い顔のまま、公女様は足早にかけていった。
「……起こすくらいしろって」
後姿に苦笑する。ついでに、こんなお約束なことしかできない自分にも苦笑する。せっかくのチャンスを自分でつぶすんだもんな。オレって本気でヘタレだ。
ごろんと仰向けになると、そこには世界が広がっていた。国は違っても、こういうところは変わんないんだな。空は青くて風は澄んでいて。だとしたら、ここは間違いなく空都――空の都だ。
日差しは熱いはずなのに不思議と気にならなかった。それだけ疲れてるってことか。
とにかく休もう。少しだけ。
《少しだけでいいのか》
頭に響くのはいつもの声。
わかってるよ。時間切れってやつだよな。
待たせたままじゃ悪いか。わかった。いい加減返す――
「あなた、大丈夫?」
声をかけられたのはそんな時だった。
「平気。ちょっと疲れただけ……」
仰向けに倒れてたから見るに見かねたんだろう。おまけに直射日光じゃ干からびてもしょうがないし。
立ち上がる気力もないから、視線だけ向けて――
「どうかしたの?」
止まる。しゃがみこんで興味深そうにこっちをのぞいている。声の主は女の人だった。
「ああ、これね。珍しいでしょ。突然変異なんですって」
年のころならオレより少し上。カトシア特有の褐色の肌をした女子は、首をかしげた後納得がいったように視線の元をたどる。視線の先にあるものは、シェーラと同じ、緑がかった金色の髪。
シェーラの姉さんは確かに生きていた。
「この村の人ですか?」
「そうよ。ずっとここで育ったの」
ただし、予想とは全く異なる姿で。
髪は日に焼けてほとんど色あせている。肌の色だって同じ褐色でもシェーラよりずっと黒い。
けど、生命力にあふれている。
「……髪、短いんですね」
なけなしの力で上体を起こす。確かならわしじゃ、国の女性は髪が長かったはずだ。
「暑いから切っちゃった。だって仕事にならないもの。
お母さんにも女のらしくしなさいって言われてるんだけどね」
そう言って舌を出す様は皇女様というよりも素朴な村娘そのもので。
どうして女王がシェーラを替え玉にしたのかがわかった。容姿の目立つ者とそうでない者。同じ格好をしたならば、周囲はどちらを本物と見なすだろう。
どうして女王がこの人を遠ざけたのかわかった。自分の娘を政治に関わらせたくなかったんだろう。確かにこの人は、人にかしづかれて暮らすよりも、日に焼けた笑顔で笑っている方が似合っている。
「あなたに会いたがってる人がいます」
翡翠の瞳を見つめ、友人としてやれる最後のことを実行する。
「そいつ、オレの友達なんです。ちょっととげとげしいかもしんないけど、いい奴だから」
「その人の名前は?」
「シェーラザード」
名を告げると、彼女はきょとんとした顔をしていた。女王と同じ名前の人が会いたがってると言ったんだ。からかわれてると思ったかもしれない。それでも言わなきゃいけないことがある。
「行ってあげてください。あなたに会いたがってたから」
意思が伝わったんだろうか。シェーラの姉さんは二、三度瞬きをした後、静かにうなずいた。
「聞き忘れてたわ。あなたの名前は?」
「大沢昇」
「ノボルね。わかった覚えとく」
口の中で反芻(はんすう)すると、姉さんはすっくと立ち上がる。一緒に来ないかとも言われたけど遠慮した。本気で立ち上がる気力がなかったから。
「ノボル」
残念そうに眉をひそめた後、彼女は別れ際にこう言った。
「ありがとう」
それは弟が言ったものと全く同じもので。
なんだ。結局は姉弟だったんだな。オレ達が気にすることなんかなかったんだな。心配して損した。
《これで満足か》
ああ。シェーラならもう大丈夫だ。他の奴らも気になるけど、後は自分達でどうにかしてもらうしかない。
疲れた。今度こそ休もう。
オヤスミナサイ――
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「これからどうするの?」
「お前達に着いていく」
「それでいいの?」
「勘違いするな。恩を感じたわけではない。これは自分の意思だ」
「だって。よかったわね昇」
何が良かったのだ。わからない。
「ノボル?」
聞こえるのは訝しげな声。
「どうしたのだ。黙ってないで返事をしろ」
「そのような人間はいない」
「何を言っている……」
男の声が懸念から驚愕に変わる。
「お前はノボルではないのか!?」
人の反応は面白い。先程も目にしたではないか。どうしてそう飽きることなく驚くことができる。
「あなたは……誰?」
女の声に視界を閉ざす。少しして現れたのは空の瞳と白い翼。
「約束は果たした。我は行く」
大沢昇は、もういない。