EVER GREEN

BACK | NEXT | TOP

第九章「沙城にて(後編)」

No,0 プロローグ

 それは遠い昔の話。
「いやだ!」
 何気ない日常は突如として崩された。
「おとなしくしろ! これは命令だ」
「ぼくはおとこだ! なんでそんなことしなきゃいけないの?」
「それが女王の命令だからだ」
 カトシアは沙漠(さばく)とオアシスに囲まれた小国。同じ名を持つ女王の名の下に平和が保たれている。
 はずだった。
「お母さんは。お母さんはどこ?」
 当時のわたくしは、王都よりずっと離れた辺境の村に住んでいた。決して裕福な暮らしではなかったが、それでもよかった。父は、わたくしが生まれた頃にはすでに亡くなっていたと聞かされていたし、望むものもとりたててなかったから。
 母は、銀色の髪に褐色の肌をしていた。この組み合わせは決して珍しくはない。生まれもってのものもあるし、幾度となく日に照らされていては焼けない方がおかしい。
 わたくしの髪と瞳の色は常人とは異なっていた。金色の髪に翡翠(ひすい)色の瞳も全くないわけではない。黒の髪と瞳だってあるし、まれではあるが白や黄色の肌の人物もいる。だが、緑がかった金色の髪は嫌でも人目を惹きつけた。父親譲りのものだとわかっていたし、母が口にすることもなかったから気には留めなかったが。
 身を寄せ合うようにして母とひっそりとくらす。それだけでよかった。
 それなのに。
「おまえの母はもういない」
 耳にした声は子どもながらに残酷だった。
 母がカトシアの王宮で働いていたこと。わたくしが、現女王の夫による戯れでできたものだということ。現女王の一人娘、シェーラザード皇女の容態が危ういということ。その皇女にわたくしが似ているということ。
「女王様にひきとられるのだ。これほど名誉なことはないだろう?」
 母は、我が身かわいさにわたくしを身売りしたのだ。大金と引き換えに。
 元々、他の場所から今の村に移り住んだということは知っていた。今思えば、わたくしの髪と瞳は王家譲りのものだったのだ。貧しい生活と裕福な暮らし。どちらかをとれと言われれば、大半は後者を手に取るだろう。
 今思えば、辺境の村へ移り住んだのも人目を、王家を避けてのことだったのかもしれない。口にしなかったのではない。口にできなかったのだ。
「さあ皇女様。母君が待っておられますぞ」
 親に裏切られた子どもはどうすればいいのだろう。
「ぼくは『おうじょ』じゃない! ちかづくな!」
 子どもに大人が勝るはずもなく。あっという間に皇女として祭りあげられた。
 貧しい生活ではないが、見知らぬ者を母と呼ばなければならない。当然、見知ったものは誰もいない。
 本当の名でないもので呼ばれ監視される日々。
 閉じ込められた当初は泣いてばかりで。涙が枯れてからは何も口にしようとはしなかった。それが子どもにできる精一杯の抵抗だったから。
 食べなければ当然衰弱する。弱りきったわたくしは身動きすらままならず、ついには人目のつかぬ場所へ放りやられた。
 孤独という名の牢獄。目をつぶりさえすれば自由になれる。このまま朽ち果ててもいい。人形のように生きるよりはずっとましだ。子どもながらにそう思っていた。
 だが、死ぬことは許されなかった。
 死ねなかったのだ。彼女に出会ってしまったから。
「あなたが何者であれ、私にとっては仕えるべき主です。シェーラザード様」
 銀色の髪に褐色の肌。髪をなでる様は母のようで。
 それが彼女との、エルミージャとの出会いだった。

 わたくしはシェーラザード。皇女の名をたばかる者。
 わたくしの本当の名は―― 
BACK | NEXT | TOP

このページにしおりを挟む

ヒトコト感想、誤字報告フォーム
送信後は「戻る」で元のページにもどります。リンク漏れの報告もぜひお願いします。
お名前 メールアドレス
ひとこと。
Copyright (c) 2003-2007 Kazana Kasumi All rights reserved.