第五章「夏の日に(後編)」
No,10 不思議の館で(前編)
椎名はどんどん先に進んでいく。
「椎名っ!」
一瞬フラれたのか? ってマジで焦った。でもそれにしては表情がなさすぎだし、第一目がうつろだ。
「椎名――」
呼び止めようとしたところを第三者の手によってさえぎられる。
なんだよこんな時に! と思いつつふり返るとそこには怖い顔をしたおばちゃんの顔があった。
「今の子、あんたの連れ?」
「そーですけど」
「困るのよねー。遊ぶのは勝手だけと払うものは払ってもらわなきゃ。近頃の高校生は――」
こっちのことなどお構いなし。仏頂面で延々と説教を続けていく。
そうこうしている間に椎名の姿は遠ざかっていく。ああもう!
「これ二人分!」
チケットをおばちゃんに押しつけると再び後を追った。
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『不思議の館』とは言っても要はミラーハウスのこと。当然、中は鏡だらけ。注意して歩かないとそのままぶつかる可能性だってある。
ゴンッ!
「痛っ!」
こんなふうに。お約束を地でやってしまう自分が情けないけど、痛みにかまけてる場合じゃない。
「椎名、どこにいるんだ!」
片手で頭を抑えつつ、ぶつからないよう壁をもう片方の手でつたいながら歩いていく。
「――椎名!」
椎名はミラーハウスの中にいた。
「椎名、どーしたんだよ。さっきから変だって」
呼び方がすっかり元に戻ってしまったけど今はそれをどうこう言う余裕もない。
「…………」
やっぱり目はうつろなまま。声をかけても返事はなく、そのまま奥へ進んでいく。
このまま椎名が消えてしまいそうな気がした。
冗談じゃない。このまま何も言わないで終わってたまるか!
「まりいっ!」
「まりいちゃん!」
椎名の右腕をオレが、左腕を突如として現れたもう一人の腕がつかむ。
……もう一人の腕?
「大沢! なにボーっとしてるの! まりいちゃん押さえて!」
「あ、うん」
なんでこいつが? と思ったけどまずは後回しだ。言われるまま椎名を押さえる。
「月と太陽をもたらす者よ。我、ソードが命じる。この者に福音を!」
もう一人が錫杖(しゃくじょう)を肩に当てると、椎名の体は硬直し、床にくずれおちた。
「今ので大丈夫なのか?」
椎名を壁によりかからせながら、三人目の人物に問う。
「応急処置はすんだよ。後は本人しだい」
「んなおおざっぱな」
「あのままにしとくわけにもいかなかったっしょ? どう見ても普通じゃなかったし」
確かに。さっきの椎名は今までとは全然違った。自分の意思とはまるでちがう、そう、誰かに操られているような。
「……ん……」
軽く身じろぎをした後、うっすらと目を開ける。
「まりいっ、大丈夫か?」
「……昇くん? それに――」
「よかった。大丈夫みたい」
ほっとした表情で錫杖をしまう。とりあえず椎名は大丈夫そうだ。
あとは――
「で。なんでお前がここにいるんだ?」
ここにいる三人目の人物――諸羽(もろは)をジト目で見る。
「ああそれか。それは……」
「それは?」
「その……」
「その?」
「ええと……」
気まずい沈黙が流れる。ついでに言えば、諸羽の額には一筋の汗が流れていたりする。
「……おい」
「まりいちゃん。ここにはどうして来たの?」
オレの質問は完璧に無視して椎名の方を向く。
「諸羽っ!」
「大沢は黙ってて! ……どうしてこの場所に来たの?」
オレの非難は完璧に無視――してるわけじゃないけど、真剣な顔で椎名を見つめる。
「どうしてって、呼ばれているような気がしたから」
「呼ばれてるって誰に?」
「あの人。……シルビア……さんに」
「誰? それ」
「シルビア!?」
諸羽とオレの声が重なる。
「昇くんあの人のこと知ってるの?」
さっきまでのうつろな表情とはうって変わって、真摯(しんし)な瞳でオレを見つめる。
「オレ、その人を知ってる……?」
自分で言って驚いた。
一体いつ知ったんだ? いつ、どこで。
「オレ、その人に会ったことがある……?」
一体いつ? どこで?
思い出せない。第一なんで椎名がそいつのことを知ってるんだ?
「よくわかんないけど、その『シルビア』って人がキーワードみたいだね」
目をつぶり、どこかの探偵よろしく額を人差し指で軽くおさえるとオレ達に向き直る。
「まりいちゃんと大沢はここを出た方がいい。この先をまっすぐ行けば出口だから」
そう言って足早に奥へ進んでいった。
事情はわからないけど椎名をここから出したほうがよさそうなのは確かだ。
「椎名、行こう」
「でも諸羽ちゃんが……」
「その諸羽が行けって言ったんだ。まずは外に出よう」
心配そうな顔をした椎名の腕をとると出口に向かって歩みを進めた。
「落ち着いた?」
「うん」
ミラーハウスから出て数十分。オレ達はさっきまでいたベンチに再び腰をつけていた。
「何だったのかな? さっきの」
熊のぬいぐるみを抱きしめ、椎名がつぶやく。
「諸羽ちゃん大丈夫かな」
「あいつが大丈夫って言ったんだから大丈夫だろ」
「うん……」
気にならないって言ったら嘘になる。さっきまでのことだってよくよく聞いてみると、シルビアって人の声が聞こえた後の記憶がないって言ってたし。
けど、今日はオレにとって重要な一日なんだ。諸羽には悪いけど、今のオレにはこっちの方が大事。
大事だけど……あー、もう!
「ジュース買ってくる。椎名はそこで待ってて!」
そう言うと再びファーストフード店の方へ走った。
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せっかくのデートだってのになんでこんなことしてるんだ?
ファーストフード店で坂井に伝言を頼むとその足でさっきのミラーハウスに向かう。
あのままじゃ告白どころじゃない。やっかいごとはごめんだけど、問題の種は早く片付けるにかぎる。
「今度は一人? アンタも好きだねー」
余計なことをのたまうおばちゃんに問答無用で再びチケットを押し付けると再び入り口に向かう。
くそー。とんだ無駄金だ。後で諸羽からふんだくってやる!
「諸羽! いるか?」
そのまま中に入ろうとしたけど――
バシッ!
「うわっ!」
途中でおもいっきしはじかれた。
「なんだ? これ」
手で触ると壁のようなものがあった。もしかしてあいつが何かしたのか?
ペタペタと周りを触る。どうやら壁は建物全体を覆っているようだった。
「なんだよ。こんなことされたら余計気になるじゃねーか」
聞こえるわけがないとはわかっていてもついグチってしまう。
見えない壁。通り抜けない壁。
壁を――場所をワープすることができたら。飛び越えれたら。
「…………」
あれ、使ってみるか?
副作用があるとは言ってたけど。でもせっかくだし。使ってみないと損だよな?
「……諸羽、ごめん」
建物の中にいる人物に謝りながらポケットから紙切れを取りだす。
「人はなぜ時を紡ぐ。人はなぜ……未来を望む?」
小声でつぶやきながら距離をとる。
「我は時の輪を砕くため、三人の使者に幸福をもたらすため、我は――」
セリフを言いながら入り口にむかってダッシュ。
「時の鎖を断ち切る!」
言い終わったのと鏡の壁に向かってつっこんだのはほぼ同時。
そして全てが真っ白になった。