第十一章「未熟もの達へ」
No,9 あの頃とは違う
一番はじめにここに来たのは、時空転移(じくうてんい)を探していた頃だった。それぞれの世界の聖獣と剣の力を借りることになって、そこでシルビア――まりいの母さんに出会った。はじめはただの夢だと思った。もしくは第四の世界とか。けど、実際は世界と呼ぶにはあまりにも哀しいものだった。
時を管理するためだけに存在した白の世界。そこでは神と呼ばれるものに認められた者が延々とさだめを、命を――時を刻んでいく。
運命。世界。
そんな言葉を持ち出されてもわからないことだらけだし、現実はただ重い響きが残るだけ。第一、そんなことを日常で口にしている奴がいたら間違いなく俺はひくだろう。
『運命とかさだめとか、そんなの人が後から勝手につけたこじつけだろ? そこからずっと出られないってあんまりじゃない!』
シルビアと初めてあった時にみた悲しい夢。
『わかった。それまであたしがアンタのさだめってやつを肩代わりしてやる。半分とはいかなくても少しは縮まるだろ?』
今ならわかる。あれは、誰かを通して見た過去の姿。
登場人物は三人。一人はシルビア、一人はシルビアに向かって叫んでいた海ねえちゃん。最後の一人は、俺が体を借りていた奴。夢を見ている間、俺はそいつを通して叫んで、泣いていた。
泣いていたのは。
「アンタも天使だったんだな」
答えの主をかえりみると、そいつは肩をすくめて言った。
「あくまで候補ですけどね。ですが、簡単なまねごと程度のことならできます」
俺がこいつや海ねえちゃんと出会ったのは五年前。そして、別れたのも五年前。別れた後、二人はリザにいちゃんと共に旅を続けていた。旅の途中で三人は別れ、海ねえちゃんは自分の意思で神と呼ばれるものの元へ行った。海ねえちゃんに願いを託された男は、約束どおり空の世界で天使の肩代わりを果たした。
「あなたには大変辛い思いをさせましたね」
そう言うとアルベルトはまりいに向き直る。
「はい。辛かったです」
対する姉貴は笑顔で。あまりにもさらっと言うもんだから俺はもちろん質問の主でさえ言葉を失った。
「辛かったけど。たくさんの人に出会えたから。たくさんの想いを感じることができたから。
だから、辛かったけど平気です」
そう言って笑みを深くする。一年前までは教室の片隅でおとなしそうにしてたクラスメート。こんな彼女の姿を見たら、誰もが目をまるくすることだろう。案の定、隣ではショウが硬まっていた。もっとも『昔からこんなところがあったな』と苦笑してたけど。
「女神様は本当に肝が据わってらっしゃる」
「とーぜん。なんたって姉貴だからな」
女は怖い。男達の胸に共通の思いが浮かんだ。
「ならば、扉を開きましょう」
硬直が解けたのは、まりいの一声があってから。
「あなたに翼の民の祝福のあらんことを」
はっとした表情を見せたのはショウとアルベルトだった。
「あなたが私を後押ししてくれた言葉です。今度は私があなたを、あなた達を送り出す番だから」
視線を俺とアルベルトに注ぎながら、さっきよりも深くて力強い笑みを向ける。男達の胸に、加えて共通の思いが生まれた。女は強いと。
「私は――」
「ステアのことはわかってます。あの時の私達ではどうにもならなかったんですよね。あんな辛い思いは、もうたくさんだから。私はステアのような哀しい天使はつくりたくない。そして昇、あなたにももどってきてほしい。
空を司りし者が命じます。絶対、戻ってきてください」
本当に、強い。
「ずるいよな」
「え?」
小首をかしげた姉貴になんでもないと苦笑する。公女様といい、姉貴といい、女ってなんでそんなセリフが吐けるんだろう。そんなこと言われたら戻ってこないわけにはいかない。もしここで戻らなかったら男がすたるってもんだ。
ほどなくして城の入り口にたどりつく。そこにたたずむは一つの影。
「来てはなりません」
声は、影の方だった。
「来ては――」
「久しぶり」
影は、姉貴や公女様と同じ姿をしていた。
正確には少し違う。シェリアと同じ金色の髪に、まりいのような明るい茶色の瞳を持つ女の人。彼女の名はシルビア。この世界での名は、時の管理者。
「決着をつけにきたんだ。この先を開けてくれ」
「ここの危うさはわかっているはずでしょう? だったら」
「お願いです。『彼女』に、カイに会わせて」
シルビアの顔がこわばる。当たり前だ。目の前にいるのは自分の娘なのだから。
「今日は『神の娘』としてここに来ました。お願いです。先へ行かせてください」
「わたくしでさえ、どうなるかわからないの。あなた達が先へ進めばどうなるか」
娘と母親の、同じ色をした瞳がぶつかる。
「お願い」
周囲が見守る中、母娘はずっと黙したままだった。にらみ合うわけでもなく、かといって感情を吐露するわけでもなく。ただ見つめあうのみ。
小さな息を吐き出したのは母親の方だった。
「わたくし一人の力ではどうにもならない。だけど、ここにいる方々の力を合わせたのなら」
「先へ行けるんですね?」
まりいの問いに、シルビアはあいまいに微笑む。
「全員は無理。限られた人数でないと」
「私は行きます」
一番初めに名乗りをあげたのはアルベルトだった。
「ここまで来て引き返すわけにはいきませんから。眠り姫の目を覚ますためには王子様の力が必要でしょう?」
いつもとかわらぬエセ笑顔でこのセリフ。けど、言葉に含まれるのはまぎれもない本心だ。当たり前だ。こいつはこの日のために苦難をのりこえてきたのだから。まわりくどいやり方で、それでもひたむきに、がむしゃらに。それは俺にとっても同じことで。
「俺だって――」
「決まりだな」
「ボク達ができるのはここまでってことか」
俺のセリフはシェーラと諸羽(もろは)によってさえぎられた。
「もちろん俺も――」
「それで、俺達は何を協力すればいい」
「あなた達の時をわけてくれれば」
「それって寿命を吸い取られるってことか?」
「大丈夫。私達がなんとかするから。ただ、邪魔をしようとするものが出てくると思うから。その時はお願いできるかな」
「尽力はつくす。でも無理はするなよ」
次のセリフも、まりいとショウによってことごとくさえぎられた。
「だから――」
「敵がいるのなら、おれも協力させてもらう」
「そうですね。露払いをお願いします。私にはできそうにありませんから」
今度はシェーラとアルベルトによってたたみかけられた。
「護符くらいの陣なら描けるよ。サポートしよっか?」
「お願いするわ」
「まっかせて!」
諸羽とシルビア。っつーか、お前らいい表情してるな。これから最後の戦いに行ってきますって顔してるよ。なんか最高に輝いてるよ。渦中の当人はおいてけぼりなんですけど。
「アタシも何か協力する……昇?」
「なんでもないです」
砂の上に『の』の字を書いてることに気づいてくれたのは、シェリアだけだった。っつーか、何気にお前ら俺のこと無視してるだろ。勝手にもりあがって、俺のことなんかこれっぽっちも頭にないだろ。
「シェリア、そなたは行くのだ」
――というわけでもなかったらしい。シェーラが公女様に真面目な視線を向ける。
「でも」
「お願い。私達の代わりに弟を守って」
公女様は周囲を見渡した後、静かにうなずいた。
「わかりました」
こーいう時は、俺が守ってやれとか言われるんだけどな。普通。っつーか、これじゃ俺の立場なしだな。
なんてことを考えていると、アルベルトの声がとんだ。
「まさか、ここまできて怖気づいたんじゃないでしょうね」
「人をみくびるのもいい加減にしろって」
さすがにこれは聞き捨てならない。
怖気づくくらいなら初めっからこんな場所にはこなかったし、そもそも単身で乗り込むつもりだったんだ。
「先に進むための力を貸してください」
自分の意思をシルビアに告げると彼女は口の端を上げた。
「あなたは、たくさんのものに包まれているのね」
初めて見せる晴れやかな笑み。悲哀なんかみじんも感じさせない。元気で曇り気のないそれは、まるで隣にいる公女様のようで。やぱり彼女は姉貴の母親であり、公女様の叔母だった。
「カイはわたくしの定めを肩代わりすると言ってくれました。あなたは定めそのものを壊そうとしている。
あなたは怖くないの? 運命(さだめ)を破棄することが。指すものの意味くらいわかっているのでしょう?」
晴れやかな笑みで、けれども瞳はまっすぐ俺の方を向いていて。
「そーいう重いセリフ言われてもピンとこないんだ。海ねえちゃん助け出して、こんなとこからさっさとおさらばする。俺がやりたいのはそれだけ」
本当にそれだけなんだ。後は野となれ山となれ。自分で言うのもなんだけど本当に俺らしい。
「危険ですよ」
「わかってる」
それだけ言うと、頭を下げる。シェリアを連れ、隣にはアルベルトが。三人が横を過ぎ去っても、シルビアは何も言わなかった。
「昇!」
振り返ると、そこにはいつかの肖像画と同じ祈るような姿で膝をつくシルビアがいた。
違う。シルビアのかたわらには娘が、まりいがいる。まりいの隣にはショウが、ショウの隣にはシェーラが、諸羽が。たくさんの仲間に囲まれた彼女は、今まで見たどんな絵画よりも力強く、美しい。
「行ってらっしゃい」
共にうなずきあい、笑みひとつ。
『行ってきます』
こうして俺達はみんなと別れることになった。
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「シルビアの台詞には語弊(ごへい)がありますね」
道すがら、アルベルトが話してくれた。
ここに来たことは何度かあったけど、実際に城の中に入るのは初めてで。中に入ると、そこは外と同じく真っ白だった。唯一違うのは足場が砂じゃなくて硬いことと、頂上に向かって螺旋(らせん)階段がのびてることくらい。
「カイは確かにシルビアの運命(さだめ)を、時を受け継いだ。ですが、何も文字通り肩代わりしたわけではなかったんです」
「何か別の目的があったってこと?」
首をかしげたシェリアに、アルベルトは首肯する。
「自己犠牲なんてご立派なもの、彼女はこれっぽっちも持ち合わせてなんかいません。一緒にいた私が断言するんです。間違いありません」
「わかんないだろ。シルビアを見ていたたまれなくなったとか。アンタ、想い人のわりに海姉ちゃんのこと軽く見すぎなんじゃねーの」
「そういうあなたは、ずいぶんと彼女のかたを持つんですね。さすが初恋の君といったところでしょうか」
「んな昔の話はどーだっていーだろ!」
さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。事態はなぜか五年前の話にさかのぼっていた。
「そーだよな。アンタ昔っからそうだったよな。好きならちゃんと本人に言えばよかっただろ。あれじゃ嫌われてもしょうがないだろ」
「あなたのようなお子様には言われたくありませんね」
「じゃあ小学生まがいのことをしてたアンタは、俺よりもっとガキなわけだ」
不毛な口論が最高潮に達したその時、師弟の頭上に拳がとんだ。
「小さな子どもじゃないんだから昔のことで言い争わないの! 今はもっと大事なことがあるでしょ!!」
『……はい』
拳の主は言わずとしれた公女様。まったくもっての正論に、俺はおろかアルベルトまで素直にうなずいてしまった。
「……アタシだって、少しは妬いてるんだから」
手を離し、そっぽを向く様は正直なんていうか、その――可愛い。すごく。どうしようもないくらいに。初めから全く意識してないわけじゃなかった。だから今となっては一つ一つの動作にこれでもかってくらいに反応してしまうわけで。
隣を見ると、『ここで抱擁でもしようものならただじゃおかないからな』と師匠が目で殺して、もとい、語っていた。
「話をもどしますが、カイは自己犠牲のためにここへ来たのではありません。勝算があったから。時が壊れることを確信していた、信じていたからここへ来たんです」
咳払いをして、アルベルトは俺達に向き直る。
「信じるって何を」
「それは」
光が道を照らしたのはその時だった。
「来いって言ってるのかな」
「でしょうね」
道と言っても結局は城の中だから、ただ上にのぼることしかできない。ひたすら上へ、前へ。
そこにあったのは氷の棺。
「海ねえちゃ――」
「カイ!」
名前を呼ぶよりも早く。アルベルトは彼女に向かって駆けだしていた。