EVER GREEN

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第十一章「未熟もの達へ」

No,10 今ここに立つ自分

 白い空間に悲痛な声が響く。
「わかるか? 俺だ」
 棺(ひつぎ)に向かって声を荒げるのは、言わずと知れた俺の師匠。
 あいつも人だったんだな。
 今まで何度かあいつの後ろ姿を見てきたけど、今度のが一番ひどい。
「……っ!」
 隣でシェリアが小さく顔をしかめる。視線を向けると、そこには俺のものとつながれた彼女の左手。どうやら無意識のうちに手を握りしめていたらしい。
 離そうとすると、首を横にふられる。瞳には、わかっているとの一言。こいつなりの気遣いがひどく身に沁みる。俺の方も余裕がなかったから隣の存在に感謝しつつ、師匠の、師匠達の行く末を見守る。
 氷の棺。それがわかったのは中に人が眠っていたから。巨大な氷の中にたたずむのは女の人。彼女は今、一言も声を発することなく瞳を閉ざしている。
 彼女の名は相沢海子(あいざわうみこ)。俺にとっては『海ねえちゃん』で、アルベルトにとっては『カイ』だった人。
 やっぱり美人だったんだな。近づいて顔をのぞき見て。改めて思う。海ねえちゃんはあの頃と、五年前と全く変わらぬ姿でそこにいた。
 陶磁器のような白い肌に肩までのびた漆黒の髪。同じ色のまつげが、やはり同じ色の瞳を閉ざしている。もし目を開けたなら、その先には黒曜石の瞳が姿を現すだろう。
 いつか見た肖像画。そこに描かれていたのはシルビアと海ねえちゃん。シルビアは娘の説得もあって俺達を送り出してくれた。けれども海ねえちゃんは、どれだけあいつや俺が呼びかけても反応を見せない。絵の通りであれば、まっすぐに前を見据えているはずなのに。
 アルベルトはなおも呼び続ける。
「返事を――」
「無駄だ」
 アルベルトの呼びかけをさえぎったのは第三者の声。
「その者は自らの意思で定めを受け入れた。さだめを受け入れぬ者に、ここを出入りする資格はない」
 確認するまでもなかった。目の前に海ねえちゃんがいて。そのかたわらに俺達がいて。この状況を否定する人物といえば、ただ一人しか当てはまらないのだから。
「はじめまして、と言うべきでしょうね」
 棺から一旦離れ、視線を海ねえちゃんから声の主へ移す。他者から見れば、それは爽やかな笑み。けど、俺には、いや隣にいるシェリアにだってわかる。声の主に向けるアルベルトの感情。その名はただ一つしか当てはまらない。
「イールズオーヴァ」
 瞳に込められた感情の名。それは、憎悪。
「このありようはどうしたんです? 私の記憶が確かであれば、彼女は前を見据えていたはずですが」
 今までの悲痛な様はなんのその。口の端を上げて、けれども瞳はまったく笑ってない。
 相手が誰であれ師匠は変わらなかった。
「われが封じた。さだめを放棄したものに未来を語る資格はない」
「それはご丁寧に。ですが、あなたごときに彼女を語る資格もないと思いますけどね」
 違う。相手がこいつだからこそ。アルベルトは変わらなかった。たとえそれが予想とは違う形であっても。
「われを愚弄(ぐろう)する気か」
「とんでもない。ただ、名前を改めてみたらどうかと進言(しんげん)したまでです。『神を騙(かた)りし者』の方が、『寄り添いし者』よりよっぽど様になっていますよ」
 神とアルベルトの間に冷たい火花が散る。
「……仮初めの天使では使い物にならぬということか」
「そうですね。昔は選ばれなかったことを嘆いていました。選ばれなければ世界を手に入れることはないと思いこんでましたから。
 ですが、今は選ばれなかったことを嬉しく思います。何よりも彼女と出会うことができましたからね」
 瞳には空と海を。
 髪には地上の色を。
 男にしてはややかん高く、女にしてはやや低めの声。
 神に寄り添いし者、イールズオーヴァ。
 そいつの姿は。
「子ども……?」
「外見にまどわされてはいけません。霧海(ムカイ)の住人でさえ軽く百年は歳をとっているのですから」
 近寄ろうとしたシェリアをアルベルトが制止する。俺だってなんの予備知識もなかったら同じことをしただろう。駆け寄って、視線を合わせて。頭だってなでるかもしれない。『こんなところで何やってんだ』と。
 体を包むのは真っ白なワンピース。
 イールズオーヴァの正体。それは子どもだった。
「あなたも騙されるんじゃありません。あくまで仮の姿に過ぎないんですよ?」
 それくらいわかってる。ただの子どもにしちゃ声に威厳がありすぎるし仮にも神を語る奴だ。それくらい造作もないんだろう。
「汝(なんじ)もだ。何故われの命にそむく。われの声が聞こえたのだろう?」
「聞こえた」
 声に静かにうなずく。
《汝を天使につくり変えたのは神の娘。娘をつくったのはわれら。言うなれば、汝はわれの僕。それが汝の役割》
 聞こえたさ。そりゃあもう、はっきりと。
「ならば何故」
「俺は人形じゃない」
 蒼の瞳を見据え、真っ向から反論する。
「アンタも『神に寄り添いし者』であって、神じゃない」
 五年前は声を聞き入れたから人形になってしまった。それは俺自身が弱かったから。けど、今は違う。
「その神様ってやつも、とっくの昔に役目を放棄してんだ。アンタがそれを管理する必要もないし、アンタに強要される言われはない」
 決して強くはない。けど、真っ向から立ち向かおうって覚悟はできた。これ以上、好き勝手されてたまるか。
 にらみ合うこと数分。
「ならば」
 そう言うと、イールズオーヴァが光に包まれる。
 光から現れた者は。
「お前に、この者を救えるか」
 それまでと同じ、真っ白なワンピース。違うのは服の丈が長くなったことと、着ている人物が見知った人であること。
「違うな。お前にこの者が消し去れるのか」
 時を止められたものは、同じ姿を保つことができる。俺の場合、海ねえちゃんに封じられてたから中途半端に中身の時間が止まってしまった。
 後になってアルベルトが教えてくれた。けど、この状況はかなりきつい。
 何の冗談かと思った。
「……ふざけんなよ」
「ふざけてなどおらぬ。汝が一番に想う者の姿を具現化したまで」
 声まで同じだった。忘れるはずがない。一番逢いたい人の声なのだから。
 俺、本気でマザコンだったんだな。もしかしたら本気でヤバイのかも。
 前にアルベルトが失踪した時、目の前に現れたのは海ねえちゃんだった。違う。海ねえちゃんの姿をしたイールズオーヴァだった。
 そうだよな。本物で偽物であれ、大切な人、しかも逢えるはずのない人が目の前に現れたら誰だって動揺する。もしかしたらって、ありえない希望にすがりたくなるのも無理はないだろう。
 俺の前に現れたのは。
「この者の時は止まっている。汝のせいでな」
「俺のせい?」
 予想もつかないセリフに首をかしげると、イールズオーヴァは淡々と続けた。
「何らかの形で願ったはずだ。『イカナイデ』と。その強い思いのせいで、この者は楔をうたれた。過去にも未来にも逃れられず、やみくもに時を浪費している」

 天国なんて行かなくていいから。
 安心して眠らなくていいから。おれがたくさん、たくさん、たたき起こすから。

「われに与(くみ)すれば、時のさだめを譲ろう」
「……それって、シルビアと同じやつ?」
 やっとのことで紡げた声に、イールズオーヴァは首肯する。
「汝のために、この者は時を止められた。われに与すれば、この者の時をもどすことができる。お前は力が欲しくないのか?」
 わかっていてもけっこうキツイ。精神的なダメージが強い。
「絶対的な力。母親を生き返らせたくはないのか?」
 俺の前に現れたもの。それは母さんの姿をしたイールズオーヴァだった。
「欲しくないわけないじゃん」
 前にアルベルトが霧海(ムカイ)でやったこと。それは二人の銅像の破壊。地球へ帰るための力を手に入れるためだったんだろう。けど、今ならわかる。
 大切な人を利用されたら誰だってムカつくに決まってる。
「だったら」
「欲しかった。昔は」
 イールズオーヴァと俺の声が重なる。
「けどダメだ」
 重なったのは、はっきりとした拒絶の意思。
「ダメなんだよ。それじゃ。
 それって今までやってきたことが全部無駄になるってことだろ? 第一、母さんが喜ばない」
 シルビアだってそうだ。時を管理することを生業(なりわい)とした女の人は、どうやっても幸せには見えなかった。もし本当に幸せだったとしても、俺は同じ道を選ぶ。
「母さんが死んで哀しかった。海ねえちゃんを傷つけて絶望した。記憶を消された時、辛くて怖くてどうしようもなかった」
 けど。
「けど。それだけじゃなかったんだ」
 確かに俺の時は五年前から止まっていたのかもしれない。けど、まったく進んでないわけじゃなかった。
「学校行って友達とバカやって。まりいとつかささんが家族になって」
 クラスメートがある日突然お姉様になって。戸惑いまくったし反論もした。
「アルベルトとシェリアに逢って。ショウやシェーラ、セイルや諸羽(もろは)とも逢った」
 高校に入って、気がついたらなぜか異世界にいて。もっと気がついたら公女様の護衛と極悪人の弟子になっていて。
 普通の日常とは180度違う、とんでもなくて、平穏無事な安眠を求めつづけた日々。けどそれは、不本意だけど俺にとってはかけがえのない大切な日常だった。
「これまでの人生と母さんと。天秤にかけるなんてできない」
 これって薄情になったってことなんだろうか。少なくとも一年前ならできなかった決断だ。
「できないよ。できるわけないって」
 消え入るような声で、隣の手を強く握ったままで。この一年で一体何が変わったんだろう。何が残ったんだろう。
『アタシは嫌よ。人形なんて。誰になんと言われても、アタシは道具になんかならない。人形になんか、なってやらない』
 殻に閉じこもった時に聞いた大切な人の言葉を心の中で繰り返す。
「俺は大沢昇。れっきとした、ごくごく普通の高校生だ」
『つらいこととか嫌なこととかたくさんあるけど。みんなそれでも生きてるんだから。あなたは生きたいんでしょう? だからここにいるんでしょ?』
「普通の高校生に、そんな面倒な能力いらないって」
 力を得ることの代償が記憶を失うってことなら俺は全力で拒否らせてもらう。何よりも、隣にいる存在のことを忘れたくはない。こいつの呼びかけがあったから、俺は前に進めたんだ。
 辛いこと、嫌なこと。今までだってたくさんあったしこれからだってあるんだろう。けど、別のものだってたくさんあるんだ。ないはずがないんだ。
 時を、未来を。
 可能性と引き換えの力なんか、いるわけないだろ。
「この姿でもか」
 イールズオーヴァが再び姿を変える。
「普通のコウコウセイとやらが、このような姿に変われるものか」
 空を模した髪に同じ色の瞳。背中にはこの世界と同じ、白の翼。目の前に現れたそれは、もう一人の俺。
「汝の故郷では、このようないでたちの人間が存在するのか」
「するわけねーじゃん」
 他の惑星(ほし)でならいざ知らず、地球には今のところ三種類の人間しかいない。いたとしても、背中に翼の生えた動物を人として認めてくれるかどうか。
 握っていたシェリアの手を離し、目を閉ざす。
 ざわり。
 そんな感覚が体を支配する。開放するのは簡単だった。今までおさえてきたものを解き放てばいいだけのことだから。
 目を開けて再び見据えるも相手は無反応。少しくらい驚けよな。お前と同じ姿になったんだぞ。コントロールするまでどれだけ時間かかったと思ってんだ。
「それでも俺は、大沢昇なんだ」
 神に寄り添いし者に対峙するのは、空の髪と瞳を持つ、神の娘に遣えし者。
 今ここに立つ自分をほんの少しだけ、誇らしく思えた。 
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