EVER GREEN

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第十章「真実(ほんとうのこと)」

No,5 白の世界

 目を開けると、全ては真っ白だった。
「どこ……?」
 そんなことしか言えない自分がもどかしい。だけど、そうとしか表現できなかった。
 霧海(ムカイ)なら、こんなに真っ白であるはずがない。地球なら、もっとたくさんの建物があるはず。当然、アタシの生まれ故郷でもない。
「ここ、どこなの?」
 辺りに響くのはアタシ自身の声だけ。一緒に来たはずの、みんなの姿は見えない。シーナも、ショウも、シェーラもいない。モロハやセイルだって。
 木もなければ空もない。全てが真っ白。ここにいるのはアタシ一人。見ず知らずの場所に、一人取り残されてしまったという現実。心細さに自然と涙腺がゆるむ。
 ――本当に?
 脳裏に浮かぶのは、いつかの景色。
『じゃあ、さしずめここは――』 
 アルベルトを捜すために無理矢理ついていった場所。そこが確か、こんな景色だった。
 術を使ったのは黒髪の男の子。
 ちょうど、たった今、視界に映ったような――
「昇!」
 遠目に映った人影に声をかける。だけど、影は何もしゃべらない。しゃべらないから、アタシも黙るしかなくて。
 無言のまま、人影は遠ざかっていく。
「待って!」
 広がる距離を埋めようと、アタシは必死に足を動かす。でも、距離は一向に縮まらなくて。
 昇ってこんなに足、早かったの?
 そんな思いが胸に浮かぶ。砂に足をとられているからかもしれない。彼が尋常じゃないことも、充分に考えられる。だけど、それにしたって不自然だ。
 アタシは運動音痴じゃない。シーナほどすごくはないけど、その辺のお姫様よりは、はるかに動けるはずだ。それなのに、この現状はどう説明すればいいんだろう。
 アタシは昇のことを知らない。少なくとも、こんなに機敏だとは思わなかった。
 突きつけられた事実に胸が苦しくなる。そうだ。昇にアタシの知らない部分があるように、アタシにも、昇の知らない部分がある。昇がラズィアの一件を知らないように、アタシも昇の過去を知らない。
 しばらくすると、大きな建物が見えた。周りの景色と同じ。真っ白で、目をこらさなければ周りに溶けてしまいそう。
 人影は、その中に入っていった。迷わず、アタシも中に入ろうとして、
「ストップ」
 直前に腕をつかまれる。ふりむきざま、視界に入ったのは銀色の髪に青の瞳。
「……セイル?」
「ここってさ、どこなの?」
 重なったのは疑問の声。他にもいるかもって辺りを見回したけど、視界に入るのは彼一人。
 みんなは大丈夫かしら。そんなことを思っていても今は時間の無駄で。仕方ないから、質問に答える。
「ここは……」
『じゃあ、さしずめここは『雪の砂漠』ってところか』
「雪の砂漠」
 記憶の中の言葉を口にすると、セイルは軽く眉をひそめた。
「ずいぶんメルヘンちっくな名前だね」
 本人が言ったんだもの。仕方ないじゃない。
 そう言いたいのをぐっとこらえる。本当に、今は無駄な口論をしている場合じゃない。
「もしかしたら、あなたが来たかもしれない場所なのよ?」
 景色の一部を、砂を手にとりながら言うと、セイルは不思議そうに眉根を寄せた。
 以前、昇が術を使った時にこの場所に来た。砂だらけの真っ白な世界。昇は砂のことを、雪みたいだって言っていた。だから、雪の砂漠。別の呼び方もしていたけど、そっちの方は覚えてない。
 本人曰く、ここに来るのは術の副作用だって言ってた。アルベルトも術に、時空転移(じくうてんい)に巻き込まれていなくなった。術は、必ず成功するとは限らない。むしろ、ここに飛ばされる確率の方が高かった。だとしたら、今回も後者にあたるんだろう。当然よね。術を唱えたのがアタシだもの。
 一部始終を説明すると、セイルは『成功してよかった』って安堵の息をもらした。
「そんな危険な場所なら、なおさら危ないでしょ。一旦引き返そう」
「嫌」
 普通なら彼の言うことが正しいんだろう。けれど、アタシにはそれができなかった。
「アルベルトと約束したの。『翼より鱗(うろこ)です』なんだから」
「翼って、世界の理(ことわり)の?」
 セイルの問いかけにうなずく。昇の世界では『じゃんけん』って言ってた。鱗が『ぐー』で、爪が『ちょき』。翼が『ぱー』で三つ。だから三つの聖獣で、世界。
「連れ戻すまで帰らない。あなたも昇を追って来たんでしょう? だったら少しは手伝いなさい!」
 それだけ言うと、建物の中に足をふみいれる。
「男でも女でも、なんでお姫様って強情なんだろう」
 嘆息は聞こえないことにした。
 走って、走って。また走って。
 建物の中は、やっぱり真っ白だった。まるで、白いお城みたい。建物だってわかったのは、壁があったから。真っ白なそれは、空高く続いている。なんて言っても、全てが同じ色だから実際はどうかわからないけど。
 何もかもが真っ白な世界。その中に、たたずむのは黒髪の男の子。
「昇……なの?」
 震える声に、男の子がゆっくりと振り返る。
 いつもなら、くったくなう笑う黒の瞳。だけど今は、ただ無表情にアタシを見据えている。それはまるで、天使になってしまった時のようで。
 翼はなかった。髪だって元にもどってる。それでも不安はぬぐいきれなくて。
「そうだよ」
 もれたのは小さな声。
「もどろう。皆心配してるのよ?」
「もどらない」
 即答だった。
「オレなんかほっとけよ。お姫様には関係ないだろ」
 初めて聞いた拒絶の言葉。だけど、ここで引き下がるわけにはいかない。
「関係あるわよ!」
 人が、どれだけ心配したと思ってるの。
 人が、どれだけ泣いたと思ってるの。
 今までのこと、全部言いつくしてあげたい。だけど、口が思うように動かない。仕方がないからにらみつけていると、昇はゆっくりと近づいてきた。
 明るい茶色の瞳と、黒の瞳が交差する。しばらくすると、男の子は口の端を少しだけ上げた。
 場所と状態が違ったなら、優しい微笑みに見えたかもしれない。だけど、現実はそれに反したものだった。
「これでも?」
「なに――」
 それから先は、続けられなかった。
 アタシは昇を知らない。
「爪は翼を引き裂く、だったな」
 彼に、こんな一面があったなんて。
 つかまれた腕がひどく痛い。
「知ってた? オレ、男なんだ」
 振りほどくこともできず、そのまま強引に唇をふさがれた。
 ――キスをされている。
 違う。こんなの、そんなものであるはずがない。
 二回目まで、同じ人に、しかもこんな形で奪われていいものじゃない。
 なんで。どうして。
 たくさんの思いが胸中を駆け巡る。だけど、現実は予想をはるかに上回っていた。
 服をずらされて、強引に口付けされる。抵抗しようにも、腕をつかまれてるから身動きがとれない。抗議の声をあげても、彼は一向にやめない。
 首に肩。――胸元。
 心臓がすうっと冷えていく。おかしな例えだけど、今のアタシにはこれがぴったり。それは、捕らわれて身の危険にさらされた時と全く同じ状況だった。ううん、前よりもたちが悪いかもしれない。彼は全てをわかったうえでやっている。
 慣れない感覚に背筋が凍りつく。目の前の男の子が、生まれて初めて怖いと思った。
『すでにあなたの知ってる彼ではないかもしれませんよ』
 アルベルトの言葉が頭をよぎる。アタシだって、何も覚悟しなくて行ったんじゃない。拒絶されることだって想定内だった。
 だけど。こんなことされるなんて思うはずないじゃない!
 こんな昇、昇じゃない!!
「いや……っ!」
 悲鳴と鈍い音が同時に響く。慌てて服をなおすと、アタシの前には銀色の髪があった。
「だから言ったでしょ。一旦引き返そうって」
 悔しいけど、やっぱり彼の言ったことが正しかった。
「君も君だよ。いくらなんでも、迎えに来た子にそれはないんじゃない?」
 後姿だから表情はわからない。口調は明るいけれど、アタシは、なぜか彼にただならぬ気配を感じた。
「迎えにきてほしいなんて言ってない」
 地に伏していた――セイルが殴ったからだ――昇は、口の端をぬぐうと短くつぶやく。
「へぇ。そんなこと言うんだ?」
 今度は黒と青の瞳が交差する。
 沈黙に耐えかねたのは、昇の方だった。
「そいつを連れて逃げろ」
 冷たい声。でも、セイルはうろたえなかった。
「逃げるってどこに?」
「ここではない場所」
「ここで、君は何をするつもりなの」
「時をもどす。与えられた役目を果たす」
 いつの間にか、男の子の姿が変わっていた。黒の瞳は空の色へ。背には白い翼。まるで、この世界と同化してるみたい。
 神の娘に遣える者の姿。こんな状況でも、セイルは動じなかった。むしろ、会話を楽しんでるみたい。
「役目って?」
「主を眠りから覚ます」
「覚ましてどうするの」
「世界を、全ての理を元にもどす。旅人に帰ってきてもらうにはそれしかない」
「旅人って誰?」
 ここで、会話がふつりと切れる。代わりに訪れたのは短い静寂。
 会話の端々に聞こえる不思議な言葉。主のことは、なんとなくわかる。じゃあ旅人は? 理って何のこと? 彼は一体、どれだけの秘密を抱えているんだろう。
「貴様に答える筋合いはない」
「君にも理由があるかもしれないけどさぁ。まずは彼女に謝るのが先だろ」
「勝手に追って来たそっちが悪い」
 確かにアタシが勝手にやったことだ。だけど、そんな言い方しなくてもいいじゃない。人知れず目元を手で覆うと、セイルの明るい声がした。
「驚いた。君ってへたれだったんだ」
「今更何を言っている」
「臆病だとは思っていたけど。でも、あの場面でぼくを打ち負かしたのは誰だよ」
 ……アタシも驚いた。明るい声なのに、背中から感じられるのは怒りの感情だったから。
 目元をぬぐって、おずおずと視線を移す。
「女の子に、しかも好きな女の子に乱暴するなんて愚の極みだろ。臆病より、よっぽどたちが悪いね」
 セイルは怒っていた。
「戯言(たわごと)に付き合っている猶予はない」
「ふざけるな」
 短く告げると、空になった男の子を力任せに殴りつける。
「人を負かしといてプライドずたずたにしてくれちゃって。言いたいことだけ言って、自分だけ殻に引きこもってるんじゃないよ。『これがオレ』なら有言実行してみせろ!」
 それは、今まで見てきた中で、初めて見る男の子の顔だった。
 空色の瞳に、少しだけ感情が灯ったような気がした。だけど、本当に少しだけ。次の瞬間、今度はセイルが地に伏すことになった。
「あがくな。力の差は歴然だ」
「へたれの言うことなんか、ちっとも怖くないよ」
 唇に血をにじませて。元々、彼は尋常でないケガを負っている。それに追い討ちをかけたらどうなるか。暗殺者のセイルならそれくらい、わかってるはずなのに。
 満身創痍の状態で、さらに傷をうけて。けれど、今の彼を支えているのは一つの感情だった。
「見せかけの強さよりも、前の時のがよっぽど怖いね。
 昇。君はこれからどこに進むつもりなんだよ!」
 言葉自体に力はない。だけど、セイルの感情は、確実に男の子の心を揺さぶった。
「オレに……」
 空の瞳に感情の色が灯る。その色は。
「オレにかまうな!!」
 放たれたのは緑の刃。前に敵に向けられたものは、今度はアタシ達に矛先を変えている。
「やめてっ!」
 必死に呼びかけても声は届かない。満身創痍のセイルとアタシ。アタシ一人じゃセイルを連れて逃げられないし、逃げる気力もない。
「お願い! もどって!!」
 もうだめ。
 ぎゅっと目をつぶったその時。
「はい。ストップ」
 声はすぐそばから聞こえた。
「ルシオーラ……さん?」
「久しぶり♪」
 藍色の髪と明るい声が、白の景色には、おもしろいくらいに不自然だった。
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