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第十章「真実(ほんとうのこと)」

No,14 アルベルト・ハザー

「海ねえちゃんはどうした」
 開口一番、言ったセリフがそれだった。
「記憶がもどったのでしょう? あなたが予想した通りです」
 暴走して海ねえちゃんを傷つけて。海ねえちゃんに召喚されたはずの俺は、海ねえちゃんの手によって地球にもどされた。
 俺を呼んだ理由は、天使が、自分を守ってくれる者が必要だったから。言い換えればそれは、海ねえちゃんが危険にさらされている状態だということ。俺が空都(クート)に来たということは、海ねえちゃんの身に危険が迫っていたということ。
 この部屋には俺とアルベルトしかいない。これらから導かれる事実は。
「まさか」
「ちゃんと生きてはいますよ」
 最悪の事態だけは回避された。
「……生きては?」
「ええ」 
 最悪の事態だけは。
「海ねえちゃんは今、どこにいるんだ」
 不安を含んだ声で問いかけると、アルベルトはこともなげに言いはなつ。
「あなたが今までいた場所ですよ」
 その一言で充分だった。
 俺が今までいた場所は、白の世界。無数の砂時計に囲まれた世界を、かつてシルビアはこう呼んでいた。『時の城』と。
 あの時のねえちゃんって、本物だったんだな。今さらになって思う。時空転移(じくうてんい)で二人飛ばされて。アルベルトは海ねえちゃんを見て半ば意識が混乱した。
 あの場所は危険だ。危険で、そして哀しい。寂しい。全てをとらえられ、抗らうことができなくなる。宿主の、イールズオーヴァの為すがままになってしまう。身をもって経験したからわかる。イールズオーヴァの意思に、想いに捕らわれて人形になってしまう。
 それは、言い換えれば自分ではなくなってしまうということ。
 俺とアルベルトを見て嬉しそうに、寂しそうに笑ってたねえちゃん。あの時のねえちゃんは、何かに捕らわれたままで、それでも逢えたことが嬉しくて笑ってたんだ。
「海ねえちゃんが、カイだったんだな」
「相沢海子(あいざわうみこ)。それが彼女の誠名です」
 だからカイだったのか。謎がようやくとけた。
「彼女が言ったんですよ。『名前で呼ぶな』と。自分の名前が嫌いだったようですね」
「俺は普通に呼んでたけど」
「子どもに強制させないほどには彼女も大人だったんでしょう。もしくは」
 もってつけたような言い方、かつ意味ありげな眼差しに眉根を寄せると、アルベルトは頭をふった。
「あなたが元の世界に帰ったとき――記憶を封じた時、あなたが私に言った言葉を覚えていますか?」
 代わりに口から出た問いは、五年前の記憶。記憶がもどったということは、五年前のことを思い出したこいうこと。当然、あの時のセリフも頭にあるわけで。
「『なにがなんでも絶対もどってくる』」
 おれはそう決めたんだ。
「『もし泣かしてみろ。どこにいても駆けつけて、一発ぶん殴ってやる』」
 だから――
「『あんたにたくす。お前が海ねえちゃんを守るんだ!』」
「言葉が抜けていますよ 。もっと正確に」
 顔は大真面目で。けど目の奥は笑っている。こいつ、絶対確信犯だ。
 息を整えると、アルベルトの目を見据え、続きを言う。
「……『そして、もどってきたら海ねえちゃんをかけて勝負しろ!!』だろ」
「正解です。子どもにしては立派な啖呵(たんか)でしたね。あの時のあなたは、良くも悪くも自分に正直でしたから」
 唇のはしを上げ、言われた方はよくできましたと言わんばかりの笑みをおくる。言った方は赤面ものですよ。
 確かに言った。言いましたよ。記憶を消されることが辛くて、けど忘れたくて。それでも気持ちだけは消したくなかったから、伝えた。
「バカ正直で悪かったな。だったらなんで言ってくれなかったんだよ」
 俺は過去を、アルベルトのことを忘れていた。けど忘れたのは俺だけであってこいつは違う。にもかかわらず、アルベルトの俺に対する扱いは、まるで初対面かのようだった。
「本当に、あなたかどうか半信半疑だったんですよ。同姓同名の別人だと言うこともありますから。第一、『はじめまして』とはひとことも言ってませんよ?」
 そうかもしれないけど、意地が悪いにもほどがある。こいつ、本気で性格悪い。
「それで。本物に会った感想は?」
「みごとなまでに軟弱。面白いくらいに流されていましたね」
 どーせオレは流されるままの奴だよ。
「ですが、あなたは約束を守った」
 意味がわからず顔をしかめると、『言葉通りです』と返された。
「『もどって来るまで海ねえちゃんを守れ』それが、あなたが私にした約束です。前に言いましたよね。あなたがここへ来た理由」
 確かに言ってた。人が異世界に来る理由は大きく三つに別れるって。
 一つは召喚。一つは奇跡に近い確率の偶然。もう一つは。
「認めたくはありませんが、あなたは自分の意思でここへ来たんでしょうね。約束を果たすために」
 五年前のことを、きれいさっぱり忘れていた俺。けど忘れただけで、完全には消えてなかった。
 どんなささいなことでも、意思が加われば、それは大きな力となる。空都(クート)への召喚。それは、俺自身が望んだこと。俺自身の願いだったんだ。
「カイは神のもとに帰った」
 ふいに事実が告げられる。
「彼女自身が選んだ。イールズオーヴァと話をしたいと。運命(さだめ)を変えたいと。止められなかった。
 約束を守れなかったのは俺だ。だから、もう一つの約束だけは守ろうと思った」
「もう一つの約束?」
 問いかけると碧の瞳が揺らいだ、ような気がした。
 黙っていれば爽やか好青年で、けど目の奥は全然別のものが見え隠れして。なんでもできて、悔しいけど常に俺の前を歩いてる。本当の意味で、大人の男。それが、俺のこいつに対する評価だった。その男の口から漏れたのは、予想外の事実。
「『あの子を守ってくれ』。それが、カイが俺に残した約束だ」
 こんな時。人は何を話せばいいんだろう。
「子どもはとっくに気づいているのに、俺は自分の気持ちを認めることができなかった。
 やっと打ち明けられたかと思えば、彼女は別の男の身を案じたまま旅立ってしまった。
 『あの子』とやらを見に行けば、そいつはきれいさっぱりこちらのことを忘れている」
 声は淡々としていたけど、それはまるで、慟哭(どうこく)のようだった。
「歳も世界も離れているのに、二人は想いあっている。
 歳も世界も近いのに、男は一人、取り残されている。
 取り残された男は彼女を取り戻すこともできず、子どもに全てを打ち明けることもできず、ただ年を重ねるだけ。とんだ道化だな」
 仮面を脱ぎ捨て自嘲気味に笑う様は、とてもじゃないが聖職者には見えない。かといって極悪人でもない。
「初めてお前を見た時、自分を見ているような気がした。
 何もなくて、全てに嘆いて。必死にもがいて、それでも虚勢をはって。そんなところを俺はリザに――兄に救われた」
 それは、男の声。
「リザは俺を、『純粋で傷を負った子供』と言った。だから放っておけなかったと。
 カイに出会って、望みが叶うと思った。世界を手に入れる――滅ぼすことができると信じた。けれど、彼女がお前を呼び出してから、何かが変わっていった」
 それは、男にとっての真実。
「お前を見て思った。『誰よりも純粋で、心に深い傷を負った子供』だと。はじめはただ利用するつもりだった。けれど、お前のせいで全てが狂った。
 いつの間にか、別の感情が芽生えてしまった。彼女を、子供を救いたいと。かつて父上やリザに救われた、俺自身のように」
 それは、男の嘆き。
「助けたかった。ただ、助けたかった。なのにこのざまだ」
 それは、男の願い。
「どうする? 殴るか俺を」
 そこにいるのは、ただの哀れな男。

 拳を握りしめ、男に向かって。

 目の前の男を、強いと感じたのは?
 目の前の男を、なんでもできると決めつけたのは?

「なんで海ねえちゃんを守れなかったんだよ! アンタこそ忘れてるぞ」
 拳が男に当たることはなかった。

 目の前の男を、それでも師匠だと認めたのは?
 ――俺に決まってるだろ。

「さっきのセリフの続き、覚えてる?」
 拳をといて、アルベルトの前に立つ。
 五年前は見上げることしかできなかった。それは今でも変わってない。けれど、視線は五年前よりも高くなった。それは、少しだけ目の前の男に近づいたということ。少しだけ、大人になったということ。
 口から漏れるのは、五年前の続きの言葉。
「『俺は海ねえちゃんが大好きだ。けど、海ねえちゃんが好きなのはアンタだ。
 悔しいけど、海ねえちゃんには幸せになってもらいたいから。今だけ、アンタにあずける』」
 だから、託した。こいつなら、絶対あの人を倖せにしてくれると思ったから。
 そういう意味でなら、確かに約束は守られなかったのかもしれない。
「なんで、一人でなんでもかんでも背負い込もうとするんだよ! 俺ってそんなに頼りないのか?」
 五年前ならいざ知らず、アルベルトは俺が異世界にもどってきてからも、海ねえちゃんのことは話さなかった。自分で知ろうとしなければ、まず教えてはくれなかっただろう。
「俺はお前を騙したんだぞ?」
「確かにそうかもしれないけど。今は違うんだろ? だったら帳消し!」
『私はね、世界を手に入れたいんです』
 砂海の船の上で、そう言って剣を突きつけられた。
『あの男は君を利用していたんだよ』
 沙漠の国で、そう言われたことがある。あの時は疑心暗鬼で何も言い返せなかった。
 今ならわかる。あの時の言葉は間違いなく事実だ。けど、真実ではない。こいつが本当に望んでいるものは、もっと別のところにある。
「それに、アンタは道化なんかじゃない! そんなこと誰にも言わせない!!」
 俺が言わせない。
 そこからは、ほとんどが俺の独白だった。いや、叫びだったといってもいい。
「辛かったよな。……哀しかったよな」
 目の前で大切な人をなくしていく。その辛さはオレにもわかるから。
「たくさんのもの、背負わせてごめん」
 俺が記憶をなくしている間、こいつは一人で痛みに耐えてきた。
「あんたは一人じゃない」
 けど、それは今までの話。これからは違う。
「きついならきついって言え。もう少し頼ってくれたっていいだろ。昔ならまだしも、今なら力になれると思うぞ?」
 高校当初なら確かに弱かったかもしれない。けど、今ならそれなりの度胸も実力もついた――はずだ。
 俺が一人じゃなかったように、こいつも一人じゃない。っつーか、俺達がさせない。させたくない。
 アルベルトは何も言わなかった。凝視するわけでもなく、視線をそらすわけでもなく、ただ、俺を見ていた。
「なんとか言えよ。こっちはハズいんだぞ」
 それでも、返事はない。
「アルベルト?」
「どうしてだ?」
 二人の声が重なる。
「どうしてそうなんだ。反吐(へど)がでるくらい、変わらなさすぎる」
 後から漏れたのは、小さなつぶやき。
「俺は今まで、何をやっていたんだろうな」
 右手を持ち上げ自分の顔におしあてる。
 声はかけれなかった。かけてはいけないと思った。
「カイ……っ!」
 それは初めて見る涙。
 アルベルト・ハザーという男の、本当の姿。
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