二つの月
「まどかー。呼んでるよ?」
「……いないって言って」
クラスメートの呼びかけに軽く相槌をうちながら教科書をバックにしまう。
「もう遅いんじゃない? だって――」
「だって?」
「ハニー」
「もう来ちゃったみたいだし」
「…………」
もう何も言うこともなく。荷物をバックにしまい終えるとそのまま声の主の下へ足を進める。
「何しに来たの。かつ」
軽い頭痛を覚えながら声の主――目の前の男子に問いかける。
「ひっでー。未来の夫に言うセリフ?」
でも当人は全くおくびれることなく終始笑顔を浮かべている。
私の名前は霧島まどか。ごくごく普通の高校生。
「どーしたんだよ。ハニー、ご機嫌ナナメ?」
それで、やたらと『ハニー』を連呼するこの男子は――
「かつ。何度言ったらわかるの? あなたと私はただの幼馴染。間違っても『ハニー』」なんて呼ばないで」
「りょーかい、ハニー」
「…………」
「……じゃなくて、まどかさん」
無言で睨むと慌てて言い直した。
この男子は大沢勝義。私はずっと『かつ』って呼んでる。生まれた頃からずっと家も隣どうし。誕生日もたったの一日ちがいという、まさに絵に書いたような幼馴染。
……でも。腐れ縁とは言わないけど、このノリにはいい加減疲れてくる。今時『ハニー』なんて呼ぶ男子なんていないわよ。
「それで? 今日は何の用なの」
おおかた話の内容は予想できてるけど。
「今日が何の日か知ってる?」
……やっぱり。
「今日?」
でも心の内は少しも出さないようにしてそっけなく聞き返す。
「ひっでーなぁ。忘れちゃったの?」
「……知らないわよ。誰かに聞いたら?」
顔を見ずに、やっぱりそっけなく言い返すと、すたすたと家路についた。
さすがに耳元で何度も言われると嫌でも覚えてしまう。
『今日が何の日か知ってる?』
今日は彼、大沢勝義の誕生日なのだ。
普通は女の子が言い出しそうなものだけど、彼の場合は全く逆。自分から『祝って!』ってつめよってくる男子っている? まあ彼らしいと言えば彼らしいけど。
すっごいやんちゃ坊主で歳を重ねても瞳の色だけは変わらない。
家も隣同士でお母さんたちも親友同士。だから物心つく頃には自然とお互いの家を行ったり来たりしていて。でも歳を追うごとに意識してよそよそしくなって……となれば、それこそ定番なんだろうけど、私の場合それがわからない。単にむこうが成長していないとも言えるけど。
かつのことは嫌いじゃない。好きと言ってもいい。けれどそれが、どんな意味での『好き』なのかわからない。……わからないよ。
「これは義理。義理なんだから」
そうつぶやくと、紙袋を片手に彼の家のベルを押す。
「はーい。どなた?」
玄関から出てきたのはかつのお母さんだった。
「あのー、かついます?」
「あら、まどかちゃん。勝義ならいないわよ? 出かけたみたい」
「そうですか……」
なによ。人にさんざん言っておいて。あいつったら!
「まどかちゃん?」
「なんでもないです。大した用じゃないから」
そう言うと学校の時と同様すたすたとその場を後にした。
そのまま家に帰るのもしゃくだったからほんの少し遠出をした。
電車に乗って買い物して。出かけたのが夕方近くだったから家に着いたのは八時過ぎになってしまった。
なによ。あんな奴。
人にさんざんねだっておいて肝心な時にいなかったら意味ないじゃない。
「…………」
でも。このまま渡さないのもしゃくよね。もったいないし。
仕方ないか。もう一度彼の家に行こう――
「……嘘!?」
紙袋がない。電車に乗る前まではしっかりあったのに。
もしかして落としたの!? どこで? なんで肝心な時にないのよ!
「お母さん、私ちょっと出かけてくる!」
一人でパニクッてても仕方がない。家の中に向かってそう言うと、大慌てで元来た道をたどる。
結局プレゼントは見つからなかった。
「……あーあ」
もはや探す気力もなく、公園のブランコに腰をおろす。
周りはすっかり暗くなってしまった。
なんでプレゼントの一つでこんなにしょげてるんだか。自分でもわからなかった。でもショックなのはショックで。
ふと空を見上げると、星はほとんど見えなかった。そう言えば天気予報曇りって言ってたっけ。
なんだか私って月みたい。
雲に隠れて何も見えない。自分の気持ちもわからない。まさに今日の月そのもの。
「しかた、ないよね」
もう夜遅くなったし。田舎町だとは言っても、さすがに帰らないとお母さん達心配するし。
「……か!」
あいつには悪いけどプレゼントはまた今度にしよう――
「まどか!」
……え?
振り返ると、そこには息をきらせて走る幼馴染がいた。
「かつ、どうし――」
言うよりも早く。彼に抱きしめられていた。
「ちょっと、かつ!?」
「心配したんだぞ? 誕生日にいなくなったらシャレになんねーだろ」
真っ赤になって振りほどこうとするも、力が強すぎて抵抗できない。……って……
「誕生日? 誰の?」
「今何時だか知ってる? 時計つけてなかった?」
「何時って――」
言われるまま腕時計を見ると、
「あ」
「だろ? ほら」
ようやく腕を離すと変わりに小さな包みを手渡す。広げてみると、それは――
「誕生日おめでとう。まどか」
それは鳥の形をしたブローチだった。
「覚えててくれたんだ……」
自分のことばっかり言うんだもの。てっきり忘れてると思ってた。
私とかつの誕生日は一日違い。
時計はしっかり夜の12時を回っていた。つまり今日は私、霧島まどかの誕生日。
けど――
「どうしよう。お母さん達心配しちゃう――」
「あ。それは平気。家出る時おばちゃんに言ってきたから。『まどか連れて帰ってきます。遅くなっても心配しないで』って。おばちゃんもわかったって笑ってたし」
「…………」
どうして私の親はそれで納得するのかしら。幼馴染とはいえ仮にも男と女なのに。
……でも。
「かつ。……ありがとう」
本当に嬉しかった。
「どういたしまして」
そのままクシャクシャと髪を撫でる。まるで小さい子供にするようなその仕草がなぜか心地よかった。
「でも、私の居場所なんでわかったの?」
わかるわけないじゃない。
「んー。愛の力?」
「…………」
「……嘘です。これだけ一緒にいたらわかるだろ? 何かあったときすぐここでしょげてたもんな」
確かに。小さい頃からこの公園はお気に入りで。嬉しい時も悲しい時もここにいた。悔しいけど、さすが幼馴染だ。
「伊達に幼馴染やってないんだぜ? で、何があったんだ?」
「……笑わない?」
ため息を一つつくと、私はかつにことの一部始終を話した。
誕生日プレゼントを渡そうとしたこと。それをなくして元来た道を必死になって探していたこと。はじめは黙って聞いていたけど、話が終わると今度はさっきよりも強く抱きしめてこう言った。
「プレゼントはいいからさ。ずっと隣にいろよ」
「え?」
「そんなに変わんないだろ? 今までだってずっと隣にいたんだから」
そう言って不敵に笑う。
全く根拠のない自信。だけど私にはそれがうらやましかった。
「ずいぶん安上がりなプレゼントね」
「お買い得だろ?」
確かにお買い得。でもそれって――
「……まどかみたいだな」
「え?」
「ほら」
そう言って空を見上げる。
そこには月があった。一点の曇りもない綺麗な満月。
――さっきまで雲で隠れてて全く見えなかったのに。
「ふだんは欠けてたり雲で見えなかったりするけどさ。こうしてみると綺麗だろ?」
空を見上げながら、茶目っ気たっぷりの瞳で笑いかける。
「……知らなかった。あなたってロマンチストだったのね」
「惚れなおした?」
「まだ一度も惚れてません」
でも、そうなのかもしれない。
プレゼントをなくしてショックだったのは確かだし。プレゼントをもらって嬉しかったのは確かだし。……悔しいけど、やっぱりそうなのかもしれない。
「私が月だったらあなたは太陽ね」
「なんで?」
「そのままの意味よ」
どんなことがあっても『なんとかなるさ』で切り抜けて、ふざけているようでちゃんと私のこと見ていて。そこにいるだけで周りが明るくなれる。元気になれる。……私だって伊達に幼馴染やってきたわけじゃないんだから。
「じゃあ子供は星か? それとも空?」
「話が飛躍しすぎよ。まだつきあってもないのに」
「じゃあつきあってくれるんだ?」
全く邪気のない、自信たっぷりの笑顔で私を見つめる。
「…………」
はめられた。完璧にはめられた。
でも悪い気はしなかった。
「返事は? ハニー」
「……これが返事よ」
ため息を一つつくと、彼の唇に自分のそれを重ねた。
月は二人を優しく照らしていた。
恋愛もの……の、つもりです(遠い目)。難しいです。ほんと。
ちなみにこの二人の息子が苦労人の不幸人だったりします。
なんだかんだ言ってバカップル。息子が見たら一体なんと思うことやら(さらに遠い目)。