ティル・ナ・ノーグの片隅で

伊織(イオリ)の手紙 ― 海辺のとある一日より ―

その4.海辺に響く音ふたつ

 あの子は大丈夫だったのかな。せめて親御さんの元へ返してあげたかったな。

『子どもが先だ! ユリシーズ頼む』
『言われなくても、んなこたぁわかってるんだよ。俺を誰だと思ってやがる』

 医術を学ぶために白花(シラハナ)からやってきたのにまさかこんなところで夢ついえてしまうなんて。

『そっちはどうするんだ』
『オレが行きます』

 わたしって無鉄砲なところがあったから。それがいけなかったのかな。
 でも人に胸をはれることができたんだ、後悔はない。

『おいっ! 無茶するな――』

 意識を手放そうとした瞬間、ぐいっと腕を捕まれた。
「つかまって」
 荒々しいなんてものじゃない。そうしなければ何かを手放してしまうような。力加減なんて考えてられない。とにかく必死といった体(てい)がよくわかる。
「こんなところで死にたくないだろ!」
 死にたく……?

 わたし、こんなところで死にたくない!

 何も考えられない。とにかく腕をつかむことに必死で相手がだれなのか確認する余裕もない。助かりたい、ただ一心で腕をつかんで必死にすがりついて。
「少し泳ぐ。それまでもつか?」
 とにかく必死に声の主に抱きついて。その場を乗り切るのにただただ必死で。
「もう少しでつくから……イオリ?」
 そこで、わたしの意識は今度こそ完全に途切れた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
「大丈夫か?」
 気遣うような声に、はじめて自分が助かったのだということに気づく。シャーリィちゃんはどうなったんだろうと案じていると、大人達が助けだして無事親御さんの元へもどったという回頭がもらえた。
「ソハヤさんもユリシーズさんも先にもどった。オレは人抱えてるからゆっくりもどってくればいいって言われた」
 よかった、無事だったんだね。安堵の息をもらすと同時に一つの疑問がわく。シャーリィちゃんを助けたのはソハヤさんとユリシーズ。……じゃあ、わたしは誰に助けられたんだろう。
 ぼうっとしていた頭を動かしてまぶたをゆっくりと開く。そこにあったのは見慣れたダークグリーンの瞳。
「ここまでくれば歩けるな」
 わたしがしがみついていた相手は他ならぬ相方――ユータス・アルテニカ。
 なんで彼がここにいるの? そもそも水着だって着ていなかったし出会って二年の間、全く泳ぐ素振りも見せなかったのに。
 聞きたいことはたくさんあるけれど、彼の言うように海から離れることが先決だ。しがみついていた手を離して地面に足をつけようとしたけれど。
「……っ!」
 足首の痛みにバランスをくずしてしまう。よく見ると右足は赤く腫れあがっていた。顔をゆがめたわたしに近づいて、ああと納得したようにうなずいた後。

 ひょいと体ごと横向きに抱え上げられてしまった。

 いわゆる横抱き。お姫様だっこ。
「こっちの方が早い。怪我を悪化させたくないだろ」
 年頃の女の子が憧れるものなのに。よりによってこいつにされてしまうなんて。でも緊張と疲れてしまった体は全然言うことをきいてくれなくて。大人しく彼の提案にのっかることにした。
 ユータスは背が高いだけのもやし男。本人を前に失礼だけどそんなことをずっと考えていた。でも実際は女の子一人を抱えて泳ぎきるだけの体力の持ち主だった。
 悔しいけど、やっぱり男の子なんだ。
「イオリ?」
 いつもより瞳が大きく見えるのは眼鏡をはずしているから。
 服越しに心臓の音が伝わるのは相手が服を着ていたから。
「……うん。大丈夫」
 そう言って体にもたれかかる。これらの情報から導かれるものはただ一つ。
「ユータが助けてくれたの?」
 しかも服を着たままの状態で。砂浜から海まで距離はあったはずなのに。
 問いかけたかったけど彼の表情を見て口をつぐむ。目がいつになく真剣で、安否の確認からずっと何も離さない。元々多弁ではなかったけれど、それにしたって静かすぎる。
 ほどなくして海から岸辺にたどり着くと、ようやく抱えていた腕をおろしてくれた。足に触れる砂の感触がひどくなつかしい。大地ってこんなにも安心できるものなんだ。そんな感慨にふけっていると。

 ぱしん。

 頬に鈍い痛みがはしった。

 何が起こったのかわからなかった。頬の痛みよりもぶたれたという事実が衝撃的で。
「お前は何をしにここ(ティル・ナ・ノーグ)にきたんだ」
 ましてや目の前の相方に怒られる日が来るなんて。
 眼鏡がないからか今日の相方は別人に見える。後にも先にもユータに真剣な怒りをぶつけられたのはこの日が最初で最後だった。
「オレは医学のことはよくわからない」
 真剣な表情でユータがつぶやく。
「でも、イオリがやってはいけないことをしたってことはわかる」
 わたしがやったのはおぼれているシャーリィちゃんを見つけて海に飛び込んだこと。でも冷静に考えればリオさんが言ったように人が来るのを待ってればよかったんだ。そうすればもっと早く助けられたかもしれないし、一緒になって海に沈んでしまうこともなかった。
「イオリは病気や怪我で困ってる人を助けたいと思ったから異国からここに来たんだろ? なのに、こんなところで夢を終わらせてどうするんだ」
 ぽつぽつと言葉が滑り落ちる。
「本当に人を助けたいと思うなら、まずは自分の身の安全を第一に考えるべきだ」
 いつになく真面目で真剣な眼差し。そして、その台詞は常々わたしが彼に言ってるものと同じ内容のものだった。
 ユータが工房にこもったきり飲まず食わずだとニナちゃんとウィルくんに相談されて。工房に顔を出せばグールみたいな風体の相方の姿。仕事が終わったら食べると言った彼に『終わってからの話をしてるんじゃなか!!』って思わず本気で怒ってしまった。きっと彼なりにわたしを心配してくれたんだろう。あの時のわたしみたいに。
「……ごめんなさい」
 素直に謝罪の言葉を口にすると『ん』とひとつうなずいて眼鏡をかけた。
「そういえばユータって泳げたの?」
 水着を着てなかったからてっきり運動ができない、もしかしたら泳げないのかと思ってた。海中までやってこれたってことは相当体力がないか泳ぎが上手じゃなきゃできるはずがない。
 そう思って尋ねると兄弟子達に鍛えあげられたという返答が返ってきた。全員に会ったことはないけど確かにあの個性的な面々のなかで育てば体は自然と鍛え上げられるのかもしれない。
 しばらくすると視界に藤の湯や施療院のみんなの姿がみとめられるようになった。そばにはピンクの水着を着た女の子とそのお母さんらしき人が手をふっている。よかった。シャーリィちゃん無事だったんだね。
 手をふりかえそうとして顔をしかめる。足首の痛みはとうぶん治まりそうにない。
「わたし、重くなかった?」
 肩を借りて体制を整えながら相方に問いかける。人一人を抱えて泳いだ上にこうして横抱きで歩いてきたなんて。大変じゃない、ことはなかっただろう。でもユータスは文句一つ言うこともなくわたしをここまで運んできてくれた。わたしに対して真剣に怒ってくれた。

 もしかして、となりにいる相方はわたしが思っていたよりもずっとカッコいい男の子なのかもしれない。

 なんとなく気恥ずかしくなって聞いてみると重くないという返事が返ってくる。
「思ったよりも軽かった。もっとずっしりしてるかと思った」
 次いで、こんな返答も返ってきた。
 ……ええと。
「イオリちゃん大丈夫?」
 ニナちゃんとウィルくんが小走りで近づいてくる。慌ててきたんだろう。途中でニナちゃんの抱えていたスケッチブックが砂浜の上に舞った。        
 たぶん、ユータスのものだと思う。海についた当初からずっと鉛筆をはしらせていた。一体彼は海に来てまで何をデッサンしていたんだろう。
 ユータスが拾い上げる前に手にとって。何気なくページをめくってみて。
「ニナちゃん。これって……」
「代わりに持ってろってお兄ちゃんに渡されたの」
 中身は見たかと尋ねると二人そろって首を横にふる。よかった。こんなもの見せられたら精神衛生上、あと教育にも良くない。
「これ、何?」
「デッサン」
 だから、見ればわかる。わたしが聞きたいのはデッサンの内容、スケッチブックの中身だ。
 うろんな視線に気づいたのか相方がとつとつと語りだす。
「海に行くって言ったらライアンさん(兄弟子)から頼まれた。水着姿の人間を観察してこいって」
 スケッチブックを受け取りながらこの台詞。だから海に来たにもかかわらずあんなに黙々と描いてたのか。
 スケッチブックに描かれていたもの。それは水着姿の人間だった。
「……ほとんど女の人しか描いてないみたいだけど」
 正確には男性と女性の比率が二対八。圧倒的に女性の比率が高い。デッサンされた女の人の中にトモエさんやパティ、イレーネ先生の姿があったのに対し、わたしの絵は一枚もなかった。見知らぬ女性の姿も描かれていて体全体がおさまっているものもあれば、そうでないものもある。彼女達に共通することがらは『スタイルがいい』これにつきる。ちなみにライアンさんはユータスの兄弟子の一人で体格もさることながらものすごく豪快な人だ。
「『女性特有の造形、曲線美を追求してこそ真の芸術は養われる』って言ってた。確かに人物像の大半は女性がモチーフになってるしニーヴだってあんなに綺麗な造形をしてる」
 そういえばとわたしを見てひとこと。
「イオリにはなんで凹凸(おうとつ)がないんだ?」

 ぴしっ。

 頭の中で何かがひび割れる音がした。
「デッサンをしていて気づいた。オレ達くらいの年齢だと大方の骨格や肉体ができあがってるはずだ。イオリは肉付きがなさすぎる」
 そんなわたしの心情を知ってか知らずか相方は言葉を紡ぎ続ける。
「初めて会ったときも小柄な男だと思った。女ならもっと丸みをおびた造形であるべきだろ」

 少しでも見直したわたしが馬鹿だった。

「均整がとれているのはいいことだけど、像を造るとしたら致命的だ。もっと食べた方がいい」
 まだ言うか。
「そうしないと、ますます体が貧弱に――」
「まーだ、そがんこついいよっと。この口はーーーー(まーだ、そんなこと言ってるの。この口は)!!!」」


 すぱあああああん!


 砂浜にハリセンの音が鳴り響く。
 こうして相方は、今日も元気にお空の星になってしまった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 こうして友達のおかげでわたしも女の子も一命をとりとめました。友人の言うとおりこれからは自分の体ももっと大事にしつつ医学の勉強に励もうと思います。
 あと友人には、デリカシーという言葉をしっかり脳内に刻みこんでもらおうと思います。

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