ティル・ナ・ノーグの片隅で

猫と魚の雨宿り

「お待たせしました。アニータ特製シーフードグラタンです」
 目の前に出されたのは海の幸たっぷりのグラタン。オレに言わせれば同胞のチーズ焼きとも呼べる。
「食べませんの?」
 フォークを手に相手がこっちをのぞき見る。
「こっちを食べるからいいです」
 対するオレはサンドイッチを手に負けじとにらみかえす。視線がからみあうこと数秒。じゃあ遠慮なくと相手はフォークを突き刺した。ぐさり。聞こえるはずのない同胞の悲鳴が耳に届いた――ような気がした。
 君は同胞を口にするんだね。ミルクとチーズまみれの体の上にさらにチーズなんかのっけちゃったりして、それはもう美味しそうにいただいちゃうんだね。『こんなはずじゃなかった』って彼らの泣き叫ぶ様が容易に想像できるよ。海底でやりあったのならまだしも、こんな地上で命を落とすとはさぞかし無念だっただろう。ちなみに彼らの名は知らないけれど、簡単に人間の食卓にならんでしまったんだ。海の世界でも名もなき三下奴(さんしたやっこ)といったところか。
「美味しいかい?」
「ええ。とても」
 哀れに思おう同胞よ。お前の体は吾が宿敵の血となり肉となってしまうんだ。せめて海に帰ることがあればお前の生き様を家族にとくと話しておくよ。
「でもなぜかしら。この魚料理よりも、あなたの方が美味しそうに思えるなんて」
「……さあ。なんでだろうね」
 今は、自分の身を守るのに手一杯だけど。
 そろそろ現実逃避をやめたほうがいいのかな。
 おかしい。
 どうしてオレはこの子とこんなところにいるんだろう。一対一でこの場所にいること自体そもそも自殺行為じゃないか!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 その日は朝から雨が降っていて。用事のあったオレは外を歩いていた。
 海精(ワダツミ)にとって雨にぬれるという行為はあまり意味をなさない。本性は別にあるし、もともとが海の生物だしね。でも雨にぬれたまま外にいるという行為は人間にとって不可思議な行動に思われるらしい。長時間、雨にぬれると人間は体調を崩すからだってことを知ったのは少し前のこと。オレとしては別にかまわないけど無用な問題は避けておきたいし、ここはヒトの流儀にのっとるということで雨をしのぐ場所を探すことにする。
 屋根のある建物らしきものを探して右往左往して。
「あ」
 そこで出会ったのはピーコックブルーの瞳だった。
 しなやかな体と表現すべきなんだろうか。顔が半分くらいかくれる長めのフードをかぶってはいるけれど、その上からも体の線はみてとれる。そして、フードをはずせばオレらの天敵である獣の耳と尻尾が姿をのぞかせるということも。
「ヤーヤ、だったかな」
 以前、ブランネージュ城に足を運んだときに出会った。友人のシリヤに頼まれた酒を持っていって。厨房で声をかけたら代わりに彼女が現れたんだった。人間からしたら魅惑的な女性という分類になるんだろうか。でもオレからしたら天敵以外の何者でもない。
「どなたですの?」
 まるで初めて対面したかのように目を細められる。ああ、そうか。彼女は『忘却』という代償と引き替えに精霊(シリヤ)と契約したんだっけ。『猫と契約を交わすことになった』って複雑そうな表情でシリヤがぼやいてた。
「人の顔をのぞき込むなんて、ぶしつけにもほどがありますわ」
 もっとも契約をした当人は不機嫌そうにこっちをにらんでいるけれど。眉根を寄せているあたりオレのことは快くおもっていないようだ。もちろんオレにとっても天敵であるし関わり合いたくはないのだけれど。

 ――忘却の呪いに囚われた者と、自らすすんで呪いを受けた者か。これも何かの縁なのかもしれないな――

 シリヤの言葉を思い出す。オレの呪いのことは置いておくとして。自分から呪いを受け入れたというシリヤの言葉に、目の前の猫に自然と興味がわいた。
「用がなければ失礼しますわ。私も暇じゃありませんの」
「ああ、ちょっと!」
 そのまま目の前を横切ろうとした彼女のフードをつかむ。
「なんですの? 私、家に帰りたいんですの。離してくださるかしら」
「この雨の中帰る気かい」
 雨はひどくなってきた。このまま出歩いていれば、ずぶ濡れになってしまうことは容易に想像できる。このまま、はいさようならで終わらせるのももったいない気がする。なにか彼女をひきとめるいい案はないだろうか。
 視線をめぐらせて、とある建物に目が留まる。
「雨がやむまでそこでお茶しない?」
 あろうことか、オレのほうから天敵に声をかけてしまった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 そして現在にいたる。
 人間の言葉に言い換えると、オレのやった行為は『ナンパ』と呼ばれるものに分類されるらしい。はじめはいぶかしがっていた彼女もシリヤの名を出したことと好きな料理をおごるという提案でしぶしぶ席に座ってくれた。
「あなたがシリヤの友達だということはわかりましたわ。名前は確か――」
「リザ」
「そう。リザでしたわね。でもどうして私を呼び止めましたの?」
 それはオレのほうが聞きたい。なんでオレは天敵をナンパしたあげく、同胞を皿の上に差し出しているのだろう。
 立ち話もなんだからと立ち寄ったお店は昼間にもかかわらず店の中には人がたくさんいた。オレ達同様、雨宿りで立ち寄ったか元々繁盛しているお店なんだろう。
 それにしても。
「あなたは食べませんの?」
「食べてるよ。……うん、美味しい」
 魚以外のものをと思って注文したサンドイッチは美味しかった。コックの腕前がいいんだろう。きっと目の前の同胞もそれはもう、おいしくいただかれちゃってるんだろうね。もしオレが本性を顕(あらわ)して捕まえられたりなんかしたらそれはもう美味しく料理されちゃって、きっと何十人、何百人の人間のお腹を満たすことになるんだろうね。
「海竜亭っていうんだ。この店」
 なんでこの店を選んでしまったんだろう。メニューの大半は同胞達の犠牲のうえでなりたっているというのに。これってなんの罰ゲーム?
「今度は他の料理も頼んでみようかしら。お魚がとっても美味しそう」
 それ、オレに対して言ってるんじゃないよね。君が皿をたいらげていくのに比例して顔色が悪くなってくるんだけど。
「君、さっきから妙にとげとげしくない? オレ、何かしたかな。今日が初対面だと思うけど」
「ええ。初めてですわ。でもなぜかしら。あなたを見ているとちょっかいをだしたくなりますの。食指が動くと言うべきかしら。目の前に大きなお魚をぶら下げられたみたい」
「……言っとくけどオレは食べても旨くないから」
 もしかしてと以前と全く同じ問いかけをすると、これまた全く同じ返答をされた。この調子だと顔をあわせるたびに同じ会話が繰り返されそうだ。頭が痛い。
「なかなかやみませんわね」
 窓の外を見ながらヤーヤがつぶやく。
「この料理を食べ終わるころにはやむよ」
「どうしてそんなことがわかりますの」
「強いて言えば、勘かな」

 ――すごい。本当にやんだわ。
 あなたって本当に物知りなのね――

「忘れていくってどんな感じ?」
 飲み物を口にした後、聞きたかったことを質問する。精霊と契約を交わすには人間側に何かしらの制約を課す場合が多い。しかもシリヤの契約の代償は『思い出の忘却』。正確には少し違うけれど呪いの効果は身をもって実感、痛感している。自ら呪いを受け入れた彼女の心情はどうなのだろう。今のヒトであってヒトでない姿と何かしら関係があるんだろうか。
「知りませんわ。思い出せないんですもの。もしかしたらあなたとも会ったことがあるのかもしれませんわね」
 そう思って尋ねてみると、ひどくあっさりとした返答と共にスープを口にする。少なくとも『ブランネージュ城で杯を交わしあった男』という記憶は完全に消え去っているらしい。
「君はそれでいいの?」
「ええ。全てを忘れることの方がきっと私は幸せですもの」
 どうやらオレと彼女の感覚はずいぶんと違うらしい。
「そういうあなたはどうなんですの」
 まさかオレに興味を持たれるとは思わなかったから飲み物を入れたカップを持つ手が止まってしまった。
「忘れられるってどんな気持ちなのかしら」
 しかも核心をつかれたもんだから、まじまじと見つめずにはいられなかった。オレと話をしていても、たいていの人間は翌日になったらきれいさっぱり忘れてしまう。ましてや彼女は自ら忘却の呪いを受けたというのに。
「あなたは何か目的があってここ(ティル・ナ・ノーグ)へきたんじゃありませんの? 忘れたくても忘れられない何かがあるのかしら」
 これは彼女の本能が言わせているのだろうか。それとも同じ呪いをわかつ者同士がなせるわざなのだろうか。
「どうしてそう思うんだい?」

 ――オレが、君を連れて行く――

「目。行き場を失った人間の子どもみたい。ずいぶん大きな迷子ですわね」
「……そうかもね」

 きっと。ずいぶん前からオレは迷子なんだろう。

「置いていくんだ」

 ――連れて行ってあげるよ。ティル・ナ・ノーグへ――

「みんながオレを忘れていく。どんなに親しくても、どんなに憎々しくても。みんなオレからすり抜けていく。
 怖いんだ。いつか本当にオレ自身の存在がえて消えてしまうんじゃないかって。そう思うとちょっと……きつい」

 ――いつか、世界で一番綺麗なものを二人で見に行こう――

「けど、忘れたくはない」
 それがどんなに辛いものだったとしても。
「ずいぶん悲観的ですのね」
 確かにオレらしくもない。
 たぶんこれも雨のせいだ。雨が感傷的にさせたんだろう。
「別に私は全てを放棄したわけではありませんわ」
「そうなの?」
 意外な返答にカップをテーブルにもどす。続きを促すと、だって私にはシリヤがいますものと返された。確かに彼女が側にいれば当面は大丈夫だろう。自身が望まない限り、本当の意味で一人になるはずはない。そう願いたい。
「それに、猫になってあなたを食べるのも面白そうですもの」
 思わずガタッという音をたてて椅子から転げ落ちてしまった。
「冗談ですわ。それくらいわかるでしょう?」
 そう言って笑った彼女の瞳は猫そのもので。
「そうだね。冗談、だよね」
 ぜひ冗談であってほしい。呪いをかけられたとはいえ猫に喰われておしまいという結末だけは嫌です。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「本当にやみましたわ」
 二人で頼んだ食事を食べ終えた頃、雨はすっかりあがっていた。サンドイッチアラカルトと称された料理は美味しかった。一部、魚っぽいものがあったから口にしたのは果物や野菜だけだけど。機会があればまたこの店に寄ってもいいかな。同胞を食べるのは嫌だけど酒の品揃えもよさそうだし。こう見えてオレは酒仙だったりする。
 これからどうするのかと尋ねると家(ブランネージュ城)に帰って眠るらしい。シリヤが待ってるんだそうだ。
「ヤーヤ」
 ふりむきざまに声を送る。
「君に、海の恩恵のあらんことを」
 呪いの程度はわからないけれど。きっと今日のこともすぐに忘れてしまうんだろう。
 呪いをかけられた者と自ら呪いを受け入れた者。猫と魚がこの先どんな結末を迎えるかは誰もわからない。それでも君は猫ではなくてヒトなのだから。自分で決めた道をしっかり歩いてほしい。
 彼女はしばらく考えるそぶりを見せた後、あなたもと小さくつぶやいた。


 ヤーヤと別れてしばらくして。近くの海岸にたどり着く。道にはところま構わず迷ってしまうオレだけど、海だけは間違いようがない。感覚的にわかるんだ。潮の香り、空の色。なにより自分の家だから。
「大きな迷子か。上手いこと言うなぁ」
 天気もしかり。なにしろ生活自体、場合によっては命にかかわるから。

 ――行ってみたかったなぁ。ティル・ナ・ノーグに――

 空にはうっすらと虹がかかっていた。惜しいな。もうちょっと時間がずれてれば見ることができたのに。 
「やってきたよ。テティス」
 あの時見たかったものが目の前に顕れたかもしれないのに。


 いつか。迷子がたどり着く日はくるんだろうか。

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