その二。果たして彼は何者なのか
「――ってことがあったんだ。どう思う?」
今となっては居候宅となってしまった友人の店の中で、アールはこれまでのいきさつを話した。
「どう思うって、変な話としか言いようがないだろ」
一部が白みがかった黒髪を持つ、アールと同じ年ごろの少年が率直な感想を口にする。
「青ずくめの男だっけ。そいつのことを周りは誰も覚えてなかったんだよな? お前の勘違いじゃなかったのか?」
「レイにも何度も言っただろ。俺はそいつを海に突き落とした――もとい、助けたし、お礼にって飯もおごってもらったんだ」
自分の夢も話したし記事を読んでもらう約束もした。だが肝心の男の姿がどこにもなかった。勘違いにするにはあまりにも記憶がはっきりしすぎているし、なんなら食べたメニューもそらで言えるのだ。勘違いであるはずがない。
そんなアールの心情をくみとってか、少年は腕を組んでうなった。
「助けたってことは触れたってことだよな。でも周りはだれも覚えてない。だとしたら、他に考えられるのは――」
「られるのは!?」
思わず身をのりだしたアールに少年は――レイは、気むずかしい顔で意見を述べる。
「……生き霊とか?」
幽霊。それは死者が成仏できないで、この世に姿を現すというもの。実体がないのに存在するように見せかけたものに対し、生き霊は恨みのある相手にたたりをするという、生きている人の魂を指す。
しばしの間が空いた後。なんでもない忘れてくれとレイは片手をふった。だが、アールにとってはなんでもないどころの話ではなかった。
「生き霊か!」
普通の人間なら眉をひそめるか怖がるのかもしれない。ただの勘違いだろと冷静に指摘されてもおかしくない。だが、アール・エドレッドには幸か不幸か霊と呼ばれるものに対する経験があった。
あれはいつだっただろう。幽霊が出るという噂を聞きつけて退魔師の少女と劇場を訪れて。あの時は彼女のおかげで幽霊を撃退することができたものの、後になって考えてみれば少々もったいなかったような気がする。主に取材内容とか。ちゃんとメモっとくとか場合によっては話くらい聞いとけばよかった。
「そっかー。生き霊かー。よわったなー」
「全然よわったようには見えない」
友人の指摘はなんのその。アールの頭の中には次の旅行記の設計図がパズルのように組み立てられていった。幸い、男は冷酷な雰囲気や恐ろしげなそれも全く感じられなかった。うまくいけば別のネタもつかめるかもしれない。
「タイトルは『突撃・海竜亭に潜む幽霊!?』これに決まりだ!」
「まだ幽霊って決まったわけじゃないだろ」
そもそもそんな物騒な記事が書かれた旅行記は売れないんじゃないか。レイの指摘をよそに、アールは拳をかたく握る。記事を読ませるどころではない。彼は自ら旅行記のきっかけを、ネタを提供してくれたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
だが次の日も、その次の日も。男はやはり現れなかった。海竜亭に幾度となく出入りし周囲の人間に話を聞いても『そんな男は知らない』の一点張り。
このままではらちがあかない。そこでアールは自分からうってでることにした。
「幽霊ですか?」
小首をかしげるのは黒髪に緑の瞳を持つ、少女を少し卒業したばかりの風貌の女性。リーシェ・マリエット。ティル・ナ・ノーグの中心部にあるサン・クール寺院で聖職者を目指す魔法使いであり、同時に退魔師でもある。
「誰もそいつを覚えてないんだ。害はなさそうなんだけどさ、もしかしたら生き霊かもしれない。前も劇場で手伝ってくれただろ? 頼むよ」
本当は幽霊と確定したわけではないのだが対策はたてておくにこしたことがない。寺院まで足をはこび、いぶかしがる彼女にアールはこれまでのいきさつをかいつまんで話した。
「クレン、どう思う?」
リーシェが傍らにいた浄化の精霊に話しかけるとよくわからないよという声がかえってきた。
(「ボクみたいに精霊が実体化したってことならわかるけど。だったらそれを見た人間が覚えてるはずだよね。でもこの人が言ってることが本当なら、精霊とは違う存在なのかもしれない」)
だとしたら、やはり幽霊だというのか。
「会ってみないことにはわかりませんね」
話を聞いただけでは本当にわからない。幽霊や悪霊であれば除霊する必要があるし人間であれば話を聞いてみたい気持ちもあるとのこと。どうやら青ずくめの男の存在は、黒髪の少女の注意もひきつけたようだ。
「その男の人は何か言ってませんでしたか? やりたかったこととか目的地とか。もしかしたら何かの手がかりになるかもしれません」
リーシェの助言にしたがい先日の会話を思いおこしてみる。結果的に海竜亭でご飯をごちそうになり旅行記にまつわる会話をした。
だが、本当にそれだけだったか? そもそも男はなぜ道で倒れていたのか。
『その探し物とやらは見つかったのか?』
『見つからなかったからこうして迷ってのたれ死ぬ一歩手前になったんじゃないか。知らないかな。――って場所にあるらしいけど』
「思い出した!」
男は確かに言っていた。探し物を求めてさ迷う男。幽霊にぴったりではないか。
わかったなら話は早い。
「これからひとっ走りして連れてくるから。その時は頼むよ」
たぶんあんたにも関係あることだと思う。熱心なアールの懇願に根負けし、本人を連れてくることを条件にリーシェはしぶしぶ彼の提案を承諾した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
先日の会話を思いおこせば行き先を特定するのは簡単だった。寺院を通り越すと北西へ向かう。そこは常若の街の中で唯一かけ離れた印象の残る場所。ふだんなら絶対訪れることのない通りだが背に腹はかえられない。
『知らないかな。ユグドラシルって場所にあるらしいけど』
道の途中ほどなくして見慣れた後ろ姿を見つける。藍色の髪に同系色の外套(がいとう)。きわめつけは背中にしょった水色の大きな布袋。間違いない、先日海竜亭で会った男だ。
声をかけようとして、ふと変な思いにとらわれる。本当にそんな人物に自分は遭遇したのか? 周りが言うように、あれはただの思い過ごしではなかったのか。
――思い出す必要はない――
ふと誰かから冷たい声を浴びせられたような気がして足をとめる。
――あの方にはこれ以上関わるな――
周りにはだれもいない。だが何故だろう、まるで背中に冷や水をかけられたようなそら恐ろしい感覚は。
――忘れろ小僧。それが貴様の身のためだ――
声などという生やさしいものではない。相手に有無を言わせぬ威圧感。それは敵意をはらんだまぎれもない警告。普通の人間であれば警告と恐怖にしたがい全てを無にきしたのかもしれない。だがアールにとっては別の感情を呼び起こしてしまった。
だからどうした。なんで見ず知らずのヤツに命令されなきゃらねぇんだ。関わる関わらないも自分が決めることであって相手に押しつけられるものじゃない。
なによりも。
「幽霊が怖くて記事なんか書けるか!」
誰にともなく反論すると後ろ姿に向かって大声を出す。
「リザ!」
声にふりかえったのは藍色の髪に紫の瞳の男。間違いない。やはり、あの時の男だ。
「君は――」
「アール・エドレッド」
この前会ったばかりなのに名前も忘れちまったのか? こっちはさんざん探し回ったというのに。
「……もしかして、オレのこと覚えてる?」
しかもこの返答。なぜか頭にきたアールは男に、リザに向かって声をあげる。
「リザ・ルシオーラだろ。海竜亭で飯おごってくれたじゃないか」
「そうだけど、どうして……」
信じられないといった表情を見せる青年にアールは言葉を重ねる。
「あんたを捜してたんだ。約束しただろ。記事を読ませてやるって」
実のところ記事はまだ書き上がってない。けど約束した以上、声をかけないわけにはいかない。そもそも彼自身が大きなネタなのだ。ここで捕まえなくていつ捕まえる。
だが、藍色の髪の男からの返答はなかった。驚愕の表情は変わらぬまま、呪いがとけたのか? でもまだ日があさすぎると意味不明な言葉をぶつぶつつぶやいている。
「リザ?」
アールが再度名前を呼ぶとリザははっと顔を上げる。
「いいよ。いつでも読むよ」
幸い時間はいくらでもあるんだ。紫の瞳を細め、リザは心の底から嬉しそうに笑った。
「それで。見つかったのか?」
まずは情報収集とばかりに相手に質問をなげかける。
「それがなかなか見つからないんだ。おかしいよな。確かこっちの方だって聞いたのに」
捜し物を求めてさまよう幽霊。確かにあり得る話だ。ここはじっくり話を聞いて理解を深めなければ。
「どこに行きたいんだ? 手伝うよ」
声をかけるとリザはうーんと腕をくんで答えた。
「共同墓地って言ってたかな。人が眠ってるんだ」
「それって知り合い?」
なにげなく尋ねるとリザは紫の瞳をそっと伏せる。
「うん。長いこと逢えてなかったんだ。オレにもう少し勇気があればね」
表面上は脳天気そうに見えてもその裏には色々なものが秘められているらしい。人は見かけによらずなんだなと実感しつつ脳内の地図を広げてみる。
ユグドラシルとは言わずとしれた職人ギルドの本部。築60年をゆうに超える老朽家屋、ひらたく言えばぼろ屋敷であり、ことによっては魔物の巣窟と呼んでも過言ではない。よって常人であればよほどのことがなければ近づかない。アール自身、足を踏み入れたことはあるもののあまりの気味の悪さに途中で引き返してしまった経験がある。
けれどもいいネタは常に危険と隣り合わせ。ここは覚悟を決めて魔物の巣窟に踏み込もう。そして念願のネタをものにするのだ。
と意気込んだのはいいものの。
「おかしいなー。全然つかないや」
朝がきて、昼がきて、夕方にさしかかってもいっこうにたどり着く気配がない。そもそもユグドラシルへ向かう途中で再開したのだから到達するまで時間はさほどかからないはずなのに。
「ここからまっすぐ進むんだ」
と言えば、
「わかった。まっすぐだね」
一つうなずいた後。藍色の髪の男は目の前の道をまっすぐ――
「って、そっちは左だろ!?」
真剣な眼差しで反対方向に進もうとする始末。
「おっかしいなあ。まっすぐ進んだつもりだったのに」
全然つもりになってない。しかも本人にまったく自覚がないから余計にタチが悪い。
「ほら」
地図を片手に悪戦苦闘する男に右手を差し出す。男と手をつなぐなど謹んでお断りしたいところだが、このまま二人して路頭に迷うよりははるかにましだ。手と手をとって――というか、握れたということは幽霊ではなかったのか。それとも実体のある生き霊だったのか。
そもそも、どうしてあんな魔物の巣窟のような場所に向かおうとするのか。
何よりも、リザ・ルシオーラという人物は何者なのか。
「確かめてみる価値はあるな」
誰にともなくつぶやくと、アールはこれまでの疑問を検証してみることにした。
そしてこの検証こそが、アール・エドレッドにとって恐怖と受難の幕開けとなる。
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