ティル・ナ・ノーグの片隅で

今宵、白雪の片隅で(前編)

 城の一角で、夜な夜な不気味な物音が聞こえるらしい。
 曰く。帰り道を求めて城内をさまよい続ける古の兵士の亡霊だとか。
 曰く。皿をわってしまった女中のすすり鳴き声だとか。
「どこなんです。その場所は」
 もしかすると新手の泥棒なのか。性懲りもなく領主の命を脅かしにやってきた賊か。どちらにしてもこれはゆゆしい事態だ。
 表情を厳しいものにして問いかけると巨大な城の主はこともなげに答えた。
「厨房だよ」
 予想外の返答にフォルトゥナートは眉をひそめる。
「厨房、ですか?」
「厨房、だよ」
 確認のために問い返すも領主であるノイシュからの返答は先ほどと全く同じものだった。厨房に潜む賊。一般家庭ならまだしも警備のあつい城内に忍び込む不届きな輩はいるのだろうか。そんな家臣の胸中をよそに年若い領主は嬉々として言葉を連ねた。
「あくまで女中たちのうわさ話なんだけど。真夜中に変な物音がするそうだよ。はじめはネズミかと思ったけどそれが続けて起こるのさ。気になって厨房の屋根裏をのぞいてみても人はおろかネズミ一匹いない。それどころか掃除をしたてのようにとてもきれいなんだそうだよ。これはブランネージュ城の七不思議の一つに加えてもいいんじゃないかな」
 いや、いっそのことティル・ナ・ノーグの七不思議に加えるべきかと思案顔の領主に側近は二の句が継げない。
「ノイシュ様。またお忍びをされたのですか」
「いいじゃないか。家(ブランネージュ城)の中なんだからそんな大袈裟なものじゃないよ」
 抗議の視線を向けても反省の色は全くみえない。賊も用心する必要があるが、目の前の領主にも十分注意をはらわなければならない。今後、城内の警備にはより細心の注意をはらおう。加えて領主がいなくなった場合の対策もしっかり考えておこう。そう心に決めるフォルトゥナートだった。
 その日の夜。フォルトゥナートは城内を一人散策していた。眠れなかったわけでも空腹になったからというわけでもない。数時間前の領主の言葉が気になったのだ。城にまつわる七不思議云々は話半分に聞いておくとして、一度夜間の城内を視ておくべきだろう。そう考えたからだった。よって真夜中にもかかわらず彼の服装は普段と変わらぬゆったりとした紫がかった色のローブに自身の等身大はあるかと思われる巨大な錫杖(しゃくじょう)といういでたちだ。
 あとは単純な好奇心もあった。夜な夜な厨房に響く物音。城の中なのだ、何度も続けば誰かが犯人捜しにやってくるということは考えてみればすぐわかるはず。にもかかわらず物音をたてるとはいったいどんな者なのだろう。賊か、迷い込んだ動物か、それとも。
「…………?」
 ふと背後に人の気配を感じて立ち止まった。
 フォルトゥナート・バルタザールがブランネージュ城に滞在するようになって十数年の月日がたつ。強大な魔力を察知できるという魔眼の力と引き替えに、彼は視力を失いひいては行動の一部を制限されることとなった。それは自身が望んだことであるし、実際この能力のおかげで主君の窮地を脱することができた。しかも契約した当初ならいざしらず、長い年月がたてば広い城内でもある程度のことはできるようになる。
 そのような中で察知された魔力。はたしてこれは人と呼んでいいものなのだろうか。
「やっと見つけた」
 声だけを聞けば人のそれよりもはるかに弱々しいが、それに反して通常の人間には考えられないような膨大な魔力。そのような者に心当たりは――
「危うく遭難するところだったんだよ?」
 あった。
 まるで、十数年来の友人に巡り会えたかのような、餓死寸前のところで人に遭遇したかのような弱々しい男の声。このような者をフォルトゥナートは一人だけ認識していた。
「ちょっと待って。走ったから息が続かない」
 持ってきた袋の中から液体を取り出し、そのまま一気飲み。走ってきたというわりには警備に呼び止められた感はないし、やっぱり海水は産地直送に限ると意味不明な台詞を吐く者はただ一人しか存在しない。
「ここってさー。警備きついから困っちゃうよ。オレだからなんとかなったけど、普通の人間だったらひとたまりもない。
 騎士団だっけ? 君って城の人たちと仲いいんだよね。だったらさあ、もう少し警備をゆるくしろって言っておいてよ」
 いくぶんか明るくなった声の主に、フォルトゥナートは持っていた杖をまるで威嚇するように突きつけた。
「いい加減にしてください。リザ・ルシオーラ」
 非難の声もお構いなしに大目にみてよと明るく笑う男。一度、手にした錫杖を本気で振り下ろしたらどうなるだろうかと考えたこともあるが頭をふってうちけした。貴重なマジックアイテムを賊でもない、場合によっては賊以下の相手に使うことはないだろう。
 藍色の髪に紫の瞳。波の模様を模したかのような青い服に背中に水色の大きな袋を背負っている。通常の人間が彼を見たら中肉中背の青ずくめの人間、しかも優男と称しただろう。だが目の見えないフォルトゥナートからしてみれば、とかく膨大な魔力の持ち主。そのような印象しかいなめない。
「折り入って頼みがあるんだ」
 もっとも声だけ聞けばフォルトゥナートと同じ年頃の青年のものだし、視力を失った現在は魔力しか視る(感じる)ことができないが。
「早急に立ち去ってください。でなければ不法侵入で強制排除しますよ」
 リザとフォルトゥナートには不本意ながら縁がある。一言で表現するならば『瀕死の旅人と命を救った恩人』といったところか。もっとも本当の恩人にあたるのは主君であるノイシュだし、フォルトゥナート自身はたまたま主君のそばに居合わせただけ。それでもリザに言わせれば『地上の帰り道を教えてくれた恩人』になるらしい。大袈裟なうえに意味がわからないことこのうえないが。
 仮にも領主が助けた命を無下にすることもないだろう。踵を返し再び城内の散策にもどろうとした。
「厨房に一緒についてきてほしい」
 ――のだが。聞き捨てならない言葉に足止めをされてしまった。
「どうして私が道案内をしなければならないんです」
「だって君、ここ(ブランネージュ城)の中詳しいんだろ? オレ一人で行ってもいいんだけど今度はどこにでるかわかんないし」
 城までの道のりはなんとか一ヶ月かけて把握できたんだけどなあ、とそら恐ろしいことをつぶやかれ、フォルトゥナートは身震いした。彼を拾って、もとい、助けて城まで運ぶよう指示を出したのは他ならぬ主君のノイシュだ。幸いすぐに生気をとりもどしたため早急にお帰り願ったはずなのだが、結果的に客人が城を出たのは滞在して一週間たってのことだった。彼が城内にとどまることを望んだわけではない。リザ自身が単純に、極度に、ずばぬけて方向感覚に長けていなかったのだ。換言すれば極度の方向音痴ともとれる。見るに見かねたフォルトゥナートが門番よろしくついていくことになったのはリザが城に運ばれて四日目のこと。しまいには彼自身も危うく道に迷うところだった。
「仕方ない。一人で行くしかないか」
 一月前の悪夢が脳裏をよぎる。これ以上城内をうろつかれてはたまったものではない。
「呼び止めてごめん。じゃあオレはこっちをいくよ」
 しかも目の前で、厨房とは明らかに違う方向へ行こうとされたら見過ごせるものも見過ごせないではないか。
「着いてきてください」
 不法侵入を容認したわけではない。これも仕事の一環。用事を済ませてとっととお帰り願おう。そう自分に言い聞かせるフォルトゥナートだった。
「城の中はどうなんだい?」
 厨房へ向かう道の途中。歩きながら二人は会話を交わしていた。
「どう? とは」
「情勢だよ。君のボス――もとい、主君が危ない目に遭ってないかってこと。抗争に巻き込まれてないかとか」
 言葉の端々に聞き慣れない不可思議な単語をみとめながら、フォルトゥナートは曖昧に返事を返す。このリザという男、一般の人間とはいくつかの相違点がある。魔力が膨大だというのはもちろんのこと、当たり前のことを知らなさすぎる。説明すれば『この世界ではこんな風になってるんだ』と首をかしげることばかり。もちろんティル・ナ・ノーグには人間と似て異なる種族も多々存在するしそのなかの一人と言われればそれはそれで問題はないのだが、かもし出す雰囲気がそれらとは異なっている。また世界には精霊と呼ばれる者たちも多数存在するが、そうであれば多少は相手を警戒するはずだ。目の前の相手は明らかに馴れ馴れしい――もとい、人に好意的すぎる。そもそも膨大とされる『魔力』も本当にそう呼んでいいのかも定かではない。人の姿を形取りながら人間とも精霊とも違う雰囲気をかもし出す男。果たして男は何の目的で城内へやってきたのだろう。
「家臣っていうのも大変な仕事だよね。敬愛する主君を身を挺して守るんだろ? 君にも家族がいるだろうに。ちゃんと家には帰っているのかい?」 
「……帰れてはいませんが、元気にしていると思います。それに、ここ(ティル・ナ・ノーグ)には同郷の兄がいますから」
 半分希望を込めて応えると、それならいいんだと男にしては珍しい優しい声でリザはうなずいた。
「あなたこそどうなんです。家には帰っているんですか」
「うーん、ちょっと微妙。帰りたいけど帰れない、かな」
「もしかして、家の場所もわからなくなってしまったのですか」
 城から離るのに七日間、街から城にたどり着くまで一ヶ月の月日を要した男だ。ひょっとすると自分の生家ですらわからなくなってしまったのではないか。そう考えて尋ねてみたのだが。
「わかるよ。自分の家の帰り道を忘れるわけないじゃないか」
「それはそうなのですが……」
 意外な返答にフォルトゥナートは言葉をにごす。方向音痴でもさすがに自分の生家はわかるらしい。ならば、なぜ帰りたくても帰れないのか。
「勘当されてるんだ。だからそばには寄っても親とはずいぶん顔をあわせてない。父親なんかひどいよ。考えを改めるまで帰ってくるなってさ」
 フォルトゥナートの疑問が伝わったのだろう。リザは肩をすくめて笑う。
「では故郷にはずっと帰ってないんですか?」
「まさか。だいたい帰ってくるなって言われて素直に聞く必要もないだろ。オレはそこまでいい子じゃない。
 でも騒がれるのも嫌だし見つかったら見つかったで迎えが大袈裟だから、こっそり帰るようにはしてる」
 またもや理解に苦しむ物言いだったが男の背後にある事情だけはそこはかとなくかいまみることができた。人であれ何であれ、それぞれに事情を抱えているらしい。
「あなたはこちらに友人はいないのですか」
 勘当をうけ故郷を追われてしまったからここ、ティル・ナ・ノーグの地にたどりついたのか。そう思考して再び尋ねてみると、返ってきたのは明るい声。
「友人ならいるよ。こうして誘いもうけた。だからこうして会いにきたのさ」
 そうこうしているうちに、厨房にたどりつく。
 厨房に人はいない。当然だ。時刻は真夜中なのだから。
「ここに何の用があるんです」
 周囲に視線を巡らせても人はおろかネズミ一匹もいない。当然だ。ここは由緒正しきブランネージュ城の厨房なのだから。
「招待を受けてるんだ」
 だが目前にいる男はそんなことは関係ないとばかりに声をはりあげる。
「シリヤ。いるかい?」
 それが彼を呼び出した友人の名前らしい。もっともリザの成り立ちが人間のそれとは異なるため、一概にそうとは言い難いのだが。
「シリヤー」
 加えてリザがどれだけ呼びかけても返事はまったくないのだが。
「ここにそのシリヤという方がいるんですか?」
「いるはずなんだけど」
 見かねたフォルトゥナートが声をかけるも返ってきたのは頼りなさげな声がひとつ。
「シ――」
「何度も呼ばなくても聞こえてますわ」
 声とともに現れたのは柔らかく、しなやかな身体を持つ女性だった。
『ティル・ナ・ノーグの唄』に参加させてもらいました。

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