Part,97
いつかここに現れるかもしれない君へ
愛する我が娘、我が妻よ。いつかこの地で再び会おう。また三人でこの星を見よう。それまで俺はしばし眠りにつく
――なんてことを言っても、君にはわからないだろうね。
久しぶり。もしかするとはじめましてになるかもしれないな。俺は時砂(トキサ)。地上での名前は時砂・ベネリウス。君を外へ連れ出した男だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いつまでここにいるつもり?」
石碑の前に、まりいは一人たたずんでいた。
「泣かないんだな」
正確には石碑の前に腰をおろしていたのだが、時間が流れても微動だにしない様は、そう呼ぶにふさわしいのかもしれない。ため息をつくと少年は少女の隣に腰をおろす。
「実感がわかないの」
「……そうか」
「うん」
そのまま、言葉を交わすこともなく時間は流れていく。いや、すでに言葉を交わす必要はなかったのかもしれない。少女が何を考え何のためにここにいるか、少年には手に取るようにわかっていたのだから。
「あの記憶」
先に口を開いたのはまりいだった。
「前に言ったよね。シルビアとベネリウスと三人で星を見たって。これってこのことだったんだね」
少女の掌にあったのは小さな記憶球。そこに映し出された光景は一組の男女と女の子だった。
「ルシオーラからもらったものか?」
ショウの問いかけに、まりいはうなずきを返す。
「話を聞いた時、どうしてそんな昔のことを覚えているんだろうって思った。だけど、これを見てわかった」
まりいの言葉の意図に、ショウは首肯せざるをえなかった。
漆黒の髪に瞳を持つ男。誰をさすかは言うまでもないだろう。その傍らにいるのは金色の髪に明るい茶色の瞳を持つ女性だった。
「本当に似てたんだな」
明るく、だが優しそうに笑う様はとても綺麗で。女性と男の間にいる子どもは、二人に、女性によく似ていた。
「親父からもらったものは?」
ショウの問いに、まりいはアスラザからもらった珠を差し出す。
「愛しきものよ」
まりいが言霊を紡ぐと珠が淡い光を放つ。光の後に現われたのは、それまでと同じ光景。唯一異なっていたのは、それには声があることだった。
『みて。ほしがこんなにきれい』
『そうだね』
それは過去の記憶。
『ねえ。あのほしにおなまえつけていい?』
『いいわよ。どんな名前をつけるつもり?』
『ええと……あれはベネリウス。時砂のなまえね』
『それじゃまんまだな』
それはどこにでもあるありふれた風景。
『じゃああっちはルビィ。いいなまえでしょ?』
『それもほとんど変わりばえしないな』
『いいもん!』
『いいじゃない。この子がせっかくつけれくれたんですから。ね?』
それはどこにでもある親子の会話。
「時砂のこと、お父さんって呼んでいいのかな」
膝をかかえ、まりいはつぶやく。記憶は終わりをみせることはなく続いていく。
『時砂はマリィのつけたなまえがきらいなの?』
『そんなことないよ。ただもう少しかっこいいものをな――』
『やっぱりきらいなんだ……』
『わーっ! 違う違う! 『ベネリウス』に『ルビィ』か。うんいい名前だ』
『ほんとう?』
『ほんとほんと。……ほら、そこも笑ってるんじゃない』
『ごめんなさい。だって……』
「シルビアのこと、お母さんって呼んでいいのかな」
その光景は、どこから見ても幸せそうな家族そのものだった。
『ねえ。わたしにもおなまえつけて!』
『そうだな。……じゃあ、マルディード』
『それこそまんまじゃない』
『いいだろ別に。何事も覚えやすいのが一番だ』
『さすが似たもの同士ってことかしら』
『おたがいにな』
「今までずっと嫉妬してた。どうして私には親がいないんだろうって。どうして私は一人なんだろうって。でも、本当は違ったんだ。
私、一人じゃなかったんだね。二人とも私を大切に想っていてくれた。……そう思ってもいいのかな?」
小さな声に、ショウはまりいを抱き寄せる。少女は抵抗することなく少年の腕の中におさまった。
「でも、ここにはいないんだ」
「ああ」
「お父さんは、死んだんだよね」
「……ああ」
再び、長い沈黙が訪れる。
「時砂・ベネリウスは死んだ。英雄はもういないんだ」
告げられた事実に、まりいの体が小さく震える。
『時砂はマリィの『おとうさん』なんでしょ?』
『マリィがそう望んでくれるなら』
『のぞむってなぁに?』
『そうだな……』
『一緒にいたいって思うことよ』
『じゃあのぞむ! マリィ、おとうさんとおかあさんとずっといっしょにいたいもん。だから、時砂はおとうさん、ルビィはおかあさんなの』
『――ですって。これで、ますます離れられなくなったわね』
『そうだな。子どもを守らない親はどこにもいないしな』
『少なくとも私たちは、でしょ?』
「ショウ、お願いがあるの」
「ああ」
「私、泣いても――」
まりいが続きを紡ぐことはできなかった。
「わかってる」
少女よりも先に、少年が涙を流していたから。
少年の腕の中で、まりいは瞳を閉ざす。瞳から流れるのは感情の渦。
「どうして……っ!」
空には満天の星が輝いている。だが、それを見ようと言ってくれた親しき者はもういない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつか、俺たちは離ればなれになるかもしれない。もちろんそうならないように守り抜く覚悟もあるし、守り通すつもりだ。でも万が一のことを考えて、これを友人に託しておこうと思う。
これから先、君は多くのものを見てたくさんのものに触れることだろう。もしかしたら、幸せなことよりも辛いことの方が多いのかもしれない。
恨まないでくれとは言わない。本当なら、君は神の娘として全てを統べる存在なのだから。でも俺にはそれが最良の選択だとは思えなかったんだ。神と呼ばれるものに、時間に左右される世界なんていいはずがない。もちろんそれが俺の勝手な思い込みだということもわかっている。それでも、未来を信じたかった。可能性にかけてみたかった。
なんて偉そうなことを言ってるけど、本音はただ覚えていてほしかった。忘れてほしくなかったんだ。あの時俺は、俺たちは幸せだったから。
大人の理屈で子どもから色々なものを奪いとる。本当、俺たちは親失格だな。だけど、こんな穏やかな星空を見れただけでも君を連れ出して良かったと思っているんだ。
『マルディード』はルビィが、シルビアが君につけてくれたものなんだ。なんでも彼女の母上の、君にとってはおばあ様の誠名をもらったらしい。もっとも、彼女が子どもの頃に亡くなっているらしいけどね。シルビアは亡くなったお母様の分まで君に幸せになってもらいたかったんじゃないかな。
残された時間はあとわずかだろう。君がこれを見ているということは、もしかすると俺はもうこの世にいないかもしれないね。心残りがあるとすれば、成長した君を見れないということかな。きっと君はお母さんによく似ているだろうから。
君に逢えてよかった。一緒に外の世界を見ることができて本当によかった。
いつか君に、優しい未来のあることを。
愛してるよ。マリィ
時砂・ベネリウス
「お父さん、お母さん……っ」
それは遠き昔の記憶。温かくて、優しくて、胸に染み入るようで。けれども、二度と交わされることのないもの。紡ぐことのできないもの。
星空の下で、二人は静かに涙を流した。