SkyHigh,FlyHigh!

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  Part,96  

 村はずれの一軒家に男は住んでいた。数年前ふらりと現れ、そのまま居座ったのだという。
 どこから来たのか。何の目的で来たのかもわからない、見ようにとっては危険極まりない男を住人は心よく迎えた。住人達の人柄がよかったのと前例があったからだ。
 口数は少ないが誠実な男。彼は今、丘の上にいた。
「アスラザ・アステムさん?」
 まりいの声に男が振り向く。栗色の髪に黒の瞳。意思の強そうな眼差しは、彼女の隣にいる少年に似ていた。
 否。息子が父親に酷似していたのだ。
「あなたは?」
 首をかしげる男に、少女は自分の名を告げる。
「マルディード・アルテシアです」
 途端、男の目が大きく見開かれた。当然だ。長年捜し求めていた相手が目の前にいるのだから。
「それではあなたが……」
 かすれた声をあげる男――アスラザに、まりいは穏やかな笑みを向ける。
「みんなにはシーナと呼ばれてました。彼がつけてくれたんです」
「彼?」
 アスラザが首をめぐらせると、そこには彼と同じ髪と瞳を持つ少年がいた。
「倒れていたところを彼が助けてくれたんです。フロンティアを探す旅に同行することになって――」
 まりいが事情を話す間も、アスラザの視線はまりいに、その隣にいる少年に留められたままだった。当然だ。遠い昔に別れたはずの息子が目の前にいるのだから。
「ショウ、どうしてここに」
「それはこっちのセリフだ!」
 怒号と共に少年はアスラザの服をつかむ。
 まりいが静止の声をかける間もなかった。
「どうしてアンタは帰ってこなかったんだ! 手紙の一つくらいよこせよ!」
 怒りの言葉と共に少年は感情をぶつける。
 それは、子どもの頃からの思い。
「アンタを待ちながらお袋は死んだんだぞ! 姉貴だってどんなに待ってたと思ってるんだ!」
 それは、子どもの頃からの恨み。
 それは、子どものころからの哀しみ。
「俺だってどんなに――」
 とん。
「信じてた」
 それは、子どもの頃からの願い。
「絶対生きてるって。生きて、こうして会えるって……っ」
 手を離し力なく地に伏す。

 大人達が哀れみの視線を向けるようになったのはいつだっただろう。理由がわからなくて、でも負けたくなくて。
 人知れず涙を流した夜は何度もあった。母親の言葉を信じたくて、それでも素直に聞くことができなくなったのはいつからだろう。

 それでも信じたくて、大人達の間に入ろうと、強くなろうと決めたのは多分、英雄と出会ってから。英雄の言葉を忠実に、彼を恨みながらがむしゃらに強くなった。それだけが心のよりどころだったから。
 故郷を離れることに心が痛んだが、多くの出会いがあった。強くなることで過去をのり越えた、ような気がしていた。

 ゆるぎはじめたのは少女に出会ってから。ほんの人助け、拾い物のつもりがずるずると尾を引いて。遠い昔にしまっておいたものまでこじ開けられて。
 認めたくなくて反発した。距離を置いたし拒絶もした。だが向こうはそれでも近づこうと、自分と向き合おうと必死で。
 強くなったつもりが一番大切なことを忘れていた。彼女を見て自分の気持ちに、願いに向き合おうと決意したのだ。

 幾度となく迷って立ち止まって。
 何度も何度もまわり道をして、ようやく今、願いを叶えることができた。

「すまなかったな」
 伏したまま嗚咽(おえつ)をもらす息子の肩を、父親はしっかりと抱いた。

 子どもの嗚咽がやんだのは夕暮れになった頃だった。
「ごめんなさい。私があなた達を」
 まりいの謝罪の言葉にアスラザはやんわりと首を横にふる。
「あなたのせいじゃない。ましてあなた達親子でも。私が自分で決めたことです。誰のせいでもない」
「でも……」
「でもじゃありません。私がいいといったらいいんです」
 その瞳は息子同様ゆるぎのないもので。
 ぶっきらぼうでいて我が強く、一度言い出すときかない。やはり二人は似ている。こんな時にもかかわらず、まりいはくすりと笑みをもらした。
「アルテシア様。貴女に見せたいものがあります」
 その息子を抱きしめたまま、アスラザはまりいに告げた。
「お前も来るんだ」
 赤い目をこすり、ショウは後に続く。泣き顔を見られたのが気恥ずかしかったのだろうか。足を止めるまで、少年の顔は黙したまま赤かった。
 二人の後に続きながら、まりいは周囲に首をめぐらす。目立つものがあるわけじゃない。穏やかな風景。懐かしいと感じるのはまりいの目の錯覚か。
 男の歩く先にあったものは。
「お墓?」
 それは小さな石碑だった。
 飾り気のない小さなもの。それだとわかったのは石碑の前に花が供えてあったから。
「時砂(トキサ)・ベネリウス。あなたのお父様の墓標です」
 少年が小さく息をのむ。だが、少女は石碑を見つめたまま一言も言葉を発しない。
「故郷を離れて以来、私は英雄と姫君の行方をずっと捜していました。
 ここに書かれてある文字が読めますか?」
「……『愛する我が娘、我が妻よ。いつかこの地で再び会おう。また三人でこの星を見よう。それまで俺はしばし眠りにつく』」
 石碑の文字を読む間も、少女は淡々としていた。まるで感情を外に出すまいとするように。
 まりいが文字を読み終えるとアスラザは彼女の隣に膝をつける。
「この文字は私たちが生まれるよりずっと昔から伝わるもの。故に聖獣が伝えし言葉、古代語とも言われています。
 この文字は王族、もしくは騎士団の限られた者にしか伝わらないものです。ですが、かくいう私にも全ての解読はできなかった」
 感嘆とも安堵ともつかぬ声。本当にそうなのだろう――に、まりいは曖昧な笑みを浮かべる。実は、書かれていた文字はそれだけではなかったが彼女はあえて触れないことにした。
「なぜ彼があなたにこの文字を託したかわかりますか?」
「この日のため、ですか?」
 石碑を見ながら、まりいは漠然とした思いを唇にのせる。
 自分と近しい者達にしかわからない言葉を残し、英雄はこの地に果てた。王都でもなく故郷でもないこの村で、彼は何を見て何を感じとったのだろう。
 アスラザは続ける。
「彼の消息をつかんだのは最近のことです。その頃の私は病に倒れここで過ごすしかなかった。そして、英雄の願いを聞き入れるためにここを離れることはできなかった」
「願いって、何ですか」
「あなたにこれを返すことです」
 アスラザがまりいに手渡したのは小さな宝珠だった。
「言霊を言えば当時の記憶を呼び出せます。言うべき言葉は――」
「『愛しき者よ』ですよね?」
 口を閉ざした男にまりいは笑みを浮かべる。予想は簡単についた。以前、同じ台詞を藍色の髪の男に言われていたから。
 まりいの表情の意図がわからず一度だけ呆けた顔をするも、アスラザは言葉を連ねる。
「シルビア・アルテシア様の行方はまだ掴めていません。ですが、時砂・ベネリウスという男がここで生涯を終えたことは事実です」
 それは誰もが予想していた事実。そして、もっとも残酷な事実だった。
 アスラザの声に、まりいは涙一つ見せなかった。瞳を閉ざし、ゆっくりと確認の声をかけるだけ。
「英雄は死んだんですね」
「はい」
 そう。あまりにも残酷な事実にも。
 それきり誰も言葉を発しなかった。
 いや、誰も紡げなかったと表現すべきなのかもしれない。一体、なんと声をかければよいのだろう。信じたもの全てが残酷で、最後の一線さえ崩れようとしている者に。
「一つだけ教えてください」
 沈黙を破ったのは彼女自身の声だった。
「私で答えられることなら」
「時砂・ベネリウスという人はどんな人でしたか?」
 まりいの言葉に瞠目すると、アスラザは明るい茶色の瞳を見据えて告げた。
「立派かどうかはわかりません。ですが、最愛の友人でした。
 あなたは父君と母君に愛されていた。それはくつがえしようのない事実です」
 アスラザの瞳は息子同様、静かでゆるぎのないもので。
「それが聞けただけでも充分です」
 まりいがゆっくりと笑みを浮かべると、アスラザは姿勢をただし礼の形をとった。それからまた時間は流れる。
「アスラザさん」
 墓標を見つめたまま、少女は問いかける。
「今日は……星は見れますか?」
「これだけ晴れてるんだ。たくさん見れますよ」
 それだけ言うと、アスラザは息子を連れその場を後にした。
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