SkyHigh,FlyHigh!

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  Part,93  

 そこには何もなかった。
 否。なかったのではない。見えなかったのだ。辺りに広がるのは一面の白。雪のように見えるそれは、触れれば溶けることなく指の間から滑り落ち、地にかえっていく。
 言い換えればそこは雪の砂漠。その先に見えるのは一つの巨大な建物だった。
「ここは……」
「時の城です」
 何気なくつぶやいた声に応じる声。ショウが振り向くとそこには一人の女性がいた。
「あなたは?」
「時の管理者」
 金色の髪に明るい茶色の瞳。その面差しは少年が連れ添っていた相手によく似ていた。
「あなたはここで何を?」
「時を紡いでいるの」
 淡々とした声で女性が片手を上げると、途端に無数の砂時計が現れる。
「人には、生物には与えられた役目と限られた時間がある。わたくしはそれぞれに与えられた時を管理しているの」
 女性が手を動かすと砂時計は一斉に角度を変えて動き始める。
 音もなく崩れゆく白い砂。なるほど。確かに時とはそのようなものなのかもしれない。器は寿命、細かい砂は生きとし生けるものが紡ぐ時間そのもの。
「あなたはいつもこんなことを?」
「これがわたくしの役目だから」
 視線を合わすことなく淡々と作業をしている様は人というよりも人形に近いものがある。いや、あえて感情を外にだすまいとしている。そう言った方がふさわしいのだろうか。
「それは、あなたじゃなくベネリウスがすることでしょう?」
 少年の声に女性ははじめて顔を向ける。
「あなたは……」
「ショウ・アステム。アスラザ・アステムの息子です。
 あなたと英雄の捜索を命じられてきました。シルビア・アルテシア様」
 明るい茶色の瞳を見据え、ショウは告げた。
「名前を呼ばれるのも久しぶりね」
 そう言って笑う様は確かにまりいに似ていた。きっと少女が歳を重ねればこのような女性になるのだろう。頭の隅で少年は一人思う。
「……あなたも歳をとらないんですね」
 子供の頃に会った英雄も、かつての映像とまったく同じ容姿をしていた。目の前にいる女性も傍目には十代の子供がいる年齢には見えない。そんなことを考えていると『ここにいるからかもね』と返される。
「時の城に?」
「あの子はどうしているの?」
 ショウと女性の、シルビアの声が重なる。咳ばらいをすると少年は彼女の問いに答える。
「ここに来ています。てっきりあなたの元に行ったのだと思っていました」
「わたくしじゃないわ。きっと彼女の元に行ったのね」
 彼女とは誰なのだろう。シルビアの言葉に首をかしげるも現在のショウにわかるはずもなく。頭を軽くふった後、彼は本来の質問をすることにする。
「あなたと英雄は、どうして国を出て行ったのですか」
 感情をできるだけ抑えた声で少年は問うた。
 彼と彼女がいなければ父親はいなくならなかった。だが、彼と彼女がいなければ少女と出会うことはなかったのかもしれない。果たしてこれはどちらが良かったのだろう。それとも。
 葛藤のさなか、ショウはシルビアの声を耳にした。
「ベネリウスは――時砂(トキサ)はわたくしを外に連れ出してくれました。いえ、わたくしから彼についていったのです。
 あの時のわたくしは幸せだった。そしておろかだった。わたくしはつかの間の幸せを楽しんでいた。時砂の力がついえようとしていたのに。
 ……それが彼の命を費やすことをさしていたのに」
「待ってください」
 漠然とした不安を抑えショウは静止の声をかけた。
「それじゃあ、シーナはどうなるんだ」
「シーナ?」
 問いただす声に半ばいらだちを覚えながら少年は言い直した。
「マリィと呼ばれていた、あなたによく似た女の子です。あなたはあいつの母親なんでしょう?」
 翼の民の存在や能力のことはこれまでの旅で聞いていた。だが後者の言葉に対しては別だ。命を費やすという意味がさすものくらい、少年には理解できる。いくら離れて暮らしていたとはいえ、これではあんまりではないか。
 だが、次に耳にしたものはさらに残酷な事実だった。
「わたくしは子を授かったことはありません」
 その言葉が意図するものがわからないほど、少年は子供ではなかった。二の句が告げないとはこのことを言うのだろうか。声をあげたいのに思うように口がまわらない。
「時砂の能力と役目は二つ。一つはこの場所を守る――時を紡ぐこと。もう一つは次の長となるべき雛を育てること」
「雛?」
 やっとのことで紡いだ声は、まるで自分のものでないような気がした。
「翼の民は聖獣を守護する者達。神の娘と呼べばわかりますか?
 娘は神から託されたもの。そして時砂の一族は雛をかえす役目を担っている」
「それが、シーナだっていうのか」
 ショウの声にシルビアは肯定する。
「彼は嘆いた。なぜただ一人がこんな定めを担わなければいけないのか。
 彼は嘆いた。なぜ定めから抜け出そうとしないのか」
 そんなこと、ショウに答えられるはずもなく。
「彼の願いはゼファーの雛をかえすこと」
 彼女の言葉を少年は黙って聞くことしかできなかった。
「じゃあどうしてシーナはあなたに似てるんですか。不自然すぎるでしょう」
 どうしてこんなことしか言えないのだろう。苛立つ気持ちを抑えながら、ショウは次の言葉を待つ。
「時砂は言いました。この子はまだ正も負の力も持っていない。
 何が正しくて何が間違っているなんて人にも自分にも決められることではない。だからこの子は『娘』になる必要はない。だから、自分が生きている間だけでもこの子の母親になってくれないか……と」
「あなたはそれを受け入れた?」
 ショウの声にシルビアはうなずく。
「あの子は自分で自分を変える力を持っています。あの子がわたくしに似ているのなら、無意識のうちにわたくしとベネリウスの子でありたいと願ったのでしょう」
「じゃあ、こことは違う世界にいたのは?」
「それはわたくしにもわかりません。誰かが意図的に行ったことか奇跡に近い偶然か。
 どちらにしてもその時の衝撃でこの世界のことも、わたくしや時砂のことも忘れているのでしょうね」
 続けられた事実に、ショウは足元がぐらつくのを感じた。
『もしかしたら、私は本当に二人に捨てられたのかもしれない。それでも、私は知りたいの。自分を知るために。
 だから、あなたの知ってること教えてください』
 かつての少女の言葉が頭をよぎる。捨てられたのではない。元々二人は少女の父親でも母親でもなかったのだ。
 時砂の娘でもなくシルビアの娘でもない。雛と聖獣と呼ばれ『神の娘』とされた少女。これでは彼女があんまりではないか。
『もしかして記憶喪失か!?』
 かつて少年は少女のことをそう認識していた。だがそれは、完璧な間違いではなかったのだ。
 それでは自分の父親と母親を忘れるくらいの強い衝撃とは何なのだろう。
「あんたがシーナの母親になったのはただの使命感だったのか? それともベネリウスに頼まれて?」
 どうしてこんなことしているんだろう。
 声をあげながら頭の片隅で少年はそんなことを考えていた。
「どちらでもいい。あいつに会ってください。このままじゃあ、あいつが……」
 ショウの懇願にシルビアは頭をふる。
「わたくしだって会いたい。でも……」
「だったら!」
「あなたはどうしてあの子にこだわるの?」
 ふいに予想もつかなかった問いかけをされ、ショウは言葉につまる。
「ただの使命感? それとも」
 何の感情も映さない明るい茶色の瞳。鏡のごとく映っているのはほかならぬ自分自身。
「違う! そんなんじゃ!」
 幼い子供のように叫びながら、ショウはこれまでの言動をふりかえる。
 はじめは置き去りにするのが後味悪く、成り行きでつれてきただけだった。
 途中で英雄と王女の手がかりかもしれないと気づいてからは手放すわけにはいかなくなった。
 たくさん心配もかけられたし、かけたこともある。
「そんなんじゃ……」
 では今は? 俺はシーナのことをどう思っている?
 答えを導き出すまで時間はさほどかからなかった。
「あんたも……同じなのか?」
 ショウの声に、シルビアは静かにうなずいた。
「もう帰りなさい。ここはあなたのような子供が来る場所じゃない」
 告げる声は淡々としていて、でも温かみがあって。
「それでも、あなたはあいつの母親なんだろ?」
 振り向きざまにショウはそんな声をかける。だがシルビアは儚げに微笑むだけだった。

 どうして自分はこんなにももろいのだろう。
 どうして世界は、彼女に優しくないのだろう。
 どうしてあいつは――

「俺の父親はあなた達を捜すために俺達の前から姿を消しました」
 それは独白だった。
「親父がいなくなって、俺は親父と英雄を恨んだ。シーナがそうだと気づいてからは、あいつを逆恨みで拒絶した」
 だけど。
「あいつは全てを知ってなお、前に進もうとしている。俺はあいつに負けたくない。いや、あいつと一緒に強くなりたい」
 独白が終わってからも、シルビアは何も言わなかった。当然だ。これはただ自分に言い聞かせるためのものだったのだから。
 頭を下げ踵をかえそうとしたその時。
「あの子の本当の名前を知ってる?
 マルディード。マルディード・アルテシア。 ……あの子をお願いね。ショウ」
 シルビアの声にショウは静かに、だが深くうなずいた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「目が覚めたかい?」
 目を開けると、そこには空色の瞳があった。
「彼女の方が戻ってくるのが先だと思ったんだけどな。どうやら君の方が早かったみたいだ」
「黄砂(コウサ)。アンタは翼の民に生まれてよかった?」
 ショウの問いに黄砂は笑みを見せる。
「使命のことはおまけだったけどね。でも風鳴(カザナ)やこの子に会えて良かったと思っている」
 それは事実でもあるし嘘でもあるのだろう。
「君は? ショウ・アステムとして生まれてよかった?」
「俺はそんなことを悟れるほど大人じゃない」
「知ってたよ。はじめから」
 かけられた声はいつも以上に冷淡で、だがいつも以上に温かみのあるものだった。
「大人の中に混じって必要以上にがんばろうとしている」
 返す言葉もなく、ショウは地に伏す。
「本当はね。時が少し早すぎたんだ。
 このままだと彼女は存在が消えてしまう。空都でも、地球でもね。二つの世界に在り続けるということは容易ではないんだ。だから、そうなる前に返してあげたかった。
 でもあながち早くはなかったみたいだ。お姫様は騎士に会えたんだから」
「俺はそんな立派なものじゃない」
「それもわかってる」
 かけられた声が普段よりもやわらいだものに感じられるのは少年の気のせいか。
「僕の能力は名前通り。決まったら呼んでくれ」
 やはり声を返すこともなく、ショウは一人顔を覆った。
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