Part,91
むかしむかし。『神』と呼ばれる存在がありました。
神には三人の娘がいました。
一人は開花を。
一人は喜びを。
一人は輝きを。
神は娘達をとても大切にしていました。娘達も神を愛していました。
月日は流れ、神は眠りにつくことになりました。彼も万能ではなかったのです。
ですから、神は娘達に自分の世界を託しました。
一人は空を。
一人は海を。
一人は大地を。
神は言いました。
『あなた達は私がうみだした存在。命を大切にしなさい。そうすれば、私はいつもあなた達と共にあることができる』
神は深い深い眠りにつき、娘は嘆き悲しみました。
ですが、いつまでも悲しむわけにはいきません。
娘は『天使』と呼ばれるものをつくりました。娘と天使は長い年月をかけ、それぞれの世界を、人間を守り慈しみました。
ですが、そんな緩やかな時間も終わりをつげます。神同様、彼女達も万能ではなかったのです。
娘は天使に言いました。
『私の時間も終わりをつげます。これからはあなたがこの世界を守ってください』
天使は言いました。
『一人は辛すぎます。どうか最期まであなたを守らせてください』
『ならば、二人で世界を見守っていきましょう。空と、海と、大地を』
こうして娘達は、天使達は人々の前から姿を消しました。
彼らはこの世界のどこかにいると言われています。彼女達は、彼らは、今でもずっと私達のことを見守っているのです
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「着いたよ」
たどり着いたのはフロンティアと呼ばれる地――同じ景色ばかり続いているのだ。他に呼びようがない――のはるか先だった。
「依頼を受けたのは彼女さ」
黄砂の指し示す方角を見て、二人は顔を見合わせる。
「どうしたんだい。彼女が待っている」
「彼女って……」
「石像に、どうやって話をするんだ?」
戸惑いを浮かべたまりいの代わりに、質問の意図を栗色の髪の少年は明確にする。二人の目の前にあったもの。それは人を形どった像だった。
正確には二人の女神像。一人は瞳を閉じ祈るような姿で地に膝をついている。肩にかかる髪は長く、可憐な風貌はさながら高貴な姫君のようだ。
もう一人はその女性の肩に手をかけ瞳をまっすぐ前に向けている。こちらは女神と呼ぶよりも、むしろ姫君を守る騎士のような雰囲気だ。
「手を触れるだけでいい。それで路(みち)は開けるから」
促されるまま像の目前に立つ。二人、像に手を触れようとしたその時。
「残念だけど、ここから先は選ばれた者しか入れない」
黄砂の声は栗色の髪の少年に向けられていた。
「文句を言われてもしょうがない。彼女が望んだのは娘だけだったんだし。そもそも只人がここに来ることだってまれなんだ」
少年の方を向くと、彼は一度だけうなずく。
「待ってるから」
短い言葉。でも少女にはそれで充分だった。
「行ってきます」
少年に笑いかけると、まりいは像に手を触れた。
そこは何もない場所だった。
否。あるものは、唯一あると呼べるものは――雪。
否。それは雪ではなかった。辺りを埋め尽くす真っ白なそれは手ですくえば指の間から溶けることなく滑り落ちていく。言い換えればそれは雪の砂。砂で埋め尽くされた景色は、言うなれば雪の砂漠。
砂漠の中で待っていたものは。
「まわりくどいやり方で悪かった」
声の主は女性だった。
「あなたが神の娘……?」
まりいよりも、幾分か年上にあたるのだろうか。
漆黒の長い髪に同じ色の瞳。凛とした面差しからはこれまで見てきた人物達と同様、意志の強さがうかがえる。
「あんたの名前は?」
「シーナ」
「それが、この世界での名前?」
かつて誰かに聞かれた問いに、まりいはうなずきを返す。
「まいったな。そんなとこまでかぶってるとは思わなかった」
思案顔の女性にまりいは戸惑いを覚える。
目の前の女性にまりいは見覚えがあった。当然だ。会ったのはほんの数刻前なのだから。
「あなたの名前は?」
「あたしはカイ。それが今の名前さ」
逆にまりいが問いかけると女性は――カイはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「どうして私を呼んだんですか?」
「敬語はやめろ」
まりいの声はカイの声に一蹴される。
「同じ身内同士なんだ。もっと気軽に話せ」
「じゃあ。カイさんは……」
「カイ」
再びさえぎられ、まりいは声を失う。艶っぽい外見とは裏腹に眉根を寄せる様はまるで少年のようで。
声を出したのはそれから数分後。
「カイは、どうして私を呼んだの?」
三度目の問いかけに、カイは初めて視線を向けた。
「色々と知りたいだろうと思って。あとは協力要請かな」
「協力?」
「それはいつかの話にしよう」
そう言って大きくのびをする様は、とてもではないが、少し前に会った――見たものと同一とは思えない。
「何?」
まりいの視線に気づいたのだろう。彼女が視線を向けると、まりいは声をかけた。
「カイって『神の娘』なんですよね」
「そうさ。あんたと同じ……いや」
途端に彼女の表情が変わる。
「もしかしたら、あんたがたどるかもしれない姿さ」
まりいを見つめる漆黒の瞳は姫君と呼ぶよりもまるで騎士のそれで。それはまぎれもない女神像そのものだった。
「カイはここで何をしているの?」
まりいの素朴な疑問に、カイはふっと顔を曇らせた。
「姫君を守る騎士」
「え?」
「なんてね。本当は定めの肩代わり」
冗談めかした台詞。だがまりいは笑うことはできなかった。
「誰かさんが重苦しいことを一人で頑張ろうとしてるからさ、しょうがないから手伝ってやってるわけ。それで、あんたは誰に会いたいの?」
考えていたことそのものを問われ、まりいは目をしばたかせる。
「ここを求める奴は大体限られてる。何かを探したいか、もしくは誰かに会いたい」
彼女の言っていることは事実だった。ショウの手助けというのも確かにある。だがそれ以上に探し求めていたものがあったから。
漆黒の瞳と明るい茶色の瞳が交差する。
「会いたい人がいるんです」
先に口を開いたのはまりいだった。
「何のために?」
「自分を知りたいんです」
「もう充分わかったんじゃないの?」
「充分じゃないはずです」
カイの声に、まりいはゆるゆると首を横にふる。
確かに今までの旅の中でさまざまなことを教わった。英雄や姫、鳥の一族と呼ばれるものの存在。他にも知りえたことは多々あるが理解できていないものもある。
「神の娘を本来の姿にもどすって風鳴は言ってました。あなたは私に協力してほしいって言っている。
……神の娘って何なの?」
それは疑問。
「私って何なの?」
それはもっとも難解な謎かけ。
「神って呼ばれてる奴の娘。それじゃ不満?」
声に、まりいは再度首を横にふる。
「お願いです。教えてください」
頭を下げるまりいをカイはじっと見つめていた。短い沈黙の後、カイは二つの指を突き出す。
「条件が二つ。一つはあたしの計画に協力すること。もう一つはどんなに辛くても、それから目をそらさないこと。
あんたにとってはかなり不利だけど、どうする?」
「教えてください」
迷いはなかった。本来それを知るためにこの場所へ来たのだから。
「取引成立だな」
少年のような笑みを消し、カイは真面目な顔をして告げる。
「いつか、あんた達の前に哀しみを宿したものがやってくる。そいつを、そいつらを解き放つ手助けをしてほしい」
「それが条件?」
「そう」
「具体的にはどうすればいいの?」
「あんたがその時に感じたことをしてやればいい」
『時期が来ればわかるさ』そう言って笑うカイに、まりいは戸惑いをおぼえる。哀しみを宿したとはどういうことなのだろうか。開放とは一体何を指すのだろう。
そんなことを考えているとカイは言葉を連ねる。
「あんたはあたしを見てどう思う?」
「綺麗な人だと思います」
「他には?」
続きを促されためらうも、まりいは素直に意思を述べた。
「何かに耐えてるみたい。だけど」
「だけど?」
「……あきらめてない。何かをなしえるために、あなたは自分の意思でここにいる」
それがまりいの感じた全てだった。像である時は姫君を守り、人である時は尊大な話し方で。だが漆黒の瞳からは強い意志が感じられた。
「解き放つって、ステアと黄砂のこと?」
「それもあるけど。それだけじゃない。
ここの世界のことはその世界の奴に任せることしかできない」
「それは私が空の娘だから?」
まりいの声にカイはうなずく。
「バカらしいと思うだろ? だけど、ここではそのバカバカしいことが世界を支えている。
そんなことに捕らわれている奴らをどうにかしたくてあたしはここにいるんだ」
「どうしてあなたがそこまでするの?」
「仕方ないさ。そいつがほっとけないから。だから、肩入れしたくなる」
「それは『神の娘』だから?」
「あたしがあたしだからかな。
……約束だったね。教えてあげる」
カイの差し出した手をまりいが握る。
途端、辺りを光が包んだ。