SkyHigh,FlyHigh!

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  Part,78  

「痛っ! いたたた!」
「一日中海にいたんです。これくらい当然です!」
「でもしみる――」
「これくらい我慢なさい!」
 ぴしゃりと言われ手当てを受ける側は押し黙るしかなかった。
「ユリ、そのくらいにしといたほうがいいんじゃ……」
「え?」
「……なんでもないです」
 極上の笑みを浮かべられ、助け舟を出した青年も口をつぐむしかない。
「姉貴。そいつも反省してるんだ。大人気ない――」
 二人目の助け舟も、途中で中断される。なぜなら、
「二人とも、なにか言いました?」
『ナンデモナイデス』
 彼女の笑顔がこれ以上になく綺麗で――恐ろしかったから。
 美人は怒らせると怖い。たった今、目前で実践した二人はため息をつくと、ベッドの上で苦痛の声をあげる少女に同情の視線を向けた。

 お互いの意思を確認した後、ショウとまりいは海で遊び呆けていた。正確には少女が帰るのをためらっていたのだ。夜もふけ、二人でいたいと告げた少女を拒む理由もなく。少女が海と戯れるのをショウは遠くから眺めていた。
 だが、どこをどう間違ったのか気がつくとお互い深い眠りに落ちていた。朝がきたことに気づいたのはまりいの方。同じく隣で眠っていた少年を起こし、慌てて宿へとたどり着いた時には時すでに遅く。渋面の宿の住人と年長者の二人が出迎えたのだった。
「ユリさん、痛いです」
「何か言いました?」
「……なんでもないです」
 やはり男性二人と同じ言葉をつぶやくと、まりいは大人しくユリのされるがままになった。
(お前の姉さんって怖いな)
(今さら何言ってるんだ。俺は生まれた時からああなんだぞ)
 男性陣二人の言葉を黙殺し、ユリはまりいの腕に手をかざす。
「癒しの光よ……」
 言葉と共に淡い光が少女の腕に灯る。
「ユリさんって術も使えたんですね」
「覚えたんです。あなたが眠っている間に」
 浮かべているのは優しげな微笑だが、言葉にはこれ以上とないほどの棘が含まれている。
(……怖い)
(あれがいいんだろ? なら慣れるしかない)
 まりいの視界の隅に男達のやりとりが映る。それはユリも同じだったようで、
「あなた達、無駄口を叩いてる暇があるなら買出しに行ってきてください」
『……はい』
 やはり恐ろしいまでの微笑を向けられ、青年と少年はこくこくと首を縦にふった。
 残された部屋で、まりいは黙ったままだった。
「あの……怒ってます?」
 黙々と作業を続けるユリに、まりいはおずおずと声をかける。
「ええ。とても」
 ぎゅっ。
 そんな音が立ちそうなほど強く、彼女は傷口に包帯を巻きつける。
「痛っ!」
「このくらい我慢なさい!」
 どうやら彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。返す言葉もなく、まりいは再びなされるがままになる。
 どれくらいの時間がたったのだろう。
「……心配したんだから」
 ふいに声がもれた。
「わたしがどれだけ心配したと思っているの。あなたはわたしの身代わりになって……」
 そこから先の言葉はなかった。
 やはりおずおずと顔をのぞきこんで、まりいの目が見開かれる。
 ユリ・アステム。
 ショウの姉で、美人でしっかりしていて同性から見ても隙がない。まりいは彼女のことをこう認識していた。多分それは間違いないのだろう。見落としているとすれば、それは――
「お願い。心配をかけさせないで。あなたはわたしにとっても妹なのだから」
 ショウや青藍(セイラン)と同じように。
 言葉にない声を、まりいは聞いたような気がした。見落としているとすれば、それは、弟と同様自分を表現することが不器用な人。
「ごめんなさい」
 心をこめて、まりいは目の前の女性に頭を下げた。
「わかってくれればそれでいいんです」
 本心からそう言っていることを悟ると、ユリはようやく目元をなごませる。
「じゃあわたし、行きます」
 微笑んで身をひるがえすその姿には、先ほどのような恐ろしさは感じられない。
 今後、彼女は怒らせないようにしよう。男性陣同様、強い決意を胸に少女はシーツを握った。
「それからもう一つ。わたしをかばってくれた時、名前を呼んでくれたわよね」
 確認するかのようなユリの声に、まりいは一つうなずく。確かに呼んでいた。とはいえ無我夢中でとにかく必死だったのだが。
「ごめんなさい。呼び捨てにして――」
「そのままでいいです」
 くぐもった、下手をすれば消え入りそうな声に、まりいは自分の耳をうたがう。だが目の前の彼女の表情と照らし合わせ、それは間違いでないことに気づく。
「ユリでいいと言っているんです。もっと普通に話してください」
「でも……」
「なにか?」
「いいえっ!」
 この時まりいは、少しだけわかったような気がした。少年が、なぜ彼女を怖がるかを。青年が、なぜ彼女を好きになったかを。
「最後に一つ。わたしを助けてくれて、ありがとう……シーナ」
『おやすみなさい』少しだけ顔を赤くすると、彼女はまりいの目前から姿を消した。
 くすり、と笑みがもれる。一日前は絶望の淵(ふち)にいたのに今はこうして笑っていられる。それは、彼が、いや彼と彼の兄、彼の姉のおかげなのだ。
 笑いながら、まりいはシーツに顔を押し付ける。今なら許されるのだろう。これは悲しみではない。嬉しさからくるものなのだから。
 押し付けたまま、まりいは声もなく泣いた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『怖かった』
 女性二人のいる部屋を出て、男性二人は深々とため息をついた。
「おれ、あいつの怒ったところ久しぶりにみた」
「俺も」
「美人が怒るって怖いよな」
「美人云々の前に、姉貴が怒ること自体が怖いんだ」
「言えてる」
『金輪際、怒らせるようなことだけはよそう』
 期せずして重なった声に顔を見合わせると二人どちらともなく笑いだす。
「よかったな。シーナちゃん無事で」
「……ああ」
 笑いをおさめると、青年は少年に向きなおった。
「色々ふっきれたみたいだしな。あの子もおまえも」
 言葉の意図がわからず、ショウは首をかしげる。苦笑すると、青年はたショウの髪を指して言った。
「それ、願かけだったんだろ?」
「俺、願かけのこと言ってない」
「弟の考えていることはなんでもお見通しなのさ」
 おどけた口調で応えると、青藍(セイラン)は目を細める。
「本当によかったのか? 親父さんに会いたかったんだろう?」
 おどけた、けれども自分を労わる優しい声音に少年は首を横にふった。
「願うだけじゃ駄目だって、あいつに教わったから」
 彼の表情には一点の曇りもない。どうやら軽くなったのは髪だけではないようだ。
 少女の言うとおりだった。髪を切っただけでこんなにも気持ちが落ち着くものなのか。
「願うことは否定しない」
 願わなければ、何も始まらないのだから。
「けど、昔を見つめるだけじゃ駄目なんだ」
 過去に捕らわれてばかりでは前に進めないから。そのことを焦げ茶色の髪の少女に教わった。
 心細そうに自分を見上げていた少女。それがいつのまにか視線を合わせ、臆することなく前に進もうとしている。それを見て決めたのだ。自分もこのままではいけないと。
 そんな少年に、青年は真顔で距離を近づける。
「……セイ?」
「ほんと、愛の力は偉大だよな」
 苦笑して頭を撫で付ける様は普段と変わらない。
「まだ、わからないんだ」
 だが、応えた少年は以前とは異なる声を告げた。
「あいつを遠ざけたい気持ちもあるし、離したくないという気持ちもある」
 でも。
「一緒にいたい。いや、いなきゃいけない。これからのことを見据えるために」
 だから。
「ここまで着いてきてもらって感謝してる。だけど、ここから先は二人で進みたい」
 瞳から感じるものは、いつも以上に力強い意思。
 彼は覚えているだろうか。かつて同じ質問を青年にされた時、同じ言葉を返したことを。そして、今言ったものと言葉に含まれるものが確実に変わったということを。
「初めてお前に会った時さ」
「?」
「背伸びをした子供。そう思った。腕っ節も強いし見た目はちゃんとそれなりのなりをしてるのに、妙なところで無理をしてるんだよな」
「俺、そんなふうに見えてたのか」
「他は知らないさ。おれにはそう見えただけ」
 少年に視線を合わせると、青年は静かに言った。
「行って来いよ。兄ちゃんは帰りを待ってるからさ」
「セイ兄……」
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