SkyHigh,FlyHigh!

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  Part,77  

「やっぱり……無理みたい。受け入れようって決めてたのに」
 まりいの肩は震えていた。
 少年は、少し前の自分の気持ちを恥じた。予想もできない事実を聞かされて、動揺しない人間がどこにいるのだろう。少女は何も感じていないわけではない。あえてそうしようと必死に耐えていたのだ。
「そんなに簡単に受け入れられるようなもんなのか?」
「わからない。ここ(空都)で本当の両親の名前が出てきたのにも驚いたけど、ショウとそんな繋がりがあるなんて考えてもみなかったから」
「俺も……驚いた」
 一体、誰が予測しただろう。探し求めていたものの手がかりがすぐ隣にあっただなんて。
「その話が本当なら、私はショウの仇の娘になるんだよね」
「……ああ」
 一体、誰が予測しただろう。成り行きの同行者が仇に連なる者だなんて。
「そっか……」
 少女の肩が小刻みに震えている。
 少し手をのばせば届きそうな体。その姿は力をこめればすぐに壊れてしまいそうな硝子細工に見える。
 少年はふいに手をのばそうとして――思いとどまる。
 触れればこの先どうなるかわからなかったから。それ以前に、どうして触れることなどできるだろう。少女を傷つけたのは他ならぬ自分自身なのに。
 少女を拒絶したのは自分なのに。
「……泣いてもいい。ここには誰もいない」
 半ばのばしかけた手をもどし、やっとのことでかけた声も少女の小さな声にさえぎられる。
「ショウがいる」
 もっともな声に少年は一人苦笑した。と、同時にある思いが胸をよぎる。
 人のいるところでは泣けないということは、それまでずっと一人で耐えてきたということ。少女はどれだけの間、哀しみや淋しさに耐えていたのだろう。
「一人だったら大丈夫だろ。俺、先に帰るから」
 そう言うとショウは腰をあげようとして――止まる。
「ここにいて」
 少年の腕は、まりいの手によって行き先をはばまれていた。
「お願い。もう少しここにいて」
 まりいの表情は見えない。けれども彼女の右手は少年のそれを握っていた。まるで、親にすがる子供のように。
「お願い」
 かたくて、小さくて、すぐにでも消えてしまいそうな声。
 そんな声を少年が放っておけるはずもなく。視線を合わせぬまま、ショウはまりいの隣に再び腰を降ろした。
「本当はね、泣かないんじゃなくて泣けないの。どうしてだろう」
 視線を海の方角に向けながら、まりいはつぶやく。
「いろんなことがありすぎて、頭がおかしくなったからかな。どうしたらいいんだろう」
 まりいの独白に、ショウは答えを返さなかった。いや、返せなかったと言った方が正しいのかもしれない。ただの声が、なぜこんなにも胸に突きささるのだろう。
 手を握ったまま、二人は何も言わなかった。
 何かをするわけでもなく海をじっと見つめている。ただ、どちらも手を離すことはなかった。まるで、互いの存在を確かめあうかのように。これ以上離れまいかとするように。
 たっぷり時間が流れたあと、手を離したのは少年の方だった。
「お前さ、それ、どこでやった?」
 視線は少女の首筋にあてられている。髪のことだと理解すると、まりいはポケットからナイフを取り出す。
「宿の人に借りたの。切ったのはショウがくるちょっと前」
「ハサミでもよかっただろ」
 確かに髪を切るだけならハサミを使ったほうがはるかに楽だ。
「ほんとだ」
 今さらながらのようにつぶやいた少女にショウは苦笑する。それだけ気が動転していたということだろうか。それとも、それだけ決意がゆるぎなかったということなのだろうか。
「それで、覚悟はついたのか?」
「うん」
 まりいがうなずくと、少年は少女の手からナイフを譲り受ける。
 少年のやるべきことは決まっていた。少女がこれだけのことをやってのけたのだ。自分も覚悟を決めなければならない。
(俺ってバカだったんだな)
 こんなことでしか態度を示せないなんて。
 だが、それが正しいと思った。そうすることが、まりいに――相棒に対する一番の意思表示だと思ったから。
「……ショウ?」
「前に聞いたよな。どうして髪のばしてるかって」
 ナイフを手に目をつぶる。
 思い浮かぶのは子供の頃。
 六つの時、父親と同じ道を進むことを約束した。
 十の時、仇の行方を捜すと母の墓前に誓った。
 そして今、自分は仇の娘の目前にいる。
「願かけだった」
 それは少年の独白だった。
「髪をのばしてれば願いが叶うって。女々しいよな。でも昔はそれにすがるしかなかった」
 それは子供の頃からの彼の願い。
「絶対生きてる。そう思ってても、心のどこかであきらめてた。親父はもう、この世にはいないんじゃないかって。
 それが怖くて、運び屋になっても肝心なことはできずにいた」
 行方がわからないということは、言い換えればどこかで存在している可能性があるということだから。行方を探すということは、言い換えればそれを全て否定するということだから。
 ナイフを首筋にあて、言葉を紡ぐ。
「俺の本当の願いは」
 ザッ……。
「親父に会うことだった」
 目を開けると、そこには栗色の髪が散らばっていた。
「願ってるだけじゃ駄目なんだ」
 視線を向ければ目を丸くした少女の姿。さっきまで自分も同じような表情をしていたかと思うと自然と笑みがこぼれてくる。山から堕ちてゆく少女を見て、ショウは心臓をわしづかみにされたような気がした。それに比べればこれくらい造作もないことだ。
 明るい茶色の瞳を見つめ、ショウは続けた。
「もしかしたら俺は、お前を利用していたのかもしれない」
 それは少年の懺悔(ざんげ)。
「お前と一緒にいれば、親父に会えるんじゃないかって。
 なのに本当にそいつと、英雄とつながりがあるってわかった途端、拒絶するなんて最低だよな」
 父親を、家族をばらばらにした張本人を憎んでいた。憎まなければ生きてはいけなかったから。悲しみに埋もれてしまうから。
 英雄が捜してくれと頼んだわけではない。父親は自分の意思で旅立ったのだ。幾度となく母親から聞かされていても、納得することはできなかった。それだけ父親のことが大好きだったから。
「だけど、俺はお前と一緒にいたい」
 だが、その娘と一緒にいたいと思ったのもまた事実だった。
「見届けたいんだ。この先に起こることを。フロンティアを、親父の生死を自分の目で確かめたい。そして、できればお前にもついてきてほしい」
 なんて勝手なのだろう。拒絶した相手にそんなことを願うなんて。
 それでも離れたくはなかった。少女が目の前からいなくなってしまうことが嫌だったから。あんな思いは二度としたくなかったから。
「……私も、あなたと一緒にいたい」
 ゆるぎない少年の瞳に、まりいは穏やかな笑みを返した。

 この感情を一体何と呼べばいいのだろう。
 恋にしては壮絶すぎて、ましてや愛と呼べるものでもない。
 だが、一緒にいたい。ともに在りたいと思ったのは事実で。

「戻ろう。出発の準備しなきゃ」
「その前にやることがあるだろ」
 予想外の言葉に、まりいは顔を向ける。
「……やること?」
「姉貴とセイにあやまるんだ」
 そこには、いつも以上に顔をしかめた少年の姿。
「ユリさん……怒ってた?」
「とっても」
 まりいの問いかけに少年は渋面でうなずく。
「お前は姉貴の恐ろしさを知らないから平然としてられるんだ。
 前にも言っただろ。『あんなふうになりたいのか』って。俺が女だったら……ああはなりたくない」
「……そんなに、怖いの?」
 再び問いかけられた声に、ショウは再びうなずきを返す。
「五歳の頃、姉貴の人形を壊して屋根につるされた」
「……冗談、だよね?」
 まりいの問いに少年は答えなかった。
「生まれて初めて死ぬと思った。助けに来てくれた親父が神様に思えた」
 ……本当なんだ。
 青ざめる少年の横顔を見て、まりいはユリに対する恐怖を覚える。
「じゃあ、ちゃんとあやまらなくちゃね」
 そして、少年に対する感謝も覚えた。
 一時はどうなるかと思った。どこにいても自分は一人ぼっちで、消えてしまいたいとも思った。でも今、こうやって笑ったり青ざめたりできるのも目の前の少年のおかげなのだ。
 まずは、ここにいない二人にあやまろう。全てはそれからだ。
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