SkyHigh,FlyHigh!

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  Part,74  

 目を開けると、そこは少女の知らない場所だった。頭上には蛍光灯の灯り。首を動かせば、右腕と薬液が細い管でつながれている。
「あら、目が覚めたのね」
 声をかけたのも、彼女が全く知らない女性だった。
 薬液がなくなったことを確認すると、女性――看護師は、なれた手つきでまりいの腕から管をはずしていく。
「今お母さんを呼んでくるから。もう少し横になっていてね」
 回復しきれていない頭でうなずくと、看護師は扉を開けて外に出て行く。
 ベッドの上で点滴をうけていたんだ。まりいが現状を理解したのと一組の男女が入ってきたのはほぼ同時だった。
 一人は大人の女性。まりいがよく見知った人だ。もう一人は顔見知りではあるが、ほとんど接点のない少年。まりいにはない黒の瞳が彼女を心配そうに見つめていた。
「大沢君? つかささんも……」
 ベッドからのろのろと上体を起こすと、まりいは大沢とつかさを交互に見くらべる。
「ようやく起きたわね」
「ここは?」
 ため息をつくと、つかさは苦笑して答える。それは、まりいを夢から現実に戻すのに最も有効な言葉だった。
「病院。あんた学校で倒れたのよ? 覚えてないの」
 病院。
 病気になった人が運ばれ治療を受ける場所。かつてまりいが何度も行き来していた場所。
『君を元の場所に返すよ』
 本当なんだ。これが、私の現実。
『どちらにもいたいなんて思う方が、むしがよすぎるんだ』
 黄砂(コウサ)の言ったことは本当だった。体も思うように動かせず、人ともろくに話もできない。私には何もない。何も、できない。これが自分にとっての現実なんだ。
 沈痛な面持ちで、まりいは毛布のはしをぎゅっと握る。それを知ってか知らずか、つかさは話を続ける。
「用心のために先生が一週間くらい入院しなさいって。あんたはここで休んでなさい。荷物は後から取ってくるから」
「入院……」
 病院と呼ばれる場所で治療や検査を受ける。
 呆けたように胸中で言葉の意味をくり返すと、まりいはさっと顔を青ざめた。
「嫌! こんなところにいたくない!」
 ベッドから勢いよく体を起こし、毛布をはぎとる。扉を開けそのまま外に出ようとするも病み上がりで体が動けるはずもなく。義理が手をつかむと少女はくずれるように床に伏した。
「いい加減にしなさい。そのままじゃ学校にも行けないわよ」
 友達と一緒に学校に行く。
 他愛もない話をしたり、男女関係なくはしゃいだり動き回る。
 ほんの少し前まで思い描いていた夢。だが今の少女にとって夢は夢でしかなかった。
「じゃあ学校行かない」
「まりい!」
「つかささんにはわからないよ!」
 つかさの声に少女は声を荒げる。
「……わからないよ。どうして私だけこんな目に遭わなきゃいけないの」
 それは、まりいの本心だった。
「学校に行っても発作と入院の繰り返しなんだよ? 教えて。私はいつまでこんなことをしてればいいの?」
 義理の母親を見つめ、まりいは語りかける。
 同じ年頃の子供は友達をみつけ、笑ったりはしゃいだりしている。だが自分は幼い頃からからかわれ、ようやくできた友達もいなくなってしまった。
「私がいなくなったほうが、つかささんだって清々するでしょ? だったらはじめからそう言って」
 瞳からあふれるものを隠すことなく、まりいは母親に笑いかける。
 いつだってそうなのだ。信じていたものには裏切られて、ようやく手にしたと思ったものも幻でしかなくて。それは、地球でも空都(クート)でも変わらない。
 ――私は空都を逃げ場にしていたんだ。
 だってあそこには、友達がいるから。自分のことをわかってくれる人達がいる、そう思っていたから。でもそれはただの幻想で。ただの独りよがりな思い込みで。
 ――私は全てに拒絶されているんだ。
「このままなら学校に行ったって、生きてたってしょうがない!」
 それは追い詰められた少女の嘆き。
「まり――」
「そんなに嫌なら学校くんな!」
 辺りが水を打ったかのように静まる。病室を静かにさせたのは、つかさの一言ではなく第三者の少年の怒声だった。

 大沢昇(おおさわのぼる)。
 まりいと同じ中学に通う同級生。友達は多いか少ないかと聞かれれば前者に入るのだろう。取り立てて目立つ外見でも性格でもなく、自分との接点はほとんど見受けられなかった――と、まりいは記憶している。
 その彼が、眉をつり上げ少女をにらみつけている。
「悲嘆にくれるのは勝手だけどな、そんな周りも自分も傷つけるようなこと言うな! 世の中にはな、生きたくても生きれない奴だってたくさんいるんだぞ」
 大沢の言ったことは正論だった。言葉を発して傷ついているのは他ならぬまりい自身なのだから。だが、理解することと感情は別の問題だ。
「大沢君に私の気持ちなんてわかるわけない!」
 唇をかみ、感情もあらわに叫び返す。皮肉にもこれが、まりいが少年に、地球の住人に初めて本音を見せた瞬間だった。
 かたや『普通の』と呼ばれる家庭で育ち、病気や孤独という言葉に無縁であっただろう大沢と、物心ついた頃から一人で孤独に耐えてきたまりい。目の前の男子と自分はあまりにも違いすぎる。
 義母なら間違いなく言葉を失っていたであろう台詞。だが少年は少しもひるむことなく怒号した。
「わかんねーよ! 話してくれなきゃわかるわけないだろ!」
 悲嘆と激昂。二つの感情がぶつかりあう。
「だって皆、私のこと見てくれない!」
「アンタが拒絶してるんじゃ見るわけないだろ!」
 怒気もあらわに続けた感情。だが、まりいにとってそれは予想外のものだった。
 よほど興奮していたのだろう。お互いの顔は真っ赤だった。呼吸を整えると、大沢はとつとつと語りはじめる。
「わかってほしいならちゃんと話せよ。そうじゃなきゃわかるわけない。
 周りから手を貸してはあげられるかもしれないけど、言ってくれなきゃ何もしてあげられない」
 まりいは叫ぶのをやめ、なかば呆けたように大沢を見ていた。少年のに瞳はすでに、怒りとは違う感情が灯っていた。
「言ってくれなきゃわかんないよ。自分が変わらなきゃ何も変わんないだろ!」
 なぜそんなふうに悲しい――哀しい表情ができるのか。
 浴びせられたものは怒りであるはずなのに、声には哀しみが込められている。どうして相手の少年の方がこんなにも泣きそうな顔をしているのか。傷ついているのは自分の方なのに。
 まりいには理解できなかった。
「……騒がしくしてすみませんでした。お大事に」
 それだけ言うと大沢は病室から出て行った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 残された部屋で母娘は終始無言だった。
 あふれ出た感情は取り返しのつかないもので。でもそれを認めるだけの勇気もなくて。まりいは目覚めた時と同様、毛布のはしを握りしめることしかできない。
「昇くんね」
 先に口を開いたのは母親の方だった。
「ずっとあんたについてたのよ。『椎名の目が覚めるまでここにいます』って。きっと気が気じゃなかったのね」
 窓の方を見ながらつかさが苦笑する。視線をつかさの指す方角に向けると、そこには大沢の姿があった。
 昇(のぼる)という響きが口論をしていた相手だと理解するのには数分かかった。帰る途中なのだろう。数歩歩いては足を止め、また数歩歩いては頭をふっている。その後姿は先ほどとは比べものにならないほど頼りなく間の抜けたものだった。
「すごいわね。わたしの言いたいこと全部言ってくれるもの。あそこまで面と向かって言われると逆にすがすがしい」
 年齢にしてはやや長身の、それ以外にはとりたてて特徴のないもの。その少年は通りすがりの、おそらく入院しているであろう子供に一言、二言話しかけると再び歩きだす。
 それは、どこにでもある光景。
「間違いなくあんたのこと心配してた。今度ちゃんとあやまっておきなさい」
 だけど、とてもまぶしい光景。
 ろくに会話もしたことのない第三者が自分を見てくれていた。
「どうして」
「え?」
「どうしてそんなことするの?」
 そんな第三者に感情をぶつけてしまった自分。まりいには大沢が、自分というものがわからなくなっていた。
「そんなのわたしが知るわけないでしょ。彼に聞いてみないとわからない」
 再び苦笑すると、病室の扉に向かって歩みを進める。
「あんたの場合、事情が事情だからね。感情をぶつけるなとは言わない。だけど、あんたを心配している人だっているの。ちゃんと見てくれている人がいるの。
 頭を冷やして、少しだけ周りを見てごらんなさい」
 それだけ言うと、つかさは部屋から姿を消した。
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