Part,70
「ここがユリの親父さんがいた場所……」
山の頂上で青藍(セイラン)は感慨深げにつぶやく。
商人から聞いた山は、村から少し離れた場所にあった。常人では登ることも難しいだろうが、一人は冒険者、残る二人も身体能力には長けていた。
「シーナさん?」
ユリの呼びかけに、まりいは顔をむけた。
「え?」
「何かあったの?」
「なんでもないです。少しぼうっとしていただけ」
心配そうな表情をするユリに、まりいは慌てて手をふる。
「やっぱりあまり眠れてないんじゃ」
「そんなことない」
顔をしかめる青年に、まりいは慌てて首を横にふった。
実のところ、二人の指摘したことは事実だった。昨日のこともそうだがショウとの会話が頭を離れなかったのだ。
二人と一緒に山を登る旨を伝えると、
『……お前、何する気だ?』
まりいの腕をつかみ少年は言った。何もするつもりはないし、何も隠しているつもりはない。ただ、感じるのだ。このままではいられないのではないかと。結局曖昧にごまかすことでその場は切り抜けた。
『触るな!』
初めて耳にした少年からの拒絶の言葉。だが、原因がわからない以上どうしようもない。ただの一言なのに、どうしてこんなにも重く胸にのしかかるのだろう。自問して、まりいはひとつの結論にたどりつく。
(ずっと一緒にいたからだ)
空都(クート)で初めて出会った栗色の髪の少年。自分にはない黒い瞳でまっすぐに自分を見つめていた。一緒に旅をするようになって。話を聞いてもらったり助けてもらったり。
きっと自分は彼のことを信頼しているのだろう。それは隠しようのない事実。だから、ほんのささいなことで傷ついてしまうのだ。
(嫌われちゃったのかな)
目前に広がる風景を目にしながら少女は小さく息をつく。
「シーナちゃんも見てみなよ」
青年に促され、まりいは視線を向けた。
そこにあるのは小さくなった村と岩山。その側には海が見える。
「ここって、この前の洞窟の反対側だったんだな」
青年の言葉にならい視線を向ける。白の洞窟――ステアがそう言っていた――はフルーツルーレの右側にあった。対して、まりい達が今いる場所は村の左側になる。
「手がかりはありそう?」
青藍の問いかけに、ユリは首を横にふった。
「いいえ。残念ですけど」
山には三人と一羽意外、誰もいなかった。一般人が登るには苦労しそうな場所。それ以上でもそれ以外でもない。
「ごめん。ぬか喜びさせたな」
「いないと思っていればあきらめもつきます」
ユリの寂しげな笑みに、二人は胸をつかれる。たまらなくなって青年はユリを抱きしめ、まりいは視線をそらす。
はじめからいないと思っていればあきらめもつく。確かにそうなのだろう。だが表情は明らかに言葉とは裏腹だ。
もし、この場に少年がいたらどうしたのだろう。彼女と同じ表情を見せたのだろうか。もし、自分に親の手がかりがあったならそんな思いにかられるのだろうか。弟に似た横顔を眺めながら、まりいはふとそんなことを考える。
チチッ!
ふいに緋色の鳥が鳴く。しきりに翼を羽ばたかせ、時にはまりいの髪をくわえて引っ張ろうとする。
「コウサ?」
何が起こったのかと視界をめぐらせても鳥の意図など人のまりいにはわかるはずもなく。しばらくすると鳥は頭上をはためいた後、姿を消す。
「シーナちゃん、どうした――」
異変に気づいたのはまりいだけではなかったらしい。年長者二人組も、互いに体を離し険しい表情を虚空に向ける。
尋常ではない。何があったのかと問いかけようとするよりも早く。
二人の視線を追い、まりいは息をのむ。
「どう、して」
そこにいたのは少し前に別れたはずのものだった。
何も言えなかった。
伝えたかったのはそんなことじゃない。でも口から出てくるのは別のことばかりで。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ショウ、いい?」
ノックと共に、ショウのもとに訪れたのは焦げ茶色の髪の少女。昨日の一件があったにもかかわらず表情はいたって平静だった。
「昨日は悪かった」
「ううん。気にしてない」
とは言っても昨日の今日だ。会話が続くはずもなく。
「これから昨日言ってた場所に行ってくる」
しばらくして、まりいはぽつりと言った。
「俺も――」
「ショウはここにいて。ただの下見だから。
青藍(セイラン)も悪気があって言ったんじゃないって言ってたよ。元気になったらまた四人で行こうよ」
そうだったのかと胸をなでおろす一方、少年の胸を妙な違和感が支配する。
「私も二人と一緒に行ってくるね。相棒なんだからこれくらいはしないと」
今までと全く変わらない、いや、いつも以上に元気に振舞う少女。
「大丈夫。これでも体力ついてきたんだよ」
元気に笑って見せるその姿は、他から見れば微笑ましかったのかもしれない。だが、少年にとっては痛々しい以外のなにものでもなかった。
「……お前、何する気だ?」
「え?」
少年のつぶやきに、まりいは笑顔のまま表情を固まらせた。
「口数が多すぎる。何か隠してないか?」
少年の言ったことは事実だった。元々まりいは口下手な方だ。幾分か解消されたとはいえ、よほどのことがない限り自分から一方的に話すことはまずない。
「どれだけ一緒にいたと思ってるんだ」
それも事実だった。出会ってからここまで長い月日がたった。幸か不幸か、少年は少女の仕草を理解できるようになっていた。
「何も隠してない」
「だったらちゃんと目を見て話せ。それじゃわからないだろ」
少女の手をつかみ、少年は言った。
明るい茶色の瞳。初めて会った時は弱々しく、けれどもその色だけはしっかりしていた。今、少女の瞳に灯っている色は――戸惑いと孤独への恐怖。
無言のまま、少年と少女は互いの顔を見つめる。
「私、また一人になるの……?」
視線をそらし、少女は消え入りそうな声でつぶやいた。それが意図するものも少年はわかっていた。わかっていたが、声をかけることはできなかった。
「本当に大丈夫だから。行ってきます」
笑顔で応えると、まりいは部屋を後にする。ショウはその後姿を黙って見送ることしかできない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「何をやってるんだろうな、俺は」
本来なら似合うことのない自虐的な笑みを浮かべる。引き止めることも、ついていくこともできない。いつから自分はこんなにも臆病になってしまったのだろう。
《いいの? このままで》
ふいに聞こえた声にショウは視線を向けた。
《このままでいたいのなら構わない。だけど、どうなっても知らないよ》
「お前はどれだけ人をいたぶれば気がすむんだ」
部屋には誰もいない。だか少年は叫んだ。まるで人がそこにいるかのように。
――否。
そこにはいた。人ではない、だが確かに部屋の中には少年と彼以外のものがあった。
「いたぶるなんて人聞きの悪い」
そして、声はそれに応えた。
応えたものは陽の色の――緋色の鳥。かつて雪色の髪の少女がさがしもとめ、今は焦げ茶色の髪の少女の肩にとまっているはずの鳥。
「僕は何もしてないよ。ただ事実を突きつけているだけ」
途端、辺りが光に包まれる。
それは少年が何度も目にしていた光。この光の持ち主をショウはよく知っていた。一人はいつも隣にいた焦げ茶色の髪の少女。一人はあどけない笑みを浮かべていた雪色の髪の少女。
光の後に現れたのは緋色の髪に空の瞳の少年だった。
「お前が……元凶だったのか」
名前を知っているはずだ。彼はいつだって少女達の側にいて、自分を見ていたのだから。
うめくような少年の声に、彼は首を左右にふった。
「それも人聞きが悪いな。僕がやったのは君に昔のことを思い出させてあげただけ」
「それをいたぶると言うんだ!」
ベッドから立ち上がり、ショウは少年の胸ぐらをつかんだ。だが彼は抵抗するどころか薄い笑みを浮かべている。
「君、実は精神的にもろいんだね」
やんわりと腕をふりほどくと、緋色の髪の少年は乱れた服を整える。
「シーナに何かが起こってるのか?」
空色の瞳を見つめながら、栗色の髪の少年は感情を押し殺した声で問いかける。
前回も姿を見せたのはまりいがらみだった。その少女がいない今、自分のためだけに現れるなどおかしい。
「正確にはこれから起こるんだよ。君の恐れていた――いや、期待していたことがね」
「お前はあいつに何をさせようとしているんだ」
予感、というよりも直感だった。
すれ違ってしまった言葉。一度目前から消えてしまったそれは、二度と姿を見せないような。
「何もしないよ。ただ」
彼は一度だけ言葉を区切ると言った。
「僕はあの子にかけたい。僕達の未来を。あの子を開放してもらいたい。ベネリウスの娘であり人の娘であるあの子に」
ふいに彼は手を差し出す。
「手を取るのは自由だよ。どうする? このままここにいるかい。それとも――」
そんなこと決まっている。
声をあげるよりも早く。ショウは彼の手をとった。