Part,69
「親父がこの村に来た!?」
突然の報告にショウは表情を変えた。
「あくまで憶測(おくそく)だけど」
一言を添えた後、青藍(セイラン)はことの一部始終を話した。曰く、この村には『白の山』にまつわる逸話があること。曰く、その話を一人の男が訊いていたということ。
栗色の髪をした男は世界中にいるだろう。熟練の騎士のような男。それだって多くはないが、決して少なくもない。
「でも、セイ達はそうだと思ってる。そうなんだろ?」
問いかけではなく確定の意味合いをこめた言葉をかける少年に、青藍とユリは顔を見合わせる。どうやら少年は彼らが思っていた以上に父親のことを気にしていたらしい。
「他の人にも聞いたんですけど、詳しくはわからないみたい」
だが、少年の視線は二人を向いていない。
長年の間行方知れずだった父親。最後に言葉を交わしたのは、そう。八年前のあの日。
「確率は0に近い。どうする?」
「行くに決まってるだろ!」
散々探しても見つけることができなかったのだ。今行かずしていつ行くというのか。
そんな少年を青年は静かに見つめていた。
「わかった。行こう」
「じゃあ――」
「ただし、お前はぬきだ」
青年の言葉にショウは自分の耳を疑う。今のは聞き間違いだったのか。それとも――
「今のお前には任せられない」
聞き間違いではない。少年の耳に聞こえたものは、聞き間違いでも幻聴でもなく事実だった。
「どうして!」
「理由はお前が一番よくわかってるだろ」
青藍の指摘にショウは息をのむ。
普段の彼ならばこのような表情はまずしない。おどけてみせるか子供のような、いたずらっ子のような表情を見せるのが常だ。だが目の前にあるのは真剣そのもの。ショウだってわかっていた。青年の言うことは正しい。彼とて冒険者、ましてや兄なのだから。
「明日出かけてくる。シーナちゃん、悪いけどこいつの付き添い頼むよ」
苦笑すると青年はユリをひきつれ部屋を後にした。
残された部屋で、年少者二人は交わす言葉もなく途方にくれる。
「よかったね。お父さんの行方がわかって」
口火をきったのは少女の一声。だが残された少年は言葉を返さない。
「ショウ?」
おずおずと顔をのぞき、まりいは首をかしげる。
少年の表情は硬かった。
しかめ面なら見たことはある。真面目な顔や呆れ顔、驚いた顔も。いつかは彼らしくない間のぬけた表情だって、まりいは見たことがある。けれども、今のそれはこれまでのどれにも当てはまらない。
まるで、何かに戸惑っているような。
まるで、何かに怯えているような。
「どうしたの。なにかあった――」
ショウの額にまりいは手をかざす。昨日の今日なのだ。まだ熱があるのかもしれない。そう思っての行動だった。
少女の手が少年の額に触れようとしたその時、
「触るな!」
額に当てようとした手を強引に振り払う。
それは二人が出会って初めての、少年からの拒絶だった。
「……え?」
何が起こったのかわからなかった。かざそうとした手にはしるかすかな痛み。それだけが事実を物語っている。
再び少年の顔をのぞき、まりいは息をのむ。
ショウの瞳には、今まで見たことのない色が灯っていた。いや、違う。この瞳に宿る色をまりいは知っていた。なぜならそれは、かつての彼女自身が宿らせていたもの――感情なのだから。
なんで私は一人なんだろう。
みんな、お父さんやお母さんがいるのに。
だが、なぜそれを自分に向けられるのかまではわからなかった。もっとも、それは少年の方も同じだったらしいが。
「……悪い。なんでもない」
少しの間の後、少年は頭を下げる。
「本当になんでもないんだ。けど、今日は一人にしてくれ」
それだけ言うと、ショウはまりいから視線をずらした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。
上体を起こし、少年は思案にふけていた。
父親がいるかもしれないという戸惑いと連れて行ってもらえないことへの苛立ち。あれではただの八つ当たりではないか。
「……違う」
まんざら、ただの八つ当たりでもない。
もし少女が予想通りの人物だとしたら? 彼女がそうだとしたら?
少女は依頼の人物でもあり、憎しみを抱く相手に連なる者でもある。
馬鹿らしいと今までなら一笑にして伏せることができた。だが今は状況が違う。洞窟を出る際に聞いた『声』の後、ショウはまりいを正視できなくなっていた。理由は簡単だ。秘めていた思いをあふれさせてしまったのだから。
だが少女は何も知らないのだ。本当に、何もかも。
記憶喪失というものではない。生まれた、生活していた場所が違うのだ。
「くそっ……」
苛立ちと不安が少年を襲う。だがそれに応えてくれるものは誰もいなかった。
少年の部屋から出ると、まりいは何をするでもなく窓から景色を眺めていた。
『なんでもないんだ』
感情と表情が相反する口調で少年は言った。それ以上は会話も続かず、おやすみなさいと言うことしかできなかった。
先ほどの言動は何だったのだろう。仮に触れて欲しくなかったことだとしても、少年の瞳には別の感情が宿っていた。
瞳の中にあったもの。それは苛立ちと憎しみ。
「シーナちゃん?」
聞きなれた声にふりむく。そこにいたのは灰色の髪の青年だった。
「どうしたの。こんな夜遅くに」
「……眠れなくて」
事実であり嘘でもある言葉をまりいは青年に告げた。眠れないのは事実。あんな言葉をかけられては気になってしょうがない。
眠れないのは嘘。正確には眠りたくなかったのだ。今眠りにつけば、久しぶりに昔の嫌なことを思い出しそうになるから。それは両親から捨てられたこと。それは友達が離れてしまった時のこと。
「ショウに何か言われた?」
違う。と声に出して言えばよかったのかもしれない。だが今のまりいにはそれだけの余裕はなかった。
「だったらおれのせいだな。ごめん」
「そんなことない!」
頭を下げる青年に、まりいは慌てて手をふった。
「ショウの家のことは知ってる?」
青藍(セイラン)の言葉にまりいは小さくうなずく。子供の頃に両親がなくなって姉弟でずっと二人でやってきて。父親も生死は不明だがユリの話だともう死んでしまったのではということだった。
「ユリにも言えるけど、あいつって感情表現が不器用なんだよな。口では気にしてないって言っていても、本当は会いたくてしょうがないのに」
「だから、ショウを行かせないようにしたの?」
まりいの問いに青藍は穏やかな笑みを返した。
「私情に捕らわれるなとは言わないけど、今のあいつは何をしでかすかわからない。何より病み上がりだしな」
『なんだかんだ言ってもあいつはまだ子供なんだ』そうつぶやく青年に、まりいは静かな視線をおくる。
初めて会った時はいたずらっ子のような言動と獣を狩る時の格差にどきどきしたり、はらはらさせられた。だが、青年はちゃんと自分に課されたものをはたそうと真剣になっている。
自分はこんなにも子供で。目の前の青年はこんなにも大人で。
「青藍」
「うん?」
「ユリさんのこと、好き?」
「シーナちゃん……」
いつかは視線をそらすことでしか聞けなかった言葉。
守ると言われて嬉しかったから。青年を好きになったのはそれだけではない。周囲を見渡せる度量。時折見せる真剣な眼差し。その広さに、その瞳に憧れたのだ。
あれから少しだけ時が流れた。青年だけでなく、自分も少しは成長したと信じたい。
「ユリさんのこと、愛してる?」
青藍の瞳を見て、まりいは一言一言かみしめるようにつぶやく。
そして、返ってきたものも同じだった。
「好きだよ」
青年の顔は赤い。でも瞳にはしっかりとした意思が宿っている。
「あいつってしっかりしているのにさ、感情表現が苦手なんだ。不器用で、でも大切で。だからあいつのことを……守りたい」
そんな青年を、まりいは穏やかな顔で見つめていた。
「ユリさんのこと幸せにしないとだめだよ」
「もちろん」
そう言うと二人顔を見あわせて笑う。
ひとしきり笑った後、まりいは青藍に頭を下げた。
「お願い。私も一緒に連れていってください」