Part,68
「ずいぶん遠くまで来てしまいましたね」
少年達が宿で休息をとっている間、二人は村の中を歩いていた。
「おれも修行の旅はしていたけど、ここまで来たのは初めてだな」
海岸沿いの村、フルーツルーレ。
洞窟をぬけてきたにもかかわらず、そこはいたって普通の村だった。人は少ないものの民家もあるし宿もある。驚いたことに少し歩けば海や港もあり、観光客にいたってはレイノアよりも多いくらいだ。
「あの頃はこんな会話もできませんでしたからね」
「あの頃はほとんど口きいてくれなかったからなぁ」
「それはあなたが……」
言いかけて、ユリは口をつぐむ。
「ユリ?」
「時々、不安になるの」
「何を?」
隣を歩く青年の声に、ユリはふっと表情をくもらせる。
「わたしは今幸せです。でもあの子は、ショウはどうなのでしょう」
数年前、体に傷をおって青藍(セイラン)とユリは別れた。お互いがお互いのことを意識しているのにもかかわらず、気持ちはすれちがうばかりで。本当の気持ちを伝えてからは幸せな日々を送っているものの、それにも長い月日を要した。
だが、今はこうして側にいられる。大切なものが側にいるという日々をユリは心から幸せに、いとおしく思う。
――では、弟の方は?
「あの子はしっかりしすぎている。肉体においても精神面においても。だからこそ、何かを隠しているんじゃないか……って」
「それって、きみのお父さんのこと?」
青藍の問いにユリは首を縦にふる。
「父のことは、もうあきらめています。でもあの子はそうじゃないみたい。口では言わないけれど、ショウは父親の影を追い求めている」
口では語らずとも態度でわかっていた。父親と同じ運び屋という仕事を選んだのも他ならぬ弟自身なのだから。
元々、口数が多い方ではなかったが年をおうにつれ寡黙(かもく)になっていった少年。首の後ろで一つに束ねられた髪も、彼の心中を代弁しているようだった。ショウが髪をのばす理由。それは――
「きみ達二人の心配性は遺伝?」
青年の声に、ユリは思考を中断させる。
急に何を言い出すのか。
そう口を開く前に、ユリは青年の腕の中にいた。
「ショウのことはわかったから。弟だけじゃなくて、たまにはおれの方も見てよ」
それは本当に不意うちで。離してくださいと身をよじっても、面白がっているのか別のものなのからか、青年ははなかなか腕をゆるめようとはしない。
「確かに弟のことは大事だけどさ、こうずっとショウ、ショウって言われても、おれとしては立つ瀬がない」
力を入れれば簡単に腕の中から逃れることができる。だがそれをしないのは、できないのは離れたくない自分がいるからで。
「そこのお二人さん。いちゃついてないで土産の一つも買ってきなよ」
わって入った商人の声に、青藍は苦笑しユリは顔を紅潮させた。
「クッキーに、地図に記憶球(きおくきゅう)か」
目の前に差し出された品々に、二人は視線をうつす。
「パンもどうです? ここだけの限定ものですよ」
「ずいぶん鳥の形をしたものが多いんですね」
「そりゃそうですよ。ここは白の山のふもとですしね」
『白の山?』
商人の言葉に二人は声を重ねた。
「知らないんですかい? この村の唯一の観光名所を」
そうは言われても、この村へは成り行きでやってきたのだ。知るはずもなく。
「観光に来たんじゃないんですか?」
「ええ、まあ……」
言葉をにごすユリに商人は訝しげな視線を向ける。だがそれも、ほんの少しの間のこと。『それでは聞かせてあげましょう』と商人は得意げに村の逸話を語り始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
むかしむかし、この山にはたくさんの鳥が住んでいました。
そこには一人の少女がいました。少女は山からおりることができませんでした。体が弱くておりることができなかったのです。
可愛そうに思った鳥は、少女に話をしてあげました。少しずつですが、少女も笑うようになりました。
やがて、少女は大人になり、おばあさんになりました。
鳥は言いました。『地上におりなくていいのかい?』と。
少女は――おばあさんは言いました。『地上におりるには歳をとりすぎました。だから、最後はあなたのそばで眠らせてほしいの』と。
少女が最期の眠りについた時、鳥は一粒の涙を落としました。涙が少女にかかると、彼女は鳥に姿を変えました。
そして二羽の鳥はどこへともなく姿を消してしまいました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この前の壁画と話が似てるな」
青藍(セイラン)は思案にくれた。思い浮かべるのは三人で行った洞窟の文字。
『地と風と空を愛した鳥の一族。人は彼等のことを翼を持つ英雄、ゼファーと呼ぶ』
真っ先にそれに反応したのは栗色の髪の少年だった。
「そう言えば、あなたと同じ髪の男の人もこの話を聞いていましたよ」
「わたしと同じ髪?」
視線を向けられたユリは首をかしげる。栗色の髪の人間は、この世界では珍しいことではない。だがなんだろう。この違和感は。
「驚くわけでも珍しがるわけでもなく『そうか』と言ったきり、すぐにいなくなってしまいましたけどね。
こんな村には似合わない威圧感――熟練の騎士のような男だったよ」
商人の言葉にユリは息をのむ。そんな男、彼女の記憶には一人しかいない。
「青藍、わたし……」
「その場所を教えてくれますか?」
ユリの話をさえぎるように、青年は商人に頼んだ。
「できすぎてますよね」
もう日も遅い。商人の話を聞いた後、二人は宿への帰路についていた。
「でも――」
『行ってみたい』
同じ台詞を口にされ、ユリは目をしばたかせる。
「そうなんだろ?」
「どうして……」
目を丸くしたユリに、青藍はいたずらっぽく片目をつぶる。
「顔見てればわかるよ。
君って考え事してると首に手を当ててるよな。そういうところ、弟とそっくり」
思ってもみなかったことを指摘され、ユリは慌てて手を自分の胸の前においた。
「でもフロンティアとは――」
「旅行の一環だと思えばいいよ」
ユリの言葉をさえぎるように、青年は人差し指をかざす。
「何もなかったらそれまで。万が一にも何かあったらめっけものだろ?」
笑って振り返る。だがユリからの反応はなかった。
自分の父親のことを軽々しく口にしたのだ。もしかして怒らせてしまったのだろうか。
おそるおそる、青年はユリの顔をのぞきこむ。だがその表情は青年が予想していたものとは違っていた。
「ありがとう」
視線を地におき、かすかに肩をふるわせている。ユリは泣いていた。目の隅に光るものをのせて。
「どういたしまして」
微笑むと栗色の髪の少女を抱きしめる。数年前は触れることもできなかった体は、青年の腕の中にすっぽりとおさまった。
「あのさ。この旅が終わったら、その……」
「私をシーツァンに連れて行ってくれますか?」
考えていた台詞を口にされ、今度は青藍が口をとざす。
「あなたのご両親に挨拶がしたいんです」
「それってプロポーズ?」
「そうです」
とんでもない言葉を耳にして、青藍は思わず両手を離す。もっとも『そう言ったらどうしますか?』と笑われてしまったが。
「でも、いつかはそうなればいいと思っています。……ありがとう」
月明かりが栗色の髪を照らす。顔を赤らめながら微笑む少女はとても綺麗で、いとおしいものに思える。
「すっかり遅くなりましたね。帰りま――」
それから先をユリは言うことができなかった。なぜなら唇を塞がれていたから。
「取り消しはなしだからな」
顔を赤くして、でも瞳は真剣そものもので。それだけ言うと青藍は先ほどよりも強くユリを抱きしめる。
月明かりは二人を優しく照らしていた。
「これは試練だよ。シーナ・アルテシア」
フードをおろし、商人はつぶやく。
そこからのぞいたのは藍色の髪。紫の瞳が二人の立ち去った方角をじっと見つめている。
「君に――君達に、翼の民の祝福のあらんことを」
一陣の風を残し、商人はその場から姿を消した。