Part,59
「ふぅ」
紙に筆をすべらせ、公女は息をつく。
ここはカザルシアの主要都市の一つ、ミルドラッド。その中心部にある城内の一室で、シェリアは生活をおくっていた。
「珍しいですね。あなたがこんな朝早くからそんなことをしているなんて」
「アタシだって早起きぐらいするわよ」
顔をのぞかせた老神官にシェリアは口をとがらせる。
ラズィアの一件の後、彼女は念願の家族みずいらずの生活をはじめた。家族との生活は戸惑いもあるが新鮮でもあった。
数年ぶりに食卓を囲んでの食事。ぎこちなくはあるが、会話もすこしずつはずむようになった。数年前は見られなかった笑顔も見うけるようになり、シェリアは家族の素晴らしさを改めて実感するのだ。
もちろん、ただ一緒にいるというわけにもいかない。寄宿学校に行かない代わりに教養を身につけるとを誓った。勉強は好きではないが、両親と共に暮らすことに比べればそんなこと造作もない。
だからこうしてリューザに勉強を見てもらっているのだが、この日、公女の心中は穏やかではなかった。
「手紙って不便よね」
書き溜めていたものを机の上に置くと、公女は再び息をつく。
「どうしてです?」
「だって、相手がどこにいるかわからないなら書いても意味ないじゃない」
彼女の言うことは事実だった。いくら近況を伝えたくても所在がわからなければ伝えようがないのだから。
自分を助けてくれた友人達。彼女達は今頃何をやっているのだろう。フロンティアを探すことができたのだろうか。
「それだけですか?」
含みのある物言いに、公女は眉根をよせる。
「何が言いたいの?」
「なんでもありませんよ。ただ、そろそろ頃合かと思ったまでです」
目に明らかに別の色を残したまま、リューザは去っていく。言葉の意味をくみとろうとしても、十四歳の公女に神官長の発言は理解できない。
「シーナ達、元気にしてるかしら」
公女は、はるか彼方の地に旅立った友人達に想いをはせた。
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「光の具合はどうだ?」
「いつもと変わらない」
少女の友人一行は、いつものように宝石の光が指し示す方角へ向かっていた。
まりいの胸元にあるのは銀色の鎖。その先にある青い石には女性の姿が彫られている。
アクアクリスタル。ラズィアの一件で効力を発揮した後、フロンティアを示す手がかりとして、まりいの親友であるシェリアからもらったものだ。
「この光の指す方角にフロンティアがあるんですね」
栗色の髪をなびかせユリがつぶやく。
「その宝石が曰くつきって言われてもいまいち実感ないよな」
「うん。だけど私にとっては大切なものだから」
青藍(セイラン)の言葉に、まりいは笑みを返す。
空都(クート)に来て道に迷って。その時に出会った女の子。お姫様然とした外見とは裏腹に、元気よく動き回って、一緒に色々なことをやって。でも本当は、両親の愛情に飢えている寂しがりやで。あの公女様は今頃どうしているのだろう。両親と元気にやっているのだろうか。
まさか互いに全く同じことを考えているとも知らず、まりいはミルドラッドにいる友人に想いをはせた。
「あっ……!」
まりいの声に、一同が視線を向ける。
光が急に方角を変える。それは北西を指していた。
「今までとは違う方角だな」
「今まで?」
ユリの問いかけに、まりいはうなずきを返す。
「前は東を指してたの。今まではこの光を頼りに進んでいたんだけど……」
「それでおれのところに来たってわけか」
まりいの返事に青藍は一人納得した顔をする。確かに凛(リン)の国はミルドラッドから東の方角にあった。
「フロンティアを探すなんて、それこそ雲をつかむような話だけど、実際にそれをやっているんだからすごいよな」
「そう……なのかな?」
青藍の言葉に、まりいは小首をかしげる。
フロンティア。それは空都(クート)の住人なら誰もが知っているおとぎ話。
一体どんな形をしているのかわからない。もしかしたらものですらないのかもしれない。確かなのは、どんな願いも叶えてくれるということだけ――とは聞いていても、まりいには実感がわかなかった。
ただ困難ということだけはわかっていた。そして、フロンティアに、ショウについていけば何かが変わる。それを実感していた。
ふいに、青藍が声をかける。
「シーナちゃんは家に帰りたいと思ったことはないの?」
「ないです」
かつて陽の色の髪の少年の言ったことを振り払うかのように、まりいは青年に告げる。
学校の教室で真っ青になって倒れていた自分。そのかたわらではクラスメートの少年がつきそっていた。
あれはきっと、何かの間違いだったのだ。第一、家に帰ったとしてもあんなふうになるのなら戻りたくはない。
「じゃあ、地の惑星(ほし)に帰りたいと思ったことは?」
「それは……」
答えようとして、まりいははたと青年の方を見た。
どうしてそのことを知っているんだろう。自分が空都(クート)の住人じゃないことは、栗色の髪の少年しか知らないことなのに。
「ごめんなさい。あの子から話を聞いたの」
まりいの疑問に答えるようにユリが告げる。
「わたし達が聞いたの。だから、あの子を責めないであげてね。わたし達もできるだけ力になるから」
「はい」
自分を思ってのことなのだ。これでは怒るに怒れない。
笑みを浮かべようとして、まりいは大きく前のめりになる。なぜなら馬車が急に足をとめたからだ。
「ショウ?」
御車台の少年に問いかけると、彼は視線を前方に向けたまま言った。
「行き止まりだ」
少年の言うように、目前には何もなかった。
正確には岩山だろうか。巨大な岩山が一行の行く手を阻んでいる。どちらにしても進めないことは確かだった。
「光はこっちであってるんだよな?」
「うん」
光は、相変わらず北西を指しつづけている。が、道がないのでは進みようがない。
「仕方ない。引き返そうか」
青藍が提案したその時だった。
「だいじょうぶ。みちあるよ」
そう言って馬車を降りたのは雪色の髪の少女。
「ダメだよ。この岩じゃ難しい」
「だって、フロンティアをさがしてるんでしょ?」
「そうだけど、これじゃ通れないよ」
「ううん、とおれる」
そう言ってステアは手をかざした。
途端、あたりが光に包まれる。
この光に、ショウは心当たりがあった。
光は、かつてフォンヤンで見たことがあるものだった。青年と離れて一人になった時、洞窟の中で、それは光に包まれていた。
例えるならばそれは光の渦。例えるならば、それは。
「…………!」
少年は慌てて少女の方を見る。だが少女は――焦げ茶色の髪の少女は、訝しげな視線を返すだけだった。
『……?』
黒と明るい茶色の瞳を交差させ、少年と少女は当惑する。
あれは見間違いだったのか。だったらステアのこれはどう説明すればいい。
もしかしたら俺は、とんでもないことに足を踏み入れているのかもしれない。
不思議に思う反面ほっとしたような、そんな思いが少年の胸をしめる。一方、少女も少年と同じ思いを抱いていた。
今のは一体何だったんだろう。まるでありえないものを目の当たりにしたかのような、そんな瞳。それをどうして私に向けるの?
もしかして私は、何か大変なことにかかわろうとしているの?
そんなことを考えていても答えが出るはずもなく。一行はあらためて少女の――雪色の髪の少女の行動を見守った。
「しろのどうくつ。ステア、こことおってきた」
そう言った少女の瞳は、いつもとなんら変わりなかった。
ショウや、まりいに話しかけるときのものと全く変わらない、無邪気な表情。ただし、背中からはえるものを除いては。
髪と同じ、雪色の翼。光を強めるたびに羽が宙を舞う。光がおさまると、岩山の中に一本の道ができていた。
「ステア、あなたは一体……」
「ステアはステア」
まりいの質問に、ステアは動じることなく答える。
「シーナのさがしているもの、なに?」
ステアの質問に、まりいは言葉をつまらせる。
「ステア、ねがいごとあるよ。とってもとってもたいせつなもの。
シーナいった。おとうさん、おかあさんのこと。シーナのねがいごと、なに?」
急に何を言い出すの?
まりいはそう問いかけるつもりだった。だができなかった。
「これからさき、つらいことも、かなしいこともいっぱいある。やさしいものも、あたたかいものもいっぱい。ここからは、シーナのしれん」
ステアの言ったことは全て真実だったから。
「そうしないと、フロンティアにちかづけない」
《この地を荒らすのは誰だ》
声が、五人と一羽の頭上をかすめた。