Part,58
さあ、かぜをつかんではばたけ
どこまでもひろがるせかいへ
唇から紡ぎだされる旋律に、まりいは耳をかたむける。
歌っているのは雪色の髪の少女。いつもなら眠たそうにしている空の瞳は今は閉じられている。その姿からは、いつものあどけない雰囲気は全く見うけられない。かたわらにはいつものごとく、緋色の鳥いる。
「それは何の歌?」
「しらない。コウサがおしえてくれた」
ステアの答えに、まりいは軽い戸惑いをおぼえる。
「コウサが?」
「うん」
目を開ければ途端に幼い少女に逆戻り。先ほどの印象とはまるで逆だ。
ふと思い当たることがあり、まりいはステアに尋ねた。
「コウサって、ステアにとって何?」
その名前が鳥のことを指すということはまりいにもわかる。だが、それに対する彼女の反応は普通のそれと違っていた。
『ステアの言ってることは何か違うような気がする』栗色の髪の少年が指していたのはこのことなのかもしれない。
まりいの質問に、ステアは歌を中断し、空色の――夜空の瞳を明るい茶色の瞳に向けた。
「ごめんなさい。変なこと聞いて」
小首をかたむける少女に、まりいは慌てて口をつぐんだ。
誰だって聞かれたくないことはある。せっかく仲良くなろうと誘い出したのに、これでは意味がないではないか。
だがステアはそんなまりいを意に解することなく応えた。
「アイボウっていってた」
「相棒?」
「あたたかい。いっしょにいるとおちつく。ショウのシーナといっしょ。
コウサ、ステアをとめてくれるひと。ステアをステアでいさせてくれるひと」
「え……」
それはどういう意味なのか。
まりいが問いだす暇もなく。目をつぶると再びステアは歌を奏ではじめた。
みわたせないほどのねがい
ひとりせおいながら
かぜのなかにみつけたのは
ひらめくつばさ
あやしくたけるかげうちおとして
たかぶるこどうをいだき
かなしみひそむあおいそらいくとり
はてしないときのかなたから
かけてきたいちじんのはやて
こうやにまきあがる
それはきぼうのさじん
歌が終わると、ステアはまりいをじっと見つめた。
「げんきになった?」
「え?」
「うた、うたうとげんきになる。コウサいってた。ステアのうたすきだって」
鳥を肩にのせ、ステアは笑う。鳥は少女の言うことがまるでわかっているかのように頬をするよせてくる。
「コウサが教えてくれたの。シーナげんきないって。
シーナげんきなかったからステアうたった。げんきでた?」
ステアの笑顔に、まりいは言葉を失った。
自分と年も変わらないこの少女はこんなにも自分のことを心配してたのだ。なのに自分は何をやっているのだろう。
「シーナ?」
「……うん。元気でた」
ステアの言葉に、まりいは精一杯の笑顔を返した。
がんばってみよう。友達をとられたからって嫉妬してる場合じゃない。
「シーナはうたわないの?」
「歌……?」
無邪気な笑顔を向けられ、まりいは別の意味で困ってしまった。
歌なんて、学校の授業でしか歌ったことがない。そもそも歌ってほめられたためしもない。
「不思議な歌だよね」
だから、まりいは別の言葉を選ぶことにした。
「それに、なんだか……」
ナツカシイ
「……?」
その言葉を唇にのせようとして、まりいは慌てて口をおさえた。
どうしてそんなことを言わなければならないのだろう。初めて聞いたはずの曲なのに。
「シーナ?」
「ううん、なんでもない」
小首をかしげたステアに、まりいは慌てて笑顔をむけた。
「ステアって記憶喪失なんだよね」
この質問をするのは果たしていいことなのか。それはまりい自信悩んだことだった。でもまりいは聞きたかった。
「きおく?」
「生まれた場所とか、お父さんやお母さんのこと覚えてるかってこと」
こんな質問ができるのは彼女だけだと思ったから。
「ステア、わからない」
「そっか……」
ステアの返答に、まりいは息をもらした。それは落胆からくるもなのか安堵のものだったのか、誰にもわかることはなかった。
「ねえステア。何も知らないって幸せなことなのかな?」
少女から視線をそらし、まりいは小さくつぶやいた。
「私ね、お父さんやお母さんのこと何も覚えてないの」
かつて栗色の髪の少年に言ったことを、雪色の髪の少女に話す。
「小さい時にね、施設の前に置き去りにされてたんだって。先生が……私が子供のころにお世話してくれた人が言ってた」
どこから来たのかも、親が誰なのかも知らずに育って。気がついたら『まりい』という名を与えられて。
「子供の頃はいじめられてた。どうして私ばかりって思ってた」
変わった色の髪と名前でからかわれて。
「小学校の時に今のおばさんに養女にしてもらって。でも今度は体が弱くて入退院の繰り返し」
どうして私には両親がいないのだろう。
どうして私は体が弱いんだろう。
どうしてと考えればきりがない。それでもまりいは考えずにはいられなかった。
服の端を握りしめ、まりいはぎゅっと目をつぶる。そんなまりいを雪色の髪の少女は静かに見つめていた。
「ステア、わからない」
「そうだよね」
ステアのつぶやきに、まりいは苦笑する。自分でも話していてわからなかったのだ。会って間もない人に理解できるはずがない。
だが、返ってきたのは予想に反するものだった。
「シーナがどうしたいのかわからない」
「え……」
「シーナはどうしたい?」
夜空の瞳に見つめられ、言葉につまる。非難するわけでも肯定するわけでもない。ただ純粋な問いかけに、まりいは返す言葉が見つからない。
「シーナのねがいはなに?」
「それは……」
答えを聞きたいのはまりい自身だった。
しっかりとした自分になること。そのためにまりいは栗色の髪の少年と旅をしている。そのことは後悔してないし、これからもずっと続くのだろう。だが、時々思うのだ。これでいいのかと。本当の願いは別のところにあるのではないかと。
「いわないとつたわらない」
まりいを見つめたまま、ステアは言った。
「さけばないととどかない。だからステアうたう」
それは、静かな声色だった。
「ステアにはねがい、ある。……ゆめがある」
「夢?」
まりいの問いかけに、少女は視線を向ける。その先には緋色の鳥の姿があった。
「たくさんのものをみたい。たくさんのひとにあってみたい。だから、ぬけだした」
「それも、コウサが言ったから?」
まりいの言葉にステアは首を横にふる。
「ちがう。これはステアのいし。
かわりたいってねがったのなら、きっとそれはかなう。ステア、そうしんじてる」
夜空の瞳に迷いは全くない。
(……やっぱり美雪ちゃんに似てる)
容姿そのものではない。雰囲気が、かつての友人を思わせるのだ。どんな時でも一緒に笑い、時にはげましてくれたまりいの友人に。
「ステアは強いんだね。かなわないや」
それは、まりいの正直な気持ちだった。
嘆きも哀しみもない。小さな体であるがままを見据えている。それに比べると小さなことに傷ついたり怒ったりする自分は何なのか。まりいにはそのことがひどく滑稽(こっけい)で、みじめに思えてしょうがなかった。
「かなわない、ちがう」
違わない。
そう言おうとして、まりいが口を開くよりも早く。ステアはまりいを抱きしめていた。
「シーナのほうがつよい。シーナ、いわないだけ」
それは、かつて少年が少女にした時のものと似ていた。
触れるか触れないかくらいの軽い抱擁。違うのは耳元でささやかれた言葉だけ。
「きづかないだけ。だいじょうぶ。きっとかわれる」
「……うん」
本当に変われるのだろうか。それを知りたいのはきっと自分自身で。
信じることで変われるというのなら、信じてみよう。しっかりした自分になれるように。いつか、本当の願いがわかるように。
雪色の髪の少女の腕の中で、母親にすがる幼子のように、まりいは小さくうなずいた。
※歌詞「SkyHigh! FlyHigh!!」より一部引用