SkyHigh,FlyHigh!

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  Part,56  

「はい」
「……え?」
 急に目前に出されたリンゴとナイフに、まりいは目をしばたかせた。
「みんなの分を用意したいの。皮むき手伝ってくれない?」
 リンゴをさしだしたのは栗色の髪の少年の姉。
「もちろん嫌ならことわってかまわないけれど」
 断る理由もあるはずもなく。
 二つ返事で、まりいはユリの提案を引き受けた。

「男の子ってわかんない!」
 リンゴの皮をむきながら、まりいはユリに言葉を投げる。はじめは黙って手伝いをしていたものの、ユリにそれとなく聞きだされ、結局はこちらが折れてしまったのだ。
「急に人をほめたかと思ったら今度は他の女の子と仲良くして。本当にわかんない!」
 見直したと言われたかと思えば、ステアとあんなに親密そうで。あの時顔を赤くしたのは一体なんだったのか。
「ショウって本当にわからない……ユリさん?」
 ナイフを持っていた手を止め、まりいは彼女を見つめる。
 ユリは笑っていた。聞こえないように口をおおい、肩をふるわせて。
「ごめんなさい。ちょっとおかしくて」
 不可解な彼女の言葉に、まりいは眉をひそめる。口をおおっていた手を離すと、ユリはまりいに向かって笑みを浮かべた。
「あなたでもやきもちやくことってあるのね」
 やきもち。
 その言葉を理解するまで、まりいは数分の時間を要した。
「なっ……、そんなんじゃ!」
「隠さなくていいのよ?」
「違いますっ!」
 ならどうして顔が赤いのか。
 さすがのユリも、さすがにそれを指摘しようとは思わなかった。単にまりいの仕草が微笑ましいということもあったが。
「本当に違うんです。ショウは……そのっ」
「その?」
 目を細めるユリの前で、まりいは必死に答えを探す。他に言葉はないのか。二人の関係を端的に表す言葉は。
 思案の末、まりいは一つの答えを導きだす。
「そう。相棒なんです」
 記憶の隅から言葉をたぐりよせると、まりいは黒の瞳を見つめて言った。
「相棒?」
「ショウがそう言ってたんです」
 ユリの問いかけに、まりいは深くうなずく。
 相棒だから気になるのだ。
 だって相棒はお互いの背中を守りあうものだから。
 だって相棒はお互いを理解してこそのものだから。
「仲良くなるのはいいことだけど、あんまりいきすぎるのはちょっと……」
 だから怒ったり妙な気持ちになってもなんら不思議はない。
「それも相棒だから?」
「そうです」
 ユリの言葉に今度はさらに深くうなずく。
 さっきの感情もきっとそうなのだ。友達を他の子にとられてしまったような気持ちになったから。そうだ。きっとそう。まりいはそう思うことにした。
「あの子もだけど、これじゃあ進展しないはずね」
「え?」
 小首をかしげるまりいに、ユリはそっと息をついた。
「わたしと青藍(セイラン)。あなたにはどう見えるかしら?」
「どう見える?」
 今さらなぜそんなことを聞くんだろう。
 質問の意図がわからず、まりいはユリをまじまじと見つめる。先日のやりとりを思い浮かべれば、二人の関係をあらわす言葉は一つしかないではないか。
「恋人……ですか?」
「そう言ってもらえると嬉しいわね」
 思ったまま口にすると、ユリは微笑した。
「わたしがちょうどあなたくらいの頃かしら。彼に初めて会ったのは」
 視線をリンゴに向けながら、ユリはナイフを上手に動かしていく。
「ささいなことで喧嘩してすれ違って。ここまでくるのに寄り道しちゃったけどね」
 ほんの少しだけ、まりいの胸が痛む。
 その話は青藍からも聞いていたものだった。修行の旅をしている時に出会って一緒に旅をして。ささいなことですれ違って会うこともままならなかったと。
「青藍のこと、好きなんですか?」
「ええ。わたしは彼が好き。わたしは青藍を愛しています」
 穏やかに、でも黒い瞳からは弟と同様、意思の強さが感じられる。
 ――すごい。
 まりいは心の中で感嘆の声をあげた。
 好きだと気づくことはできても、気持ちを伝えることはできなかった。ましてや第三者に自分の気持ちを告白するなんて。
(ユリさんと青藍ってお似合いなんだな)
 心の傷が完全にいえたわけではない。だが、まりいは目の前の少女に声援と感嘆の声を送った。
「あなた達の関係がどんなものなのか、それはわたしにもわからない。けれど、今のわたしから言えることは一つだけ」
 リンゴをむき終わると、ユリはまりいの手を両手で包みこむようにして言った。
「シーナさん。自分の気持ちを間違えないでね」

 一方。
「女ってわからない」
 少年もまた、少女と同じ言葉を青年に投げていた。
「なんで急に機嫌が悪くなるんだよ。俺が何かしたのか?」
「おれに言っても仕方ないだろ」
「そうだけど」
 珍しく言葉をにぶらせる少年に、青藍(セイラン)はユリと同様のため息をついた。ショウをお願いとは言われても、これではフォローのしようがない。
「深く考えなくていいんだよ。シーナちゃんも普通の女の子だったってこと」
「……シーナはどう見ても女だろ」
 そんなふうでよくおれとユリのことがわかったな。むしろそんなんでよく今までやってこれたな。
 ある意味で感嘆とも呼べる声を、青藍は胸中であげる。もっともあげられた当人は不思議そうに首をひねるばかりだったが。
「そういえばお前、おれ達のところに戻ってきた時って顔赤かったよな。なんでだ?」
「なんでって――」
 腕を組み、少年は目をつぶって答えを考える。あれはどうしてだったのだろう。顔が赤かったのは確かに自覚していたのに。
 しばしの沈黙の後、組んでいた腕をとき目を開ける。
 口から出た言葉は――
「なんでだろうってのはなしだからな」
 再三の経験からか、青年は先手を打ってショウの答えをさえぎる。さえぎられた少年は、仕方なく再び目をつぶって考えることにした。
『ステア、コウサのことすき。ショウもシーナのことすきなんでしょ?』
 きっかけはステアの一言だったような気がする。
 そもそも好きという感情がよくわからないのだ。ユリや青藍のことは好きだし、まりいのことも信頼している。だが雪色の髪の少女がいう類のものとは違うのではないか。
 そんな最中のまりいの一言。
『そういうところ、私は好きだよ』
 本当にわからなかった。でも気恥ずかしいような――嬉しいような、そんな感覚に捕らわれたのは確かだった。
 自分とまりいが、兄貴分と姉のような関係になるとは思えない。思えないはずなのに、なぜ顔が赤くなってしまったのか。なぜ彼女の一言や笑顔がこうもまぶしく思えてしまうのか。少なくとも青藍に会ったころはそうじゃなかったはずだ。
 ――もしかして、俺はあいつを意識している?
「本当にわからないんだ。好きって一体何なんだよ!」
 これ以上ないくらいに動揺する少年を、青藍は生温かい目で見守っていた。
 巣立ちの前の雛を見守る親鳥のような、このやろう、その風体で何をこっちが赤面するような台詞(セリフ)ぬかしてるんだといったような、そんな視線。もっとも見守られている少年の方はそれどころじゃなかったため、視線の意味に気づくことはなかったが。
 咳ばらいをすると、青藍は少年のために助言をすることにする。
「おれから言えるのは、だ」
「言えるのは?」
 ショウの肩をつかみ、青年はしごく真面目な顔でつぶやいた。
「天然もほどほどにしとけ」

 そんなことを言われてもわかるわけはなく。そもそも自覚があるのなら、こんな事態にはならないはずだ。
 そう。こんな事態にも。
「ショウ、どうした?」
 元凶の少女に顔をのぞきこまれ、少年は大きく息をはく。
 青年に言われたことを自分なりに考えてみても答えは出ない。かといってそのままにしておくわけにもいかず、一人離れた場所で思い悩んでいるところにこの台詞(せりふ)。
「ショウ、げんきない。ショウ、まよってる」
 まるで病気になった子犬を心配する子供のような顔。肩には緋色の鳥が――コウサがとまっている。
 そんなに俺は頼りない顔をしてるのか。
「ちがう?」
「……違わない」
 ステアの言葉に苦笑すると、少年は少女に向きなおってつぶやいた。
「好きってどういう意味なんだ?」
 それは何度も聞いて、何度もわからなかった疑問。
 家族や友人間といった一般的なものはわかる。だが周りに、とりわけ兄貴分に言われる感情は理解できなかった。
「俺にはそういうのがわからない。……わからないんだ」
 幼子のような表情の少年の独白を、雪色の髪の少女は静かに聞いていた。
「ステアにはコウサがひつよう」
 頬をすりよせてくる鳥の頭を撫でながら、ステアは口を開く。
「コウサはステアをとめてくれる。ステアのこと、たいせつにおもってくれる。だからたいせつ。
 コウサがいなくなったらきっとかなしい。だから、なくしたくない」
 紡がれた言葉は通常のそれよりも、はるかに大人びたものだった。
「いっしょにいたい。はなれたくない。――いとおしい」
 空色の瞳と、黒の瞳が交差する。
「すき、きっとそう。ショウもいつかわかる」
 言葉の隅にひっかかるものはあるものの、静かに微笑むその表情は、姉よりも、もしくはそれよりも大人びて――神秘的なものに見えた。
 これが先ほどと同じ少女なのか。もしかすると、彼女は自分よりもひとまわりもふたまわりも大きいのかもしれない。
 感謝の声をかけようとして、やめる。
 少女は歌を歌っていた。目をつぶり、唇から紡ぎだされたものは少年にはなじみ深いものだった。
 チチ、チ。
 コウサは二、三度身じろぎすると空にむかって羽ばたいていく。大切なものが離れていったにもかかわらず、ステアは後を追おうとはしなかった。
「ステア?」
 少女は言葉を返さない。どうやら歌に夢中になってるようだ。
 苦笑するとショウは地に生えていた草をちぎり、唇におしあてた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 二人から少し離れた場所で、焦げ茶色の髪の少女はそれを見ていた。
 少女は歌をうたい、少年はそのかたわらで草笛を吹く。響きわたるのは一つの旋律。
 その旋律は、まりいにとって聞き覚えのあるものだった。穏やかで、でも胸を締め付けられるような曲。レイノアで聞いて、彼に教わった――
「……っ」
 たまらなくなって、まりいは逃げ出す。
 少女と少年の奏でる音は、いつまでもその場に響いていた。
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