Part,46
「不思議なことにさ。あいつの顔が頭から離れない。あれから結構たつのにな」
そう言った青藍(セイラン)の顔は寂しげで、辛そうで。
青年の表情の意味を、まりいはよく知っていた。なぜなら今まで自分がしていたものだから。
「不思議……」
栗色の髪の少年ほどではないが、まりいもその頃には青藍の気持ちに察しがついてしまっていた。
「不思議じゃないよ」
「え?」
戸惑いの声をあげた青年に、まりいは静かに答えた。
「気になってるから頭から離れないんだよ」
気になっていたから、ちょっとしたことで動揺してしまう。
嫌いじゃないから、その逆だから、反対のことを言ってしまう。自分で自分のことがわからなくなる。
「青藍はユリさんのこと、どう思ってるの?」
聞きたくはなかった。でも聞かずにはいられなかった。
こんな辛そうな顔、彼にはしてほしくない。それがまりいの本心だった。
「好きなら好きってちゃんと言ったほうがいいよ。本当に守りたかったのはユリさんなんでしょう?」
私じゃなくて。
その一言を、まりいは心にとどめる。
わかっていても、認めたくなかった。ようやく気づいた自分の気持ちに終止符を打つのが辛かったのだ。
「……ありがとう」
それは、まりいが見てきた中で一番の優しい表情だった。
それは、まりいが自分に向けてほしいと密かに思っていた仕草だった。
「さっきショウにも同じこと言われたよ。ショウが弟ならシーナちゃんは妹かな」
それは、少女にとってとても残酷な言葉だった。
「あいつには幸せになってもらいたい。もちろんシーナちゃんにもね」
青年の笑顔がこんなにも胸に突き刺さるのはなぜだろう。
「シーナちゃん?」
青年に非はない。自分が勝手にそう思ってしまっただけなのだから。
「帰ろう。お兄ちゃん」
精一杯の笑みを浮かべ、まりいは青年に言った。
「どのくらい時間たったかな」
「そうだなぁ。なんだかんだ言って長居したから、まる一日ってとこかな」
洞窟を抜けながら、青年と少女は言葉を交わす。
「あの洞窟って結局何だったんだろう」
「壁画なのは確かだけどな。大昔のもので言い伝えがあるとかないとかってさ」
洞窟の外に広がるのはいつもと変わらない風景。
違うのは隣にいる人物。そしてそれを視界に映す、自分自身の心情。
泣いてはいけない。泣いたら彼を困らせてしまう。
「大丈夫? シーナちゃん」
「……ちょっと疲れた」
「歩き詰めだったからな。中で休んでなよ」
青年に勧められるがまま、まりいは馬車の荷台の奥に身を移す。
「青藍。そのままで聞いて」
馬の手綱を握った青年に、まりいはそっと言葉を投げかけた。
「ユリさんのこと、好き?」
「シーナちゃ――」
「振り返らないで! そのまま答えて」
青年と顔を合わせることはできなかった。予測される返事を予想して、まりいはぎゅっと目をつぶる。
どれだけ時間が流れただろう。
「……好きだよ」
それは予想通りの返事。そして、まりいにとって最も辛いもの。
「ちゃんと本人の前で言わないとだめだよ」
「そうだな。そうするよ」
青藍の返事を聞いて、まりいは少しだけ口を笑みの形をつくった。変なの。私が人にそんなこと言うなんて。
「ちょっとだけ休むね」
青年に背を向けたまま、まりいはしばしの眠りについた。
「あれは?」
町に到着したのはそれからしばらくしてのこと。
町先にいる人影に二人は眉をひそめる。
そこにいたのは一組の男女。栗色の髪に黒い瞳。一人はよく見知った少年。もう一人は――
「どうして……ここに?」
戸惑いと驚愕。
今の青藍(セイラン)にはその言葉がふさわしい。
「待っていました」
一方、声の主は穏やかな微笑を浮かべている。
「あなたの名前を出したのはわたしです。あなたの居場所くらい人に聞けばわかります」
「そうじゃなくて……」
栗色の髪に黒の瞳。女性の名はユリ・アステム。少年の姉で、青年がかつて共に旅をしていた者。
「謝りに……きたの」
「え?」
青年が次の言葉を告ぐ間もなく。
「あやまりたかったの!」
ユリは青藍の背にしがみついた。
「ごめんなさい。あれはあなたのせいじゃなかったのに」
ユリの言動に一同はあっけにとられていた。
「わかっていたのに許すことができなかった。忘れられないのはわたしの方だったのに」
一番動揺していたのは青藍だった。無理もない。先ほどまで話の渦中にいた人物がこうしてここにいるのだから。
無言のまま、時は流れる。弱ったような視線を向ける青年に、ショウとまりいは顔を見合わせた。
「姉貴は許してる」
助け舟をだしたのは少年だった。その言葉にうなずくと、青年はもう一度女性の顔を見つめる。
「ごめんなさい……」
泣きじゃくる姿は、まるで子供のようで。
少年と少女によって自分の気持ちに気づくことができたのだ。今こそ自分の気持ちを伝えなければならない。
「おれも、ごめん……」
青藍はおそるおそる、だがしっかりとユリを抱きしめた。
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「ショウ、先に帰ってよう。もう大丈夫だよ」
「……そうだな」
「よかったね。うまくいって」
青藍とユリを残し、少年と少女は宿の自室に向かった。
「ユリさんってすごいね。わざわざレイノアからここまでくるんだもん。よっぽど青藍のことが気になってたんだね」
二人きりの部屋で、まりいはショウに語りかける。
「ユリさんってやっぱりすごい。私もあんな風になれたらいいな」
二人きりの部屋で、まりいは少年に語りかける。
「ショウのお姉さんだけあるよね。本当にすごい」
「シーナ」
少年の声にも、まりいは足を止めようとしない。
「ショウもそう思う――」
「シーナ!」
少年の強い口調に、まりいは初めて足を止めた。その表情は、いつにもまして険しかった。
どうしてそんな顔をするのだろう。まりいには彼の表情の理由がわからない。
見つめあうこと数秒。表情を崩さぬまま、ショウは静かに口を開いた。
「無理しなくていい」
「……え?」
少年の声に、まりいは口を開く。
「無理なんかしてないよ。どうして――」
どうしてそんなこと言うの?
そう言おうとしたが、まりいは言葉を告ぐことができなかった。なぜなら目からあふれ出るものがあったから。
「変だな。どうして……」
慌てて目元をぬぐう少女から視線をずらすと、ショウはまりいの肩を押しやりドアの方へ向かう。
「俺、向こうにいるから。何かあったら呼べ」
すれ違いざまにそれだけ言うと、ショウは部屋を後にした。
残された部屋で、まりいは一人たたずんでいた。
「……ありがとう」
栗色の髪の少年の背に、まりいは弱々しくつぶやく。一人にしてくれたのは、こうなることがわかっていたからか、それとも少年の優しさだったのか。
そうか。私、もう無理しなくていいんだ――
残された部屋で、まりいの視界は突然ゆがむ。
「…………っ!」
少女が少し前に経験した感情。それは初恋。
たった今経験した感情。それは――
枕に顔を押し付けて、まりいは一晩中涙を流した。